概要
本名:ジョージ・ハーマン・ルース
所属球団:ボルチモア・オリオールズ(※)→ボストン・レッドソックス→ニューヨーク・ヤンキース→ボストン・ブレーブス
身長188cm・体重約98kg
投手として、大リーグ通算94勝46敗、20勝以上を2回含む4度の2桁勝利を挙げ、1916年には最優秀防御率のタイトルを獲得しており、1916年に挙げたシーズン9完封は左投手としての完封数の記録として1978年に破られるまで、半世紀以上に渡る大リーグ記録だった
変わった記録としては、彼が先発した試合で1死も取れずに審判の判定にクレームをつけて、退場処分を受け、後を受けた投手がその後一人のランナーも許さず、ノーヒットノーランを達成(一時期完全試合とも記録されていたが、現在ではこちらに落ち着いている)、実は「継投によるノーヒットノーラン」を初めて達成した先発投手(ただし勝利には全く貢献せず)である(日本では継投でのノーヒットノーランを記録として認めてないが、アメリカでは継投での達成を認めている。ちなみに、日本人メジャーリーガーではカブスの今永昇太が2024年に先発7回を投げて達成したことがある)。
また、1918年には、投手として13勝、打者として11本のホームランを打ち、史上初となる「同一年度での二桁勝利かつ二桁本塁打」を達成。これは、2022年8月9日にエンゼルスの大谷翔平が10勝かつ25本塁打(シーズン最終記録は15勝&34本塁打)を達成するまでは、メジャーリーグで唯一の記録であった(あまり知られていないが、この年に自身初となる本塁打王のタイトルも獲得している)。
というように、このベーブ・ルースという投手は「投手として記録に残る選手である」である事には間違いない。
・・・はずなのだが、打者に専念して以降の成績がそれ以上に強烈だった為に、投手として記憶される事が(打者に比べ)ほとんどないのは仕方ないか。
日本でも打者としては超有名ではあったが、久しく投手としてのベーブルースの事が扱われることは少なかった。しかし、2010年代に日本のプロ野球で大谷翔平が二刀流選手として活躍するようになり、さらにはその大谷自身がメジャーリーグにおいても二刀流選手として華々しい活躍を見せるようになると、その比較対象としてベーブの投手時代の活躍にも再び大きな注目が集まるようになり、過去の有名な二刀流選手として、ベーブの投手時代の記録がようやく日の目を見た。
打者としての活躍、通算714本塁打(ホームラン)、本塁打王12回、打点王6回、首位打者1回など数々の大記録を打ち立てた。
当時のホームランの出にくさ、後にMLB歴代1位記録となる通算762本塁打を記録したバリー・ボンズ、1998年のMLBシーズン最多本塁打記録対決を争ったマーク・マグワイアとサミー・ソーサを始めとするスラッガーに薬物疑惑(彼らの場合はほぼ確定とされる)があることを考えると、その記録は単純な数値以上に偉大とされる。特に本国でより重視されるのはドーピングなしでの本塁打記録という点である。
2020年代におけるアメリカ本国ではMLSを平幕とするとMLBは幕下レベルのマイナースポーツにまで人気が低迷しており、ベーブ・ルース以外の野球選手を知らない若者もざらである(あの大谷翔平すら知らない人が若年層には普通にいるぐらいなものである)。ベーブ・ルースの認知度の高さはこのような形で逆説的にだが窺い知れる。
なお、現在は選手の肉体やパフォーマンス・栄養学・データ分析等がルース存命時と比べて大きく進んだことで、打者としての彼の成績は既に幾人かの選手に追い越されてしまっているが、ハンク・アーロンやアーロン・ジャッジにしろ、日本の王貞治にしろ、投手タイトルまで取った選手は皆無であり(何かと比較される大谷選手も打者タイトルは獲得したことがあるが、投手タイトルはまだ未取得である)、そう言った観点からしても、ベーブ・ルースが最も偉大な大リーグ選手である、というのは否定しがたい事実であろう。
その成績以外でも、筋骨逞しいメジャーリーガーのイメージとはちょっと違うポッチャリ体型(と言うより関係者に真剣にダイエットを言い渡された程の完全なデブ)や子供っぽい性格(『Babe(赤ちゃん)』のあだ名の由来でもある)等もあって現役時代からその人気は相当なものであり、彼自身ファンサービスには非常に積極的だった。
