概要
京都府出身。鳥羽高時代は甲子園に出場しているが、この時はメンバー外だった。
京都産業大に進学後はエースとして君臨。2005年大学・社会人ドラフト希望入団枠でオリックス・バファローズに入団。
ルーキーイヤーの2006年、プロ初先発となった東北楽天ゴールデンイーグルス戦でプロ初勝利。一時は北海道日本ハムファイターズの八木智哉と新人王争いを繰り広げるが、7勝どまり。新人王も八木に譲る結果となってしまった。
2007年は投球スタイルを変え、奪三振数はリーグ10位を記録。完投数は前年の10から2に激減したが8勝を挙げて防御率も良化した。
2008・09年は不振に陥ったが、2010年に岡田彰布が新たに監督に就任すると中継ぎ(セットアッパー)に回りシーズン通して一軍に帯同、63試合に登板して39ホールドポイントを記録。翌2011年にはリーグ最多72試合に登板し49ホールドポイントを記録、この年の最優秀中継ぎのタイトルを獲得した。
2012年は前年までの疲れからか打ちこまれるケースが目立ったが、中継ぎながらチーム2位の7勝をマークするなど低迷したチームを支えた。
2013年は主に抑え投手(クローザー)として60試合に登板。パ・リーグ2位の31セーブを記録。翌2014年も主に抑え投手として62試合に登板しシーズン40セーブのパ・リーグ新記録(当時)を達成した。
2015年は不振に陥り配置転換の可能性もあったが、翌2016年はシーズン途中から再び抑えに戻って58試合の登板でパ・リーグ2位の31セーブを記録。
2017年は58試合に登板。シーズン終了後海外FA権を行使しMLBへの挑戦を表明し、アリゾナ・ダイヤモンドバックスへ移籍した。
2018年はダイヤモンドバックスで中継ぎ投手としてプレー。同年にMLBに移籍した大谷翔平がただただ信じられないばかりの活躍を残しており、平野の活躍は霞んでいるものの25試合連続無失点の球団記録を打ち立てるなど大活躍した。
2019年シーズン終了をもってDバックスとの契約が満了。球団GMからの「再契約を前向きに検討」なる発言が出たことで退団が決定的となり、翌2020年にシアトル・マリナーズと契約した。13試合に登板し4セーブを記録したがオフにFAとなり、またMLB他球団からのオファーが無かったため、古巣・オリックスへの復帰を決めた。
2021〜23年は抑え投手として錆び付きを感じさせない活躍を見せ、オリックスのリーグ連覇に大きく貢献。2023年10月にはNPB・MLB日米通算250セーブに到達し、名球会入りを決めた。
関連項目
ヨッシー:ダイヤモンドバックス入団後に付いたニックネーム。入団時の記者会見にて「Please call me Yoshi」と発言したことからネタにされた。また、ダイヤモンドバックス公式twitterも25試合連続無失点を達成した際の動画にもヨッシーの鳴き声が使われたり、リリーフカーに乗ったヨッシーのコラ画像を投下するなどかなりノリノリな様子。