概要
ジョセフ・ポール・ディマジオ(Joseph Paul DiMaggio, 1914年11月25日 - 1999年3月8日)ニックネームは「ヤンキー・クリッパー(The Yankee Clipper)」「ジョルティン・ジョー(Joltin' Joe)」。右投右打。
1932年10月、兄のビンス・ディマジオが所属していたパシフィックコーストリーグのサンフランシスコ・シールズと契約。1934年はシーズン途中で膝を故障。シーズン後、チームはニューヨーク・ヤンキースとの間でディマジオ1人と、4人+5,000ドルを交換するトレードを成立させた。
ベーブ・ルースの引退後の1936年、ヤンキースからメジャーリーグにデビューし、打率.323、29本塁打、125打点とルースの穴を埋めて余りある成績を残した。翌1937年には46本塁打を放ち、メジャー2年目で本塁打王となる。
1941年には56試合連続安打を達成。この連続試合安打記録はメジャー記録であり、現在も破られていない。
1951年に現役引退。ディマジオの背番号5は、引退と共にヤンキースの永久欠番に指定されている。また、指定当時、ヤンキースで存命する唯一の永久欠番選手だった。
MLB通算成績、試合1736、打席7671、安打2214、HR361、打点1537、打率.325
人物
グラウンドでの態度やファンへの誠実な対応は、野球選手の鑑とされた。
他にも引退後にはコーヒーメーカーMr. Coffee社のCMに起用され、「ミスター・コーヒー」とあだ名がつけられた。
そのディマジオの人生の成功ぶりは「アメリカ人の成功者の中で生まれて一度もレストランや飛行機の予約をしたことがないのはディマジオだけだ」、「ビートルズのメンバー以外では最高にリッチな人生を送った」とアメリカで語られるほどであった。
マリリン・モンローと出会い1954年1月14日に二人は結婚し、同年2月1日に新婚旅行で日本を訪れた。しかし、モンローのスカートがめくれ上がり、太ももと下着が露わになる有名なシーンで知られる『七年目の浮気』の撮影に居合わせたディマジオと大喧嘩をしたモンローが「心理的虐待」を受けたとして離婚訴訟を起こし結婚後わずか274日で離婚した。
1962年にモンローが死去。モンローを前に「愛している」と声をかけ続け、涙を流したと伝えられている。
ディマジオは1999年3月8日に肺がんで死去した。84歳没。