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韓國プロ野球

かんこくぷろやきゅう

文字通り韓国で興行されているプロ野球。1982年に韓国野球委員会(KBO)が設立されプロリーグが始まり、2015年からはKBOリーグという名称で行われている。
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主なレギュレーション編集

1999年と2000年にドリームリーグとマジックリーグと2リーグに分けて開催された時期を除いて、日本と違って1リーグ制で開催されている。(なお、2軍は移動の利便性を考慮し、北部と南部に分けて2リーグ制で運営されている。)

指名打者制度を採用し、各チームは助っ人を3人まで保有することができるが、3人全員を投手などといった偏った形ので登録は認められていない。


レギュラーシーズンの順位をもとに2位から5位で締めた球団による、上位優位のトーナメント方式でポストシーズンを行い、レギュラーシーズン1位の球団とポストシーズンで勝ち上がった球団による韓国シリーズで、4勝方式でそのシーズンの優勝球団を決定する。


韓国球界の勃興と衰退編集

かつて北京オリンピックを制し、WBCでは第1回3位(総当たり等での準決勝敗退チームで成績が上回った事から)・第2回準優勝と輝かしい結果を残し、前述した3大会では幾度となく日本代表と激突し死闘を繰り広げるなどアジア野球の盟主の1つとして日本と共に名を馳せていた韓国野球だが、2013年開催の第3回WBCでまさかの1次リーグ敗退を喫する。

その後2015年に開かれた第1回プレミア12では優勝するも、以降の国際大会ではアジア大会を除く殆どの大会で結果を残せなくなってしまった。

WBCでも同様で、2017年開催の第4回では予選から勝ち上がってきたイスラエル代表に敗れる不覚を取り1次リーグ敗退。第5回では11位と7位だったオーストラリア代表と3大会振り優勝した日本代表(歴代のトップチームでは2017年のAPBC含めて4連覇)に敗北(しかも日本代表にはコールド負け1歩手前の惨敗を喫する有様)し、3大会連続の1次リーグ敗退という不甲斐ない結果に終わってしまう。


韓国プロ野球のレベル低下については近年KBOからNPBMLBへ移籍した選手がまったく通用せず、他方でNPBやMLBで泣かず飛ばずだった選手がKBOでは大活躍するといった事例が多発したことから以前から指摘されていたが、第5回WBCでの敗退を機に韓国野球の失墜が改めて浮き彫りになってしまった。


その理由として、兵役による戦力の安定した維持がそもそも難しいという点に加え、投手のレベル低下、選手育成力の低下、人材不足(他の国同様、競技人口が減っていることに加え、そもそも韓国は不動産価格の上昇や教育費の高騰の影響もあり、日本以上に少子化が進んでいることで有名)による年俸バブルや、それに伴う選手同士の競争力や向上心の低下が指摘されている(参考)。また、日本で唯一の韓国プロ野球専門のジャーナリストとして知られる室井昌也のコラムによると、高校野球が木製バットで行われるようになってから競争力が低下したという(参考)。これはNPBの千葉ロッテにも所属した金泰均も同様の指摘を行なっている(参考)。


また、2010年代以降は八百長、賭博、公然猥褻など相次ぐスキャンダルに見舞われ、2021年には遠征先のホテルに女性を招いて宴会を開く新型コロナウイルス感染対策違反でKBOの公式戦が中断される事態に発展する事態になったり、2024年シーズン前にKIA監督がスポンサー企業からの金品授与により収賄疑惑で解任があったりするなど起きている。その上に2020年から現役選手の飲酒運転が毎年のように摘発されている(韓国民の飲酒量は日本国民を凌ぐと言われている関係上)。こうしたスキャンダルは氷山の一角に過ぎない。

こうしたスキャンダルが韓国野球の人気低迷やレベルの低下に大きく関与しているとされているが、各球団がSNSによる広報活動で獲得した女性ファンの増加や2000円前後で3時間程歌って踊って楽しめるといった工夫や敷居の低さから、2024年にはリーグ全体の総観客動員数が1000万人を突破するなど野球人気そのものには翳りを見せてはいない。(参考)


