概要
法政大学時代は強肩強打の大型捕手として鳴らし、しかも俊足で、背が高くてひょろっとしていて、尚且つそこそこイケメンだった為、相当女性人気が高かった。
阪神タイガース入団後、先輩捕手の辻佳紀や辻恭彦を押しのけて正捕手となる。入団後も細身ゆえに「モヤシ」呼ばわりされていたが、広島東洋カープの外木場義郎から生死を彷徨うデッドボールを食らって(こめかみにぶつけられ、右耳から流血、後遺症で難聴に。現在、プロ野球で使っているヘルメットに耳あてがあるのはこのような惨事を二度と繰り返さないため)から体型も変化しだした。そして元来の練習嫌いの所為か、はたまた大阪でカロリーの高いもんばっかり食いすぎた所為か、徐々に太り始め、仕舞いにはガラの悪い阪神ファンに「タブタ」、「デブチ」等と野次られ、ネタ要員にされる。
しかしながら、通算474本塁打を記録、打撃タイトルこそ同時代に王貞治がいたこともあって、本塁打王一回に終わっているが、それでも当時全盛期の王の連続ホームラン王を阻止したり、歴代阪神正捕手の中でもトップクラスの強肩の持ち主(全盛期の梅野隆太郎と比較される)だったりと、間違いなく一流選手であった。
福岡から所沢に移転した西武ライオンズに移籍し、1982年・1983年の日本一に貢献。1984年に引退。1990年~1992年には福岡ダイエーホークスの監督を務め、2005年・2003年は古巣阪神のコーチ、2011年・2012年は東北楽天ゴールデンイーグルスのコーチを務めた。
現夫人は元女優のジャネット八田、フジテレビアナウンサーで長男の田淵裕章(~ゆうしょう)は大柄な両親に似たか大柄である。