プロフィール
出身 | 宮崎県日向市 |
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生年月日 | 1982年1月5日 |
投球・打撃 | 右投左打 |
守備位置 | 外野手 |
プロ入り | 2003年ドラフト4位 |
所属球団の変遷 | 東京ヤクルトスワローズ(2004-2011)→ミルウォーキー・ブルワーズ(2012-2013)→カンザスシティ・ロイヤルズ(2014)→サンフランシスコ・ジャイアンツ(2015)→シアトル・マリナーズ(2016)→ヒューストン・アストロズ(2017)→ニューヨーク・メッツ(2017)→東京ヤクルトスワローズ(2018-2024) |
経歴
2005年、イチロー以来プロ野球史上2人目となるシーズン200本安打を達成。最終的には202安打を放ち、最多安打のタイトルを獲得。打率3割4分4厘でセ・リーグ首位打者、新人王に輝く。
2006年にはWBC日本代表に選出され、日本代表の優勝に大きく貢献した。2年連続の200本安打と首位打者は逃したものの、阪神タイガースの赤星憲広の6年連続盗塁王を阻止し、41盗塁で盗塁王に輝いた。また、2年連続の最多安打のタイトルに輝く。
2007年、史上最速で通算500本安打を達成。また、打率3割4分6厘で自身2度目となる首位打者と初の最高出塁率に輝く。
2008年には、北京オリンピック日本代表に選出される。横浜ベイスターズの内川聖一に首位打者と最高出塁率のタイトルを譲るものの、自身最高の打率3割4分7厘をマークする。
2009年には、2度目のWBC日本代表に選出。3番打者として大会連覇に大きく貢献した。また、東京ヤクルトスワローズのクライマックス・シリーズ初出場にも大きく貢献した。
2010年には、史上初めてとなる2度目の200本安打を達成。阪神タイガースのマット・マートンが、プロ野球史上最高となる214安打を放ったものの、自身最高の209安打を放ち、自身3度目となる首位打者に輝く。また同年、通算1000本安打を達成した。
2011年は、打率3割を切ってしまい、タイトル争いに関わらなかった。オフにポスティングシステムを使用し、ミルウォーキー・ブルワーズに移籍した。
2013年までの2年間で打率は常に.285を越えるなどブルワーズの中核で活躍したが、トレードにより2014年はカンザスシティ・ロイヤルズへ移籍。この年、ロイヤルズではリード・オフ・マンとして活躍。チームを29年ぶりのリーグ制覇、ワールドシリーズへと導いた。
シーズン後はFAとなり、前年のワールドシリーズで対戦したサンフランシスコ・ジャイアンツへ一年契約で移籍した。
2015年は打撃好調を維持していたが度重なる故障の影響で打撃不振に陥り、中盤は頭部死球を受け、9月以降のシーズンは全休となった。故障が懸念されたのか契約は延長されなかった。12月にシアトル・マリナーズと契約した。
2016年の開幕はマリナーズで迎えるものの、対左投手時に打てず、不振に陥りAAAへ降格。
その後はAAAで結果を残し、7月21日にメジャー昇格。打率.316と好調だったが、ピンポイントリリーフ等で左投手をぶつけられる事が多くなり、再降格。9月再昇格するものの、結果を残せずキャリアワーストの成績を残してしまった。
2017年開幕前にWBC日本代表として参戦。開幕後はヒューストン・アストロズへと移籍。6月11日の試合で日米通算2000本安打を達成し、名球会入り。
7月31日にフランシスコ・リリアーノとの交換トレードでテオスカー・ヘルナンデスとともにトロント・ブルージェイズに移籍するが、8月28日にブレット・アンダーソンをメジャーに昇格させる方針となったためFAとなる。
その後は9月2日にニューヨーク・メッツと契約を結んだ。これでMLBで渡り歩いた球団は7となり、野茂英雄と並び最多タイとなった。また、MLB両リーグ全地区に所属した初めての日本人選手となった。
同年シーズン終了後再度FAとなり、新たな所属先を探していた中、年越し後の2018年に古巣・東京ヤクルトスワローズへ復帰。NPB復帰1年目から打撃好調で、2021・2022年にはヤクルトでのリーグ優勝・日本一を経験した。2024年に現役を引退。
人物・エピソード
- 「俊足巧打」が持ち味のアベレージヒッターで、日本を代表するプロ野球選手の1人である。
- MLB時代は現地での評価が高かったが、日本のメディアにおける注目度は低かった。
- 2020年、ゴールデングラブ賞外野手部門を9年ぶりに獲得。これは最年長獲得記録となった。