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落合博満

おちあいひろみつ

元プロ野球選手。2004年から2011年まで中日ドラゴンズ監督。その後、2014年から2016年までチームのゼネラルマネージャー
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概要

秋田県出身で、高校時代から練習嫌いで野球部に7度入退部を繰り返す。大学も中退、一時プロボウラーを目指すが受験料がスピード違反の罰金で飛んだこともありこれまた挫折。そんな時に社会人東芝府中に誘われ、1978年ロッテオリオンズ入り。

プロ入り後も後の「オレ流」と呼ばれる事になる、自分の流儀を貫き通すも、監督の稲尾和久の理解もあり、次第に試合で使われるようになり、4年目の1982年には三冠王を獲得。その後1985、1986年と三冠王を3回も獲得するなど、日本を代表する打者となる。
1986年オフに稲尾の退任などもあり1対4の大型トレードで中日ドラゴンズに移籍、同時に西武・東尾修と共に日本プロ野球初の日本人年俸1億円プレイヤーともなった。

なお、プロ野球80年以上の歴史の中で三冠王達成者は1リーグ時代を含めると3回の彼のほかに、中島治康(1)、野村克也(1)、王貞治(2)、ブーマー・ウェルズ(1)、ランディ・バース(2)、松中信彦(1)と通算7名で11回であり、ちなみに150年の歴史を誇るメジャーでも通算15名で17回と長い歴史の割にはお互い決して多く輩出していない。
彼を除く三冠複数達成者は国内では王とバースのそれぞれ2回のほかに、メジャーに目を広げてもロジャース・ホーンスビーとメジャー最後の4割打者テッド・ウィリアムズのそれぞれ2回で、3回も達成したのは日米球界彼しか未だに存在していない。歴代通算記録こそ王や野村、ウィリアムズやバリー・ボンズの陰に隠れがちだが、三度の三冠王は彼の右に出るレジェンドがいかに生まれないのかがもうおわかりになるだろう。

中日では打点王と本塁打王を二度ずつ獲得する。また本塁打王を初めてセ・パ両リーグで達成 (以後タフィ・ローズ(近鉄と巨人)、山崎武司(中日と楽天)が達成。)
1993年オフには導入されたばかりのFAで巨人へ移籍。
その後1996年オフには自ら自由契約を申し入れた上で日本ハム入り、1998年に引退。

2004年にかつてFAで巨人入りした事で、その反発からないだろうと思われていた中日の監督に就任。1年目からリーグ優勝するなど、8年間ですべてAクラス入り、優勝4回、日本シリーズ出場5回、日本一1回という実績を挙げ、2011年退任。2013年のシーズン終了後にゼネラルマネージャーとして復帰(2016年まで勤め、2017年1月に退団)。

また、選手として現役中に「サムライ街道/そんなふたりのラブソング」(1986年、「そんなふたりの…」は夫人の信子とデュエット。5万5000枚を売り上げた。)を始め歌手としてレコードも何枚か発売している。

評価

選手として一流、なおかつ監督としても名監督であったのは間違いない(特に2011年は打率・得点ともリーグ最下位、得失点差は僅か+9の史上最低ながらもリーグ優勝した)が、「オレ流」と言われる悪く言えば自分勝手・自己流を貫き通し、またマスコミにリップサービスをせず、「プロ野球選手の評価は金」と公言するなど、その実績ほどには人気はなく、さらには多くのフロント陣からも嫌われていたといわれている。また監督時代には基本が守り勝つ野球であるために、「面白くない野球をしている」と言われることもあった。
ただ、マスコミに見えないところで密かにバッティング練習をしていたり、2006年のリーグ優勝の際に見せた涙など、決して人間味がないわけではない。

なお、かのドアラがブレイクしたのも落合の監督時代の話でありmファン感謝デーなどではコンビを組んで絡むなど、前任者の1人である星野仙一がその手のパフォ-マンスを嫌ったのとは対照的で、現在の球界のマスコットブームに1役買った事は間違いなく事実である。ちなみにGM時代にチームの総年俸25%コストカットした際には、ドアラもきっちり25%カットされている。球団に対してはドアラが望む限り、終身雇用するよう嘆願している。
また息子そういう仕事をやっていることも有名だが、彼自身もオタクエピソードが相当あることでも知られる。下はその一例。

  • 息子の影響でガンプラ、というかガンダム好きに
    • その息子にわざわざ作ったF91を記者の目の前で壊された際はガチで悲しむ
    • ガンプラ工場を視察した時の記者「野球やってる時より楽しそうだった
    • 週刊誌に「ウイングガンダムが好きと書かれる」→困惑し、「ウイングゼロカスタムが好きなんだが」と発言
    • (CSで巨人を3タテし、その時に録画したガンダムを見て)「勝った後のガンダムは最高」
    • バンダイからもその熱心さを認められ落合博満専用ガンダムエクシア(ドラゴンズカラーに塗装され、両肩にはドラゴンズロゴと落合の背番号66が入っている)のプラモデルを貰う
    さらにある出演者が好きになってしまって彼が主演のアニメを見ていた

ロッテ入団時から選手時代の殆どを通じつけていた背番号である「6」に強いこだわりを持つことでも知られ、巨人入団時には篠塚和典が付けていた6の代わりに「60」を付け、監督時代の背番号が66だった。この他和歌山県にある記念館やつけているメガネのフレームのデザインにも6が取り入れられている。
一方で監督・GM時代には選手への背番号にもこだわりを持っていた。

通算2371安打で名球会の資格を持っているが、本人は一度も入会せず、現在まで固辞し続けている。詳細は明らかにされていないが、入団当初に金田正一に打撃を酷評されたためともされ、金田とは長年確執が取りざたされている。一方で落合は歴代プロ野球ベストナインの問いかけに、投手にその金田を選んでおり(他に捕手野村、一塁王、三塁長嶋を選んだのをみても、嫌味や嘘で選んだとも考えづらい)、金田の400勝の実績は実績として認めているなど割り切り方はあっさりしている。

発言

横浜ベイスターズ佐々木主浩の決め球であったフォークボールについて、「あれはフォークではなくカーブ」と発言。

「日本プロ野球での真のホームランバッターは誰?」と聞かれ、田淵幸一山本浩二の2人をあげた。さらに「王貞治さんはホームランバッターじゃないんですか?」と再び質問され、「俺も王さんもホームランバッターではないね」と自分と王貞治を比肩して回答した。

「野球は仕事」と認識しており、「俺は野球を見るのが嫌いだし、大リーグも見ないし、高校野球も見ない」という。その一方、GM時代はチーム建て直しの一環として即戦力が見込める社会人野球や大学野球を中心とした視察が多く、GM退任後は息子を連れて解説をしながら観戦もしている。

昨今はその言動を息子に面白おかしくツイッターでネタにされたりも(一例として「まずは相手に全部言わせる。それをさせた上でこちらのカードを一枚ずつ切っていく」と交渉のコツを息子に語った上で「ただ、それが通用しないのが信子(落合夫人)」とオチをつけられたり)。

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