私生活では派手好きで毎晩の夜遊びは日常茶飯事、加えて審判を殴って退場になるなどの粗暴な性格で知られ、試合前にビールを飲むほどの酒好きとして認知されていたが、自身が不遇な幼少期(貧しい家の出で完全な不良少年に育ってしまったせいで7歳で矯正学校に入れられた過去を持つ)を送ったせいか子供のファンには滅法弱く、お金がなくてチケットが買えず野球場を眺めていた子供たちに実費でチケットを買ってあげたり、暴飲暴食や練習不足から成績不振が続いていたルースを励ますパーティーで、そこに出席していた議員から「アメリカ中の子供たちが君を英雄のように思っているのに、その英雄がこんな体たらくでいいのか?」と諭され、マジ泣きして反省し、不摂生を止めたエピソードまである。
当然子供達にとっても彼の影響力は絶大………をはるかに通り越して非常識レベルだった様で数々の逸話を残している。
『重病で長期入院中の少年がルース直々に「お前の為にホームランを打ってやる」と言う約束を有言実行されて病気を克服、軍人を経て梱包機械会社の社長にまで登り詰めた』というあまりにも有名な物もあれば、『ルースが通りすがりに声をかけただけの小児麻痺で2年間自分の足で立てなかった子供がとっさに立ち上がった』という最早どっかの神様レベルなものまである。プレー面でも「ピッチャーの股間抜けの打球がバックスクリーンに飛び込むホームランとなった」という荒唐無稽な逸話が存在する。もちろん、これらの逸話の中には大幅に脚色されたり他のエピソードと混同されて伝わっているものもあるなど不正確なものも多いが、彼の当時の人気や影響力がどれほど凄まじいものだったのかがよくわかると言えよう。
そんな彼も病魔には勝てず、1946年に鼻咽頭がんを発症、2年後に病死した。
死の直前には、往年のぽっちゃり体型が嘘だったかのようなガリガリの痛ましい姿になっていたとされ、見舞いに訪れた人々は大変大きなショックを受けたという。
しかし「野球界で最も偉大な英雄」として現在でもアメリカ野球界では神聖で不可侵な存在であり、日本で言えば長嶋茂雄と王貞治とイチローと大谷翔平を足してもまだ足らないといっても過言ではない。
そして没後70年となる2018年には当時のトランプ大統領から「大統領自由勲章」が贈られた。
これはアメリカにおける市民勲章の最上位であり、いかに彼が人々の心に刻まれ、愛されているかがうかがえる。
野球の神ベーブ・ルース。その功績は永遠なり。
※:現在のオリオールズとは別のマイナー球団。
関連タグ
大谷翔平:日本とメジャーリーグでベーブ・ルースと同じ1シーズン2桁勝利・2桁本塁打を達成した選手(日本球界では初。現時点で日本とメジャーでそれぞれ2回ずつ達成)で、デビュー以降、しばしばベーブと比較されていた。ただし、投手と打者を同時にこなしている大谷とは異なり、ベーブは元々二刀流に乗り気ではなく、打者に専念して以降は投手として試合に出場したことは殆どなかったなどの違いはある。加えて、その後大谷選手が50本塁打・50盗塁等、ベーブ・ルースでも達成できなかった記録を次々と打ち立てていくにつれ、次第に両者を比較する意見は聞かれなくなっていった。両者の生きた時代は100年以上もの開きがあるため一概に比較することはできないものの、選手としての総合的な実力やポテンシャルの高さは既に大谷の方がベーブを上回っているのではないかとする見方も多い。
金城漢、韓国人初・1シーズン2桁勝利・2桁本塁打を達成した選手(韓国リーグで金は1982年に達成)。
沢村栄治:日本のプロ野球が始まるより以前の1934年12月に開催された日米野球大会で、沢村がベーブを三振に打ち取り8回5安打1失点と好投した。その時の会場だった静岡県草薙球場は2度の改修を経て『澤村 - ベーブ・ルース Memorial Stadium』の愛称が付けられた。
アイスクリーム:思い入れの強い食べ物。少年期、一緒に遊んでいた悪ガキたちにアイスを奢るため自宅で1ドル札くすねたというエピソードがある。