プロフィール
経歴
高校野球の強豪校であったPL学園高校を卒業。
1993年ドラフト3位で西武ライオンズに入団し、遊撃手のレギュラーとして定着。2002年にはトリプルスリーを達成し、年間タイトルも最多安打を2回、盗塁王を3回、ゴールデングラブ賞を4回受賞するなど、走攻守の3拍子揃ったスイッチヒッターとして活躍した。
2004年にFAでニューヨーク・メッツに移籍。3年連続で開幕戦初打席初ホームランを打ったが、シーズンを通して活躍できなかった。MLBに移籍した際には、すでに松井秀喜が活躍していたため、リトル松井と呼ばれていた。2006年、コロラド・ロッキーズに移籍すると、ようやく目立った活躍を見せる。シーズン通して安定した成績を残し、そして球団史上初のプレーオフ進出ではグランドスラムを放つなど存在感を見せつけた。ワールドシリーズではスイープの憂き目に遭うも、ロッキーズ設立以来初のプレーオフ、ワールドシリーズ進出に地元は大きく盛り上がり、市民は松井稼頭央残留を強く願っていた。しかし、裏腹に上層部の評価はそこまで高くなく、現に左投手に弱いことを指摘し、今後も安定した成績を保てないだろうと放出、今度はヒューストン・アストロズに移籍。そこでもまずまずの成績だったが調子を崩した2011年オフにチームから放出される。松井稼頭央ほどの名選手が活躍できなかったことは、日本人打者のMLBでの活躍の難しさを改めて痛感させられる結果となった(この件についてはセ・リーグ初のシーズン200安打を記録した青木宣親も触れている)。NPBに来た外国人選手だけを見て「外国人は守備力が低い」とMLBの守備力水準を誤解していた野球ファンに痛い目を見せたとも言える。
2011年オフにMLB生活に終止符を打ち、東北楽天ゴールデンイーグルスに入団。2013年には主将としてチームとして初となる日本一に貢献・経験した(なお西武時代の1997年、1998年、2002年に出場しているがいずれも敗退)。2014年、打率.291をマークし、また自身初となる外野の守備もこなした。2015年、外野手に本格的に転向。
2017年シーズン終了後楽天を退団し、2018年シーズンは古巣である埼玉西武ライオンズへテクニカルコーチと兼任で復帰。9月26日、今季限りで現役を引退することを表明した。
引退後は指導者・コーチとして2軍監督・1軍ヘッドコーチを歴任。辻発彦監督の退任に伴い2022年オフに1軍監督に昇格したが、成績不振の責任を取る形で2024年5月に休養を発表。シーズン終了後に退任・退団に至った。