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アリゾナ・ダイヤモンドバックス

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ありぞなだいやもんどばっくす

Arizona Diamondbacks(略表記:ARI)は、MLBに所属する球団。メディアによってはAZやARZと略表記されることもある。

概要

アリゾナ州フェニックスにあるチェイス・フィールドを本拠地とする、ナショナルリーグ西地区に所属する球団である。

チーム名はアリゾナ一帯の砂漠に生息するダイヤガラガラヘビに由来する。名前が長すぎるため英語では「D-Backs」、日本語では「Dバックス」と省略されることが多い。を意味する「スネークス(Snakes)」と云うニックネームでも呼ばれる。

チームカラーは1998年から2006年まで紫・黒・ターコイズだったが、2007年からは赤・黒・ベージュに変更した。赤はセドナのメサ(岩山)を、ベージュはソノラ砂漠をそれぞれイメージした色である。

歴史

1998年のエクスパンションによって誕生。参戦初年度こそナ・リーグ西地区最下位だったが、翌1999年に初の地区優勝。そして2001年にはランディ・ジョンソンカート・シリングの両エースなどの活躍によりニューヨーク・ヤンキースに勝利、ワールドシリーズを制覇した。

球団創設から4年でのワールドシリーズ初制覇は、1960年代以降に作られた新興球団の中で最速である。

主な球団関係者

日本人選手

オフシーズンになるとメジャーリーガーを目指す日本人選手に関してGMや球団社長が「興味深い」と発言した、本気獲りを明言したなどと、スポーツ新聞の紙面を賑わすのが恒例だが、実際に契約が成立した斎藤、平野、中後悠平、および社会人野球パナソニックからNPBを経由せずにMLBへ行こうとして日本のプロ・アマ両野球界を敵に回した吉川峻平はいずれも、契約前に球団からの本気獲り宣言は出ていない。

斎藤隆は同球団初の日本人選手として在籍したが、故障がちで殆ど試合に出られず、斎藤にとっては選手として最後に在籍したMLBの球団となった。

平野佳寿は初年度から勝ち試合の継投に組み込まれ、(前の投手が残した走者を度々還しているものの)連続無失点や新人投手としての登板試合数で球団記録を樹立する活躍を見せた。

この他、2016年にはBCリーグ武蔵ヒートベアーズへ入団が決まりかけていた中後悠平とマイナー契約したが、中後はメジャー昇格を果たせないまま、2018年6月21日をもって解雇された。

その他

2023年春季に元東京ヤクルトスワローズの捕手・監督だった古田敦也が、トーリ・ロブロ監督からの依頼で臨時コーチに就任する事が発表された。

古田は同球団及びメジャーリーグの在籍経験はないが、古田とロブロ監督は2000年にヤクルトスワローズでプレーしていた縁がある。

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