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ニューヨーク・ヤンキース

にゅーよーくやんきーす

アメリカンリーグ東地区に所属しているMLBの球団

概要

メジャーリーグの球団の一つ、恐らく世界で一番有名なチームだが、背番号と永久欠番の概念を生み出したチームであることはそれ程知られていないと思われる。
ピンストライプのユニフォームと資金の豊さに定評がある。
数々の名選手を生み出し、古くは、ベーブ・ルース(3)やルー・ゲーリッグ(4)、ジョー・ディマジオ(5)等、21世紀に入りジョー・トーリ(6)とデレク・ジーター(2)も永久欠番となったため、0を除くひと桁の背番号は全て永久欠番となっている。マリアーノ・リベラ(42)はMLBで最後まで42番を背負っていた選手として有名である。
いずれは背番号3桁のスター選手も出そうな勢いである。

日本で言う所の読売ジャイアンツみたいな存在ではあるが、スケールの大きさで言えば桁違いであり、巨人も数億円単位でFA選手を毎年のように獲得しているが、ヤンキースは桁違いの規模のマネー(複数年で100億円以上、1年あたり年俸10億円以上はザラで、ジーターひとりの年俸がフロリダ・マーリンズの25人枠登録全選手の年俸総額を超えているなんて年もあった)でスター選手をそろえている。
あまりに集め過ぎるので、MLBが1球団あたりの総年俸が限度額を設けて、それを越えた球団には「ぜいたく税」を科したほどで、明らかにヤンキースに対する嫌がらせともいうべき処置だったが、ヤンキースは構わずぜいたく税も払った上で有名選手をかき集めていた。

かつての名物オーナー、ジョージ・スタインブレナーなども渡邊恒雄と比較されがちだが、こちらは数度にわたって、選手を脅迫した等の理由で、MLBから複数回永久追放処分を受けてはその都度復活し、以降も毎年のように監督を代えるなどトラブルは絶えず、球団同様にスケールの違いを見せつけていた。嫌われ度も他球団のオーナーやゼネラル・マネージャーとは段違いで、選手への野次が飛び交うヤンキースタジアムのライトスタンドでは選手への野次について余りにも野蛮もしくは卑劣なものは自主規制される習慣があるが、スタインブレナーへの野次については例外とされており、「ジョージ! さっさとクリーブランドに帰っちまえ!」などというのは、まだまだ優しい部類の野次に属するとされていた。
ジョージが死んだ後オーナーの座を継いだ息子のハルは贅沢税を回避するためのコスト削減をやっているので、キャラが弱いと言うか親父と比べて勝利への執念が薄く冷めているように思われる。

歴史

1900年にアメリカンリーグが発足した際、ニューヨークに球団を置く事が検討されたが、当時、ニューヨーク・ジャイアンツが存在していたため、別の球団が移転し、野球空白区となっていたボルチモアに「ボルチモア・オリオールズ」(現在の同名球団とは別)として発足した。1903年にジャイアンツと和解しニューヨークヒルトップ・パークを本拠地とする「ハイランダーズ」となる。1913年にジャイアンツとポロ・グラウンズを共用する形となり、同時にボストン・アメリカンズに対抗した愛称「ニューヨーク・ヤンキース」を正式な名称とした。しかしベーブ・ルースの獲得で勝てるチームになり人気が上昇すると、ジャイアンツからポロ・グラウンズの使用禁止を言い渡されてしまう。そこで、自前の球場ヤンキー・スタジアムを建設し、1923年に完成するとそこを本拠地とした。この頃のヤンキースは「殺人打線」と称される超強力打線を築き、黄金時代を享受した。しかし、1965年以降他球団と比べ黒人差別が強く、黒人の入団をためらっていたヤンキースは一気に成績が低迷した。黒人受け入れには消極的だったがアジア出身選手の受け入れ(25人枠登録)はMLB全体の6番目で比較的早かった。
2009年、2代目となるヤンキー・スタジアムの建設に前後し松井秀喜の活躍もあり再び全米一位となり強いヤンキースが復活する事となった。

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