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経歴編集

2001年8月25日生まれ、沖縄県宜野湾市出身。

ポジションは投手、左投左打。


宜野湾市立嘉数中学校時代では3年生の時にU-15ワールドカップの日本代表に選出。高校野球の名門である地元・興南高校に進学すると1年春からベンチ入りし、1年夏・2年夏で甲子園出場を経験。3年生の時にはU-18ワールドカップの日本代表に選出された。


2019年オフのドラフト会議にて、石川昂弥河野竜生の外れ外れ1位でオリックス・バファローズから指名されプロ入り。

2020年は2軍戦で実戦経験を積み、ウエスタン・リーグで最多勝を記録。同年10月4日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦で1軍初登板初先発を経験した。

プロ2年目・2021年は初の開幕ローテーション入りを果たすと先発23試合の登板でリーグ2位の13勝を挙げ、新人王のタイトルを獲得。

翌2022年もシーズンを通して先発ローテーションを守り、24試合に登板して11勝。チームのリーグ連覇に貢献したほか、日本シリーズでも好投し2022年の日本一に繋げた。


その後も先発ローテの一角として活躍。

2023年には3年連続となる2桁勝利、規定投球回到達を達成した。


2024年も山本由伸の代わりに先発ローテーションの中心選手として期待され、開幕投手としても登板。故障で一時登録抹消されるも復帰し、規定投球回こそ達成しなかったが20試合に登板し7勝を記録した。

同年11/24、京セラドーム大阪で行われた「Bs Fan-Festa 2024」で背番号を18に変更すると発表した。


選手としての特徴編集

多彩な球種を操る技巧派左腕。

ストレートとスライダーを軸にチェンジアップやフォーク、100km/h前後のカーブを織り交ぜるなど緩急を活かしたピッチングが持ち味。2021年の記事では当時19歳ながら「ベテラン」のようだと評された。

ここ数年は四死球率が2.0を下回るなど制球力も非常に高い。



人物・エピソード編集

高校生の時点で既にベテラン投手のような顔貌・風格を持っていたことから、興南高校の我喜屋優監督から「琉球じじい」というニックネームが付けられた。また千葉ロッテマリーンズ所属の佐々木朗希から、「お笑いトリオ・四千頭身の後藤拓実に激似」といじられた。


父が交通事故の後遺症で左腕が不自由になった影響から定職に就くことが出来ず、以下のように食事もままならないほど貧乏な家庭に育った。

  • 食事に出てくるのはルーとご飯だけの具なしカレー。水道が時々止められた。
  • 少年野球チームでプレーする際のユニフォームがつぎはぎだらけ。ひどいところは6枚重ね。また練習着を買えず試合用ユニで練習。
  • 小学生の頃に買って貰ったグローブは700円のビニール。そんな大切なグローブで、その硬さに苦心している所を見た父親が「柔らかくして使いやすいようにレンジでチン」して溶かしてしまう。

それでも父親からは「周りの子らはお金があるかもしれないが、お前には野球がある」と励まされて競技生活を続けることが出来たという。

こうした自身の経験から、2022年に「経済的な理由でスポーツを断念しなければならない」沖縄県内の学生アスリートを支援する一般社団法人「宮城大弥基金」を設立した。


7人兄弟で4歳年下の末っ子(姉2人・兄4人)の妹・宮城弥生は女優志望で、2023年4月16日放送の「アッコにおまかせ!」においてホリプロが手掛けるミュージカル「浜村渚の計算ノート」主演オーディションの舞台裏に密着したコーナーに参加のひとりとしてして紹介された(3次選考の3人に選ばれたが最終選考に残れなかった)。

兄がWBCの日本代表に選出されたのをきっかけに複数の芸能事務所からスカウトがあったが、弥生は5月1日付でホリプロに所属となった。(スポーツ報知より


関連項目編集

オリックス・バファローズ 投手 プロ野球選手

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