プロフィール
出身 | 石川県能美市(旧能美郡寺井町) |
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生年月日 | 1994年4月20日 |
身長 | 184cm |
体重 | 83kg |
投球 | 右投げ |
打撃 | 左打ち |
守備位置 | 内野手(遊撃手) |
プロ入り | 2016年ドラフト2位 |
経歴 |
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経歴
小学校の2年時に軟式野球をはじめ、中学校への進学後に白山能美ボーイズへ所属すると、全国大会での準々決勝進出を経験。
青森山田高校への進学後は、1年生の春からレギュラー遊撃手に抜擢。しかし、同じ青森県内にある八戸学院光星高校の後塵を拝する格好で春夏とも甲子園には出場できなかった(当時は自身と同年齢で遊撃手のレギュラーに定着した北條史也が光星にいた)。
日本大学法学部公共政策学科へ進学すると、1年時からベンチ入り。3年時に東都大学野球リーグの春季2部リーグ優勝、昇格した秋季1部リーグで、遊撃手としてベストナインを獲得。4年時には、チームの主将を務める一方で、第40回日米大学野球選手権大会の日本代表に選抜された。
2016年のNPBドラフト会議で、中日ドラゴンズから2巡目で指名。指名の直後に出場した東都大学野球秋季1部リーグの東洋大学戦では4-3で勝利し、チーム25年振りの1部リーグ優勝を果たした。
ルーキーの2017年、3月31日の読売ジャイアンツ戦(東京ドーム)に「7番・遊撃手」としてスタメンで公式戦初出場。俊足巧打で6月からは「1番・遊撃手」で一軍のスタメンに定着し、141試合で149安打を放ってセリーグ新人王のタイトルを獲得した。
以降、プロ1年目から5年連続で100安打以上を記録し守備面でも遊撃手ではトップの座を争うなど、森繁和・与田剛監督時代では十分な実力を発揮したが、立浪和義監督に代わった2022年になると攻守で精彩を欠き一時二軍落ち。打率が2割を切るなど結果を残せず、シーズン終了後砂田毅樹との交換トレードで横浜DeNAベイスターズへ移籍した。
移籍後は本職である遊撃だけでなく、内野の複数ポジションを守る起用をされた。
バトルフェイス京田
…というのは彼に付けられた愛称。2022年シーズン、立浪監督が「戦う顔をしていない」というコメント・談話を残していた事に由来。
ベイスターズ移籍後はその「戦う顔」発言を元に、どんなプレーでも「バトル」とつけるネタが定着。好守を見せればバトルディフェンス、バトルフィールディングと言われ、適時打を打てばバトルタイムリー、四球を選べばバトルフォアボール(バトル四球)など、ポジティブな結果には何にでも「バトル」をつける。
2024年10月6日の対中日戦では2点バトルタイムリーを打ち、これが決勝打となった事で、中日は(5位とゲーム差無しで)3年連続の最下位が決定。同時に立浪監督への恩返しと介錯となってしまった。