プロフィール
経歴
1991年オフのドラフト会議にて、ヤクルトスワローズから1位指名されてプロ入り。
1993年にプロ初勝利を挙げる、ストレートボールと変化球を武器に三振を奪い取り、相手打者を惑わせねじ伏せる技巧派投手として名を掲げた。
1995年に最高勝率を獲得するなどヤクルトの2年ぶりの日本一に貢献し1997年には横浜戦でノーヒットノーランを達成しチームも2年ぶりの日本一に輝く。
チームが4年ぶりの日本一となった2001年オフにアメリカへ渡りロサンゼルス・ドジャースに入団。2005年にニューヨーク・メッツに移籍。
2006年に東京ヤクルトスワローズに復帰し安定した投球を披露していたが、2007年シーズン終了後、「新しい友達を作りたかったから」という理由で埼玉西武ライオンズにFA移籍。2013年まで現役でプレーした。
日米通算成績182勝137敗1セーブ4ホールド。
2018年8月からは東北楽天ゴールデンイーグルスにフロント入りし、ゼネラルマネージャー(GM)に就任。「長期的に優勝ができる」チーム作りを目指して様々な改革を実施し、2019年シーズンには、FA移籍で西武の浅村栄斗などを引き入れることに成功し、ヤクルトOBの伊藤智仁・野村克則・三木肇らを1・2軍の首脳陣に迎え入れ、新外国人のアラン・ブセニッツとジャバリ・ブラッシュの2名を招くなど選手陣の補強で2年ぶりの3位返り咲きに貢献。
しかし、その一方では、12球団最多の15名の所属選手に対して成績不振などを理由に戦力外通告を発したり、体調問題や故障などから登板機会が少なかった嶋基宏や、フロントとの方針の相違から1年契約に留まった平石洋介監督など一部の首脳陣メンバーの流出を招いたりするなどで、古参のファンからは失望と怒りを買うこととなった(⇒詳しくは『楽天ライオンズ』を参照)。
2021年からは3シーズンに渡って、東北楽天ゴールデンイーグルスの1軍監督として自ら指揮を執っていた(2022年まではGM兼任)。現在はシニアディレクターとして再びフロント入りしている。
背番号
背番号 | 使用年 | 所属チーム | 備考 |
---|---|---|---|
16 | 1992年〜2001年 | ヤクルトスワローズ | 選手 |
17 | 2002年〜2004年 | ロサンゼルス・ドジャース | 選手 |
23 | 2005年 | ニューヨーク・メッツ | 選手 |
16 | 2006年〜2007年 | 東京ヤクルトスワローズ | 選手 |
61 | 2008年 | 埼玉西武ライオンズ | 選手 |
16 | 2009年〜2013年 | 埼玉西武ライオンズ | 選手 |
99 | 2021年〜2022年 | 東北楽天ゴールデンイーグルス | GM兼1軍監督 |
16 | 2023年 | 東北楽天ゴールデンイーグルス | 1軍監督 |
人物
- 後輩に旨い店を喜んで教えていて、「歩くぐるなび」扱いを受けている。
- 夫人は元フジテレビアナウンサーの木佐彩子であり、木佐との間に一人息子がいる。
- 引退後は吉本興業に契約社員として籍を置いている。楽天GM就任まで、LINE LIVE「石井一久のマウンド目線から言わせてもらっていいですか?」(※YouTube版へのリンク)の番組を持っていた。