また、韓国野球界も2023年のWBCで日本に大敗、決勝ラウンド未進出という事態を重く見て、今一度野球のレベル強化に努める姿勢を打ち出しており、若手の育成と戦力発掘に力を入れ始める。その最初の成果として2023年秋のアジア大会野球競技において優勝を飾り、参加した若手選手は兵役が免除される大きなアドバンテージを得た。

再興には時間がかかるだろうが、いつの日かまた日本をはじめとする世界の強豪国と果敢に渡り合う韓国野球チームの雄姿が見られることを期待したい。


特徴編集

日本のプロ野球との大きな違いは、本拠地とビジターのユニフォームをそれぞれ着用した観客が隣合せで観戦したり、試合を行っているチーム以外の球団ユニフォームを着て観戦する観客がいたりとややフリーダムな雰囲気が見られたり(日本のように、相手球団や当該試合とは関係無い球団のユニフォームやグッズ持ち込みに対する規制を厳しく設けていない)、

鳴り物を使わずスピーカーで音楽を流し、内野席に設けられたステージで応援団長と数人のチアガールが観客に向かって鼓舞し一緒になって応援するスタイルを採っている(WBSC野球及びBFA選手権等でも韓国側の攻撃の際に採用されている)。なお、チアガール応援は韓国の応援スタイルに衝撃を受けた台湾プロ野球にも波及し、アジアプロ野球チャンピオンシップ(APBC)では、これに併せて日本代表の応援団も各チームから選抜したチアガールが応援を盛り上げるスタイルが取られるようになったり、KIAの応援席で活動するチアリーダーが披露したピキピキダンスが各種SNSを通じてアイドルが真似するなどの人気を呼びNFLダラス・カウボーイズのチアリーダーまでもがSNSで披露するなど、チアリーダーによるパフォーマンスが韓国のみならず周辺国で波及を生む現象が起きたりもしている。

斗山ベアーズのチアリーダー

また、2024年より23秒タイマーが増設され、試験運用期間から本運用に至った場合、ボールが1つ追加される規程が適用される見込となっている。


日本との関連編集

リーグ創成期は韓国にルーツを持つNPB出身選手が海を渡り、新浦寿夫や福士敬章が助っ人選手として大記録を残すなどの活躍もあったが、制度変更や1998年から外国人選手登録を導入した事でルーツ持ちの選手加入は少なくなっていった。

また、2003年に入来智が外国人選手として登録された初の日本人選手となり、2008年には高津臣吾が創設したてのウリ・ヒーローズに入団。2011年にサムスンに所属していた門倉健以降は10年以上に亘って日本人選手の加入が無かったが、2024年に導入された代替外国人制度により徳島インディゴソックスの白川恵翔がKBOリーグにおける13年振りの日本人選手としてプレーした。

日本大手メディアにて韓国プロ野球が報道される機会は少なく、テレビ放送では国際大会になってようやく要注意選手がピックアップされる位の姿勢に留まることが多い。また、KBO側も日本に向けた広報活動を行うことは稀で、互いに全貌が見えない状態が続いている。

2006-2009年の第一回、第二回WBCで日本敗北後にマウンドに韓国国旗を立てられた屈辱や逆にやり返した時の高揚感、第一回プレミア12でも決勝で敗れた記憶などを引きずり続け、あまり良い印象を持っていない日本の野球ファンも多いが、実はKBO内ではここ数年のうちに日本プロ野球でプレーすることに憧れたり、日本人選手のファンを公言している選手も増えてきている。ネットの配信文化の発達によって、日本国内にもKBOリーグについて興味を持つユーザーも現れ始めている。

秋季教育リーグの参加、高知県鹿児島県沖縄県春季キャンプを行ったり、逆に福岡ソフトバンクホークス3軍が韓国へ遠征するなど、選手個々人よりも日韓間のチームでの交流が多い。

現在リーグに参加してるチーム編集

球団名球団名(英語)本拠地最初参加年
斗山ベアーズDoosan Bearsソウル蚕室総合運動場野球場1982年
LGツインズLG Twinsソウル蚕室総合運動場野球場1982年
起亜タイガースKIA Tigers光州KIAチャンピオンズフィールド1982年
サムスンライオンズSamsung Lions大邱サムスンライオンズパーク1982年
ロッテジャイアンツLotte Giants釜山社稷野球場1982年
ハンファイーグルスHanwha Eagles大田ハンファ生命イーグルズパーク1986年
SSGランダーズSSG Landers仁川SSGランダースフィールド2000年
キウムヒーローズKiwoom Heroesソウル高尺スカイドーム2008年
NCダイノスNC Dinos馬山総合運動場野球場2013年
ktウィズkt wiz水原ktウィズパーク2015年

