白仁天
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はくじんてん
韓国出身の元プロ野球選手(捕手、外野手)・コーチ・監督、解説者。
白 仁天(はく じんてん、ペク・インチョン、朝鮮語: 백인천、1943年 11月27日 - )
韓国人プロ野球選手の草分けであり、気が短く、乱闘も多かった。日韓で首位打者に輝いた韓国プロ野球界の重鎮。
中華民国江蘇省無錫県で生まれ、米軍政朝鮮のソウルで育つ。
1962年、東映フライヤーズと契約し入団。
当時の野球協約では、入団時に外国籍でも出生時に日本国籍を持っていた選手を外国人扱いとしない規定だった事から、日本人扱いとなる。
3年目の1964年後半には安藤順三に代わり正捕手の座を獲得し、1965年には116安打・14本塁打を記録。
1967年には初の規定打席に到達し(11位、打率.280)、1968年に打線の3番を任されるまでに成長を遂げた。
1972年にはリーグ3位の打率.315・19本塁打の好記録を残すが、チームが「日本ハムファイターズ」になった翌1975年に東田正義との交換トレードで、太平洋クラブライオンズへ移籍。同年は打率.319で首位打者を獲得。
1977年に安木祥二と共に、長谷川一夫、倉持明と交換トレードでロッテオリオンズに移籍。
1979年、最終的に自己最高の打率.340を記録する。
1981年には近鉄バファローズへ移籍し、同年限りで退団。
1982年に発足した韓国プロ野球のMBC青龍に選手兼任監督(指名打者)として入団し、打率.412をマークして初代首位打者を獲得。この記録は現在まで韓国プロ野球史上シーズン最高打率で、韓国プロ野球史上唯一の4割打者である。
1984年引退。
引退後は、主に韓国で指導者として活躍した。
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