概要
1984年6月14日生まれ、福岡県出身。
東福岡高時代は43本塁打をマークするスラッガーだった。2002年ドラフトで高校の先輩にあたる村田修一とともに指名され、横浜ベイスターズ(現・横浜DeNAベイスターズ)に入団。
高卒ルーキーながら1年目の2003年にプロ初本塁打を放つ。2006年は開幕一軍入りし、一時離脱し規定打席に到達できなかったものの、打率.311、26本塁打の活躍でチームの中軸に成長。広島東洋カープ所属の梵英心と新人王争いを繰り広げた。
2007年は規定打席に到達し24本塁打、85打点をマーク。2008年には自己最多34本塁打、91打点を記録し、内川聖一と村田とともに強力クリーンナップを形成した。
2009年は自身初の全試合出場を果たすも、打撃は不振に終わる。2012年、開幕を二軍で迎え、わずか25試合出場でシーズン終了、オフに多村仁志・神内靖・吉川輝昭とのトレードで山本省吾・江尻慎太郎とともに福岡ソフトバンクホークスに移籍した。
ホークスでは代打としての活躍が多かったが、主力選手の故障時にはユーティリティープレイヤーとしてスタメン起用された。移籍2年目の2014年に全球団から本塁打を達成し、この記録と「全打順での本塁打」を達成した選手は吉村が日本プロ野球史上初となった。この年は18打数で代打率.500、出塁率.524と抜群の成績を残した。
2018年に戦力外通告を受けた。翌2019年はオランダのプロ・アマ混合リーグ「フーフトクラッセ」でプレーし、同年シーズン終了後日本に戻り独立リーグ入り。
2020年は琉球ブルーオーシャンズに、2021年は火の国サラマンダーズにそれぞれ在籍し、同年をもってプロ野球選手としてのキャリアは終了している。
人物
あだ名はモンチッチ。2008年オフにレーシック手術を受けて以降成績が悪化しており、2008年以前の活躍と比べてなんJ界隈では冷凍扱いされていた。
2016年のクライマックスシリーズでは、大谷翔平が吉村との対戦で165km/h(日本最速)を記録している。