かつて存在したチーム編集

球団名球団名(英語)本拠地最初参加年最後参加年
サンバンウルレイダースSsangbangwool Raiders全州公設運動場野球場1991年1999年
現代ユニコーンズHyundai Unicorns水原総合運動場野球場1982年2007年

歴史編集

太字は韓国シリーズ制覇

斜体は韓国シリーズ敗退(準優勝)

1980年代編集

1位2位3位4位5位6位7位
1982年OBサムスンMBCヘテロッテ三美/
1983年MBCヘテ三美サムスンOBロッテ/
1984年OBサムスンMBCロッテヘテ三美/
1985年サムスンロッテヘテOBMBC三美→青宝/
1986年ヘテサムスンMBCOBロッテ青宝ビングレ
1987年ヘテサムスンロッテOBMBCビングレ青宝
1988年ヘテビングレロッテサムスンOBCMBC太平洋
1989年ビングレヘテ太平洋サムスンOBMBCロッテ

1990年代編集

1位2位3位4位5位6位7位8位
1990年LGサムスンヘテビングレ太平洋ロッテOB/
1991年ヘテビングレサムスンロッテ太平洋LGサンバンウルOB
1992年ビングレヘテロッテサムスンOB太平洋LGサンバンウル
1993年ヘテサムスンOBLGビングレロッテサンバンウル太平洋
1994年LG太平洋ヘテ、ハンファ/サムスンロッテOBサンバンウル
1995年OBロッテLGヘテサムスンハンファ太平洋サンバンウル
1996年ヘテサンバンウルハンファ現代ロッテサムスンLGOB
1997年ヘテLGサンバンウルサムスンOB現代ハンファロッテ
1998年現代サムスンLGOBヘテサンバンウルハンファロッテ
1999年斗山ロッテサムスンハンファ現代LGヘテサンバンウル

2000年代編集

1位2位3位4位5位6位7位8位
2000年現代斗山サムスンLGロッテヘテハンファSK
2001年サムスン現代斗山ハンファヘテ→KIALGSKロッテ
2002年サムスンKIA現代LG斗山SKハンファロッテ
2003年現代KIAサムスンSKハンファLG斗山ロッテ
2004年現代サムスン斗山KIASKLGハンファロッテ
2005年サムスン斗山SKハンファロッテLG現代KIA
2006年サムスン現代ハンファKIA斗山SKロッテLG
2007年SK斗山ハンファサムスンLG現代ロッテKIA
2008年SK斗山ロッテサムスンハンファKIAウリ→ヒーローズLG
2009年KIASK斗山ロッテサムスンソウルLGハンファ

2010年代編集

1位2位3位4位5位6位7位8位9位10位
2010年SKサムスン斗山ロッテKIALGネクセンハンファ//
2011年サムスンSKロッテKIA斗山LGハンファネクセン//
2012年サムスンSK斗山ロッテKIAネクセンLGハンファ//
2013年サムスン斗山LGネクセンロッテSKNCKIAハンファ/
2014年サムスンネクセンNCLGSK斗山ロッテKIAハンファ/
2015年斗山サムスンNCネクセンSKハンファKIAロッテLGkt
2016年斗山NCネクセンLGKIASKハンファロッテサムスンkt
2017年KIA斗山ロッテNCSKLGネクセンハンファサムスンkt
2018年SK斗山ハンファネクセンKIAサムスンロッテLGktNC
2019年斗山キウムSKLGNCktKIAサムスンハンファロッテ

2020年代編集

1位2位3位4位5位6位7位8位9位10位
2020年NC斗山ktLGキウムKIAロッテサムスンSKハンファ
2021年kt斗山サムスンLGキウムSSGNCロッテKIAハンファ
2022年SSGキウムLGktKIANCサムスンロッテ斗山ハンファ
2023年LGktSSGNC斗山KIAロッテサムスンハンファキウム
2024年KIAサムスンLG斗山ktSSGロッテハンファNCキウム


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