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概要編集

1982年8月4日生まれ。大分県大分市出身。

ポジションは内野手(主に一塁手)・外野手、右投右打。


横浜時代編集

何処でも守れる器用さを売りに、大分工業高校から2000年オフのドラフト会議にて横浜ベイスターズ(現・横浜DeNAベイスターズ)から1位指名を受けて入団。

2年目の2002年から代打として結果を残し、2006年からは本格的にレギュラーへ。2008年には打率.378を残し右打者としては史上最高打率の記録となったが、この年はベイスターズの勝率が.338しかなく自身の打率がチームの勝率を上回るという珍現象が起きた。


2010年、フジテレビアナウンサー(当時)の長野翼と結婚。この年はリーグ3位の182安打・3年連続打率3割を記録。オフにFA宣言を行い、福岡ソフトバンクホークスへ移籍した。


福岡ソフトバンク時代編集

統一球に球が変更された2011年は、3番打者として打率.338で首位打者のタイトルを獲得。「セ・パ両リーグで首位打者」となるのは江藤愼一以来2例目となった。2016年までチームの主力として活躍し、以降は怪我の影響でスタメン落ちや代打起用が増えるも、2018年5月9日の埼玉西武ライオンズ戦で通算2000本安打を達成。

2019年は3年ぶりに規定打席に到達し守備率10割をマークし、ゴールデングラブ賞を初めて受賞した。


2020年は17年ぶりの2軍スタートとなった彼だが、2軍で好成績を残していても1軍から声が掛かることが全くなく、昇格のないままシーズンが終了。自ら退団を申し入れ、東京ヤクルトスワローズへ移籍した。


東京ヤクルト移籍後編集

セ・リーグでのプレーに戻った2021年からは控え選手として代打などで結果を残し、ソフトバンク時代から5年連続で所属チームが日本シリーズへ進出。シリーズはヤクルトが制したことにより、2017~2020年のソフトバンク4連覇と合わせて日本シリーズ「1人5連覇」を果たした。


リーグ連覇した2022年をもってNPBから離れ、独立リーグ九州アジアリーグ所属の大分B-リングスで1年間プレーし、現役生活を終えた。


人物編集

  • かなりのしゃくれたアゴ。2003年は視力が悪化したり握力が弱くなるなど、原因不明の体調不良に見舞われたが、それはアゴが右側に曲がって頚椎の神経を圧迫していたことが原因だった。歯の矯正を受けて症状は改善。
  • ホークスへFA移籍の際の、「横浜を出る喜び」など古巣に対する数多くのぐう畜発言から、なんJや野球板では「チック」とも呼ばれている。併せてソフトバンクの生え抜き扱いをされる等、本人が引退した現在でも横浜・DeNA球団(特に暗黒時代)を詰るネタとして使われることが多い。
    • しかし内川が横浜に腹を立てる気持ちも無理からぬことである。何せ横浜時代には試合前の練習に来た時に他に誰も来ておらず、対戦相手のチームの練習に混ぜてもらったなどという話もある。
  • なお、本人は自身の手記にて「横浜を嫌いになったことはない」と綴っており、引退時には週刊ベースボール誌上にソフトバンク、ヤクルト、そしてTBS時代の横浜で出会った全ての人に感謝しているとのコメントを残している。そのため安易な使用は控えるべきである。
  • 今上天皇第一皇女敬宮愛子内親王は両親の影響※で幼い頃からプロ野球を観戦しており、横浜時代の内川のファンだった。神宮球場での試合を皇太子(当時)一家が観戦した際は試合前に内川と歓談している。内川は「自分でいいのか」と思ったそうだが、当時8歳の愛子内親王は内川のブログを閲覧しており、愛犬の話等で盛り上がったという。またこの時に内川から愛子内親王に「どこかに飾っていただければ」との思いでサイン入りバットをプレゼントしているが、愛子内親王は大層喜び、学習院初等科から下校後毎日のようにサインバットでティーバッティングをしていたとのこと。

※父の今上天皇は元巨人の末次利光のファンとして知られ、母の雅子皇后は学生時代にソフトボールを嗜んでいた。



内川コピペ編集

まどか漫画 ほむら最後の希望

ベイスターズ時代の苦悩を描いたネタであり、ベンチ内で泣き疲れて眠っているうち1998年当時の黄金時代に彼がスターティングオーダーとして入っている夢を見るも、それは今際の夢であり、翌朝、ベンチで冷たくなっている姿で発見され、吉村と村田は病院内で静かに息を引き取ったという内容である。

その余りの切なさから、他球団や野球以外のスポーツ、果てはスポーツ以外のジャンルまで幅広く改変されるが、どんな改変をされようとも必ず最後の一文は吉村村田は病院内で静かに息を引き取った』で締められる。


関連タグ編集

プロ野球選手

引退したプロ野球選手一覧

ぐう畜


京田陽太:彼も内川聖一と同じく「古巣をコテンパンにできたらな」と「ある球団から出る喜び」を感じていた。なお、この様子はなんJ内で「脱浪」と表現される。

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