概要
韓国プロ野球の球団。本拠地は釜山広域市。
千葉ロッテマリーンズとは同じロッテを親会社とする球団であることから兄弟球団である。そのため、現在でもマスコットのデザインとモチーフはマリーンズと類似したものを使用している。2018年にリニューアルされるまではエンブレムも類似だった。
一時期、日本のロッテ球団と殆ど同じユニフォームだった時期がある。
歴史
前史
1969年、それまで長年にわたって読売ジャイアンツとコラボ商品を出していたロッテは東京オリオンズのネーミングライツを獲得し、1971年の大映倒産に当たって本格的に球団運営に乗り出すこととなった。この時、社長の重光武雄(辛格浩/シン・ギョクホ)は韓国でもいずれプロ野球が創設されることを見越し、その地盤を作っていくことを考えた。1975年、韓国において将来のプロ化を念頭に置いた社会人野球チームを創設、自身がファンでもあり長年提携してきた事もあってチーム名を「ロッテジャイアンツ」とした。このチームはプロ野球発足まで社会人チーム最強とされ、有名な存在となった。
KBO設立
1982年、その予測通りKBOが設立され、ロッテジャイアンツは釜山をフランチャイズとしてそのまま参入しようとした。ところが、KBOは設立当初、「地域に根ざした野球」を指向し、ロッテはフランチャイズ地域出身の選手のみで編成するよう要求された。その結果、チームはほぼ一から作り直すハメに陥ったのである。このことが響いて成績は低迷してしまった。
ワンマンチーム
1984年にエースの崔東原によって初優勝を飾った。ところがその後は優勝決定戦に参加することがなく、他のエース選手が出なかったため事実上、崔東原のワンマンチームとなって彼の成績に左右されることになった。1989年に労働争議の末、崔東原をチームから追放したらチームが最下位となった。この頃はパリーグのロッテオリオンズでも落合博満のトレード騒動など混乱や成績低迷が起きており、一つの企業が二つのプロ球団を保有する困難さが改めて浮き彫りになった。
チーム改革と抵抗
1991年ロッテ本社は二つの球団で大規模な改革に乗り出す考えを示した。日本では九月に来シーズンから千葉マリンスタジアムへの移転と千葉ロッテマリーンズへの改称、新監督の就任が発表された。韓国でも優勝時の監督が復帰し、世代交替を推し進めた。1992年には再び優勝した。
ところが一方で労働争議も再燃しチームは再び混乱、翌年には監督を追放しチームも低迷してしまった。その後、1998年まで低迷は続いた。
1999年には助っ人外国人フェリックス・ホセ選手のおかげで準優勝になったが、2001年には暗黒期に突入。見かねたロッテ本社は翌年オリオンズOBの白仁天を監督としオリオンズを模範とした抜本的改革を試みたがこれが火に油を注ぎ、チームは完全に崩壊した。その後、2003年に白監督は辞任したが、親会社のお家騒動も相まって、シーズン成績は下位で締めるなどと現在も低迷期に陥っている。
所属している選手
羅畇雁 : 二刀流選手。
李学周 : 元徳島インディゴソックス。
余談
ユニフォーム関連
ノンプロ時代から1995年まではユニフォームはオリオンズと同じものを使用していた。現在でも時折水色のビジターユニフォームが復刻企画で使用されている。
これまでドラえもん、ぼのぼの、クレヨンしんちゃんとのコラボレーションで限定ユニフォームを出していた事があり、何気に日本のアニメと所縁が深い。
応援風景
特定の回に入ると、スーパーのレジ袋に似たビニール袋を頭から被る独特の応援風景が有名。
これは球団から配られるもので、頭に被る事を想定している為、印字されている部分が上下逆になっている。
また、「釜山港へ帰れ」「釜山カルメギ」といったご当地ソングを元にした地元愛の強い応援歌を用いるなど、野球フリークから「応援が一番熱い球団」と定評がある。
映画関連
上記の崔東原と当時、ヘテタイガース(現在の起亜タイガース)に在籍していた頃の宣銅烈との投げ合いを映画化した「パーフェクト・ゲーム」(※日本ではWatchaで配信)、
釜山を舞台に超大型津波が襲うパニック映画「TSUNAMI」(※原題「海雲台」)で劇場公開当時に所属していた李大浩が主人公たちからヤジられて言い争う場面があるなど、球団が映画に登場した事がある。
ロッテ3球団目?
2019年にCPBL加盟球団のLamigoモンキーズの球団売却の話題が起きた時、楽天が買収先に挙がった際(後に買収し、翌シーズンから楽天モンキーズに改称)、ロッテが中国語の漢字表記で「楽天」と当てられているため、「台湾にもロッテ球団が?」と一部の野球ファンが困惑していた。