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概要編集

NHL(ナショナル・ホッケー・リーグ)のチーム。愛称はYotes(ヨーティーズ)。

2023-24シーズン終了を以って活動を休止している。


チームカラーは、レンガ色、ベージュフォレストグリーンシェンナ

創設時はカナダマニトバ州ウィニペグを本拠地として『ウィニペグ・ジェッツ』を名乗っていたが、現在の同名チームと繋がりは無い(初代ジェッツの歴史はコヨーテズに繋がっている)。


歴史編集

創設~初代ウィニペグ・ジェッツ編集

1972年に初代ウィニペグ・ジェッツとして創設され、NHLに対抗するリーグとして設立されたWHA(ワールド・ホッケー・アソシエーション)に加盟した。

WHA時代はアヴコカップ(NHLのスタンレーカップに相当)の決勝戦に5回出場し、3度優勝した。出場回数・優勝回数ともにWHA最多であった。

1979年を以てWHAは活動を停止し、NHLに吸収される形で統合され、チームはエドモントン・オイラーズ、ニューイングランド・ホエーラーズ(現:カロライナ・ハリケーンズ)、ケベック・ノルディックス(現:コロラド・アバランチ)の3球団と共にNHLへ参入した。

NHL加盟後は大きく戦力が低下し、アリゾナへ移転する迄にディヴィジョン優勝は無かったが、17シーズンのうち11シーズンでプレイオフへ進出した。しかし初戦突破は2回だけであり、どちらも第2ラウンドでオイラーズに敗れている。


フェニックス・コヨーテズ編集

1996年、市場規模の大きい本拠地を求めて当時のNHLの本拠地で最小規模の都市圏だったウィニペグからの移転を計画。ノーススターズを失ったことでNHLの空白地域となっていたミネソタ州(マニトバ州の南隣に位置する)ヘ移転するものと見られていたがミネアポリスとはホームアリーナの使用契約が合意できなかったため、チームはアリゾナ州を新たな本拠地として『フェニックス・コヨーテズ』になった。

2005-06シーズンから4年間、元スター選手(但し第1次ジェッツおよびコヨーテズでは選手としてプレーしていない)ウェイン・グレツキーがヘッドコーチとして指揮を執ったが、4年全てで負け越してプレーオフ進出はできなかった。


当時の本拠地であったアメリカ・ウェスト・アリーナ(現在のフットプリント・センター)の使用料金で不利を被って球団の経済的損失は解消出来ない額(最大で年間4000万ドル)に膨れ上がり、2008年にはNHL機構が球団の債務支払いを肩代わりしていることが明るみに出てしまう。球団は2009年に破産を申請。オンタリオ州ハミルトンに移転を考えていた実業家が買収に名乗り出るも破産裁判所に却下され、オーナー不在となった球団はNHL機構の管理下に入り、負債も機構が背負うことになった。

オーナー不在の時代、2011-12シーズンにNHL加入後では唯一の地区優勝を果たし、プレーオフではカンファレンスファイナルまで勝ち上がったがロサンゼルス・キングスに敗れた。活動休止前のチームがプレーオフで複数のチームに勝利したのは、この年だけだった。


アリゾナ・コヨーテズ編集

球団の買い取りには複数のグループが名乗りを挙げたが、アリゾナでの興行に拘るNHLと負債の回収を求めるグレンデール市が移転させないことを条件として譲らなかったことから売却交渉は決裂が続き、4年間オーナー不在の状態が続いた(この時、移転先としてウィニペグラスベガスシアトルなどが考えられていたとされているが、それぞれが後に他のチームの本拠地となっている)。

2013年、漸く新たなオーナーが決まり球団は売却され、2014年からは『アリゾナ・コヨーテズ』に改名した。


2019-20シーズンまではパシフィックディヴィジョンに属していたが、COVID-19の感染拡大対策で2020-21シーズンは西地区(ホンダ・ウェスト)に割り振られ、2021-22シーズンからはシアトル・クラーケンの参入による地区割り再編でセントラルディヴィジョンへ編入された。


2022年に当時のホームだったグレンデールのヒラリバー・アリーナ(後のデザートダイアモンド・アリーナ)との使用契約交渉が決裂した後、テンピに在るマレット・アリーナ(アリゾナ州立大学の多目的アリーナ。収容人数は約4,600人)を暫定本拠地として、テンピ、メサ、スコッツデール等のフェニックス都市圏に新たなホームアリーナを建設する予定だったが、これらの建設計画が何れも否決されホームアリーナとして使用できる施設を確保できないため、2023-24シーズン終了後に球団は活動休止を表明。コヨーテズの資産は実業家のライアン・スミスに売却され、ユタ州ソルトレイクシティに新たなチームが創設されることになった。


『アリゾナ・コヨーテズ』の名前や歴史などの知的財産は前オーナーのアレックス・メレーロが引き続き保持し、2029年までに本拠地問題が解決した場合はエクスパンションチーム設立時に引き継がれるものとされていたが、ホームアリーナ建設を予定した土地の競売を2024年6月27日にアリゾナ州土地局が差し止めたことで、メレーロは球団の再興を断念、オーナー職を辞任すると発表した。

アリゾナ州側の一方的な動きに対して、球団側は「コヨーテズの活動再開を妨げる嫌がらせ」であるとして訴訟をチラつかせる声明を発している。


コヨーテズの解散・消滅が決定した場合、ユタ・ホッケークラブが正式にコヨーテズの後継球団となるのか、ウィニペグ時代の歴史と戦績はユタHCと現在のジェッツのどちらが引き継ぐのか(或いはどちらにも引き継がれないのか)などは現時点で定まっていない。


1979年のNHL参入以来、2024年の活動休止まで45年間スタンレーカップファイナルへ進出することは遂に無く、決勝戦未進出のチームの中では2024年の時点でNHL最長ワーストとなっている。

地区優勝は“フェニックス”時代に1回あるがプレジデンツトロフィー争いには絡めなかった。


チーム名変遷編集

  • ウィニペグ・ジェッツ (1972-1996)
  • フェニックス・コヨーテズ (1996-2014)
  • アリゾナ・コヨーテズ (2014-2024)

主な球団関係者編集

永久欠番編集

番号人物名ポジション
19シェーン・ドーンライトウィンガー
99 (※a)ウェイン・グレツキーNHL全球団共通の永久欠番

※a) グレツキーは選手としての在籍は無いが、2005年から4シーズンの間コヨーテズでヘッドコーチを務めた。


名誉番号編集

番号人物名ポジション
7キース・カチャックレフトウィンガー
9 (※b)ボビー・ハルレフトウィンガー
10 (※c)デール・ハワーチャックセンター
25 (※d)トーマス・スティーンセンター
27テッポ・ヌミネンディフェンダー
49 (※e)レイトン・アッカードファン
97ジェレミー・ローニックセンター

※b) 第1次ジェッツでは永久欠番。2005年に息子のブレット・ハルが5試合で使用している。

※c) 第1次ジェッツの選手。

※d) 第1次ジェッツでは永久欠番。

※e) により9歳で死去した地元ユースホッケークラブ所属の子ども。


関連項目編集



コヨーテ

アイスホッケー NHL

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