概要
福島県郡山市出身。1947年(昭和22年)11月4日生まれ。
明治大学付属中野高等学校卒業、明治大学農学部中退。身長166cm。体重80kg超。
オフィスコバック所属。日本俳優連合理事長。
主演の映画『釣りバカ日誌』は1988年(昭和63年)から2009年(平成21年)まで20作続いた代表作である。
なお、リメイク作のドラマでは相方の鈴木一之助の役を担当した。
時代劇の出演も多く、NHK大河ドラマでは歴代の徳川将軍家の人物を演じることが多い。
『八代将軍吉宗』では徳川吉宗、『葵 徳川三代』では徳川秀忠、『功名が辻』では徳川家康…など。
また、そういった経緯からか、NHK以外の作品でも「徳川」に縁ある役柄を演じることも。
因みに、上記三作より前に放送された『おんな太閤記』では豊臣秀吉も演じており、大河にて戦国三傑のうち二人以上を演じているのは西田のみである。
その歴史上の人物を演じる多さから「西田敏行で見る日本史」なるネタができるほどである。
ちなみに、生涯における出演大河ドラマは15作、うち2作で主演(「翔ぶが如く※ダブル主演」、「八代将軍吉宗」において。また、トリプル主役の「葵徳川三代」とダブル主役の「山河燃ゆ」をカウントする媒体もあり、その場合だと4作品主演となる)と出演回数・主演回数ともに輝かしい経歴の持ち主でもある。
タレントとしても『人生の楽園』のナレーションを担当したり、『NHK紅白歌合戦』では歌手・司会者・審査員・応援ゲスト・ナレーションの5形態で出場経験がある唯一無二の存在だった。
関西圏では『探偵!ナイトスクープ』の二代目探偵局長でおなじみ。特にガォーさん関係等ではVTRの後でハンカチで顔を拭った後のような仕草をたまに見せる事から、“泣き虫局長”と呼ばれていた。
特に感動系の依頼に弱く、場合によっては最初から「コレ(ハンカチ)いる?」と聞く事もあった。
ほかにも声優としてアニメ映画『がんばれ!!タブチくん!!』にて主人公・タブチくん役を務めており、この縁で当時現役でタブチくんのモデルである田淵幸一と親交を得ており、前述の「ナイトスクープ」局長時代に田淵が顧問として出演したこともある。
アウトレイジビヨンドで西野役で登場したが、本人によると「文科省推薦作品の出演が多くてR-15作品に出てみたかったんだよ~」とアウトローな作品に憧れがあったとのこと。
また、2019年には「必殺仕事人2019」において大悪党・上総屋清右ヱ門を演じた。必殺シリーズに出れる事となった時はかなり喜んだとか。「2019」でのクライマックスのセリフは実はアドリブであり、収録現場ではスタッフの笑いもあったとのことでホッとしたという。
急逝
2024年10月17日の午後0時30分頃、自宅のベッドで倒れているところを彼の付き人に発見され、駆け付けた救急隊によってその場で死亡が確認された。享年78(満76歳没)。77回目の誕生日を18日後に控えての悲劇であった。
捜査関係者によると現場状況から見て病死と断定。同月8日には劇場版Doctor-Xの完成披露会見にも出演していたが、その約一週間後の訃報に世間に衝撃を走らせた。彼が急死した当日も仕事をする予定だったと言う。
尤もその会見でも他の出演者と比較して椅子が低いものが用意され、退場時の様子を見せないなど、西田氏がそれだけ満身創痍だったことが窺える。
死去の翌日に所属事務所が直接の死因は虚血性心疾患で、発見される6時間ほど前に心肺停止に至っていたものと思われると公表した。
西田の訃報を受け、テレビ朝日は『Doctor-X』での蛭間の活躍を総集編として再編集した追悼番組を放送。番組では米倉のみならず共演者の追悼コメントも添えられた。
主な出演作(順不同)
『ステキな金縛り』(更科六兵衛)
『悪魔が来りて笛を吹く』(金田一耕助)※1979年劇場版
『アウトレイジビヨンド』(西野)
『池中玄太80キロ』(池中玄太)
『八重の桜』(西郷頼母)
『釣りバカ日誌〜新入社員 浜崎伝助〜』(鈴木一之助)
『影武者徳川家康』(徳川家康)※2014年版
『うぬぼれ刑事』(葉造)
楽曲
『時の旅人』(合唱曲ではなく映画ドラえもん主題歌の方。長年のライバルであった武田鉄矢氏が作詞している為、一時トレンドに上がっていた。)
西田敏行コピペ
大河ドラマの出演数が多く、こんなコピペまで作られた。
1169 西田敏行、法住寺殿において出家、法皇となる。
1180 西田敏行、父と共に源頼朝の挙兵に加わり、山木館を襲撃
1205 西田敏行、追放された父を継いで鎌倉幕府の執権に就任する
1561 西田敏行、武田信玄に啄木鳥戦法を献策するも謙信に見抜かれる
1579 西田敏行、大工棟梁として建造を指揮した安土城天守が完成
1584 西田敏行、西田敏行に小牧長久手の戦いで敗れる
1598 西田敏行死去。遺児は後に西田敏行に滅ぼされる
1600 西田敏行、真田昌幸に進軍を阻まれ西田敏行の叱責を受ける
同年 西田敏行、石田三成を関ヶ原に破る
1603 西田敏行、幕府を開き初代将軍になる
1605 西田敏行、西田敏行に将軍職を譲り、後に駿府城に移る
1612 西田敏行、自らの私財をなげうち道頓堀の開発に着手
1614 西田敏行が西田敏行を「関ヶ原には遅すぎ、大坂には早すぎる!たわけうつけ間抜けーッ!」と怒鳴り付ける
1632 西田敏行、征夷大将軍の西田敏行の死により、流罪が赦免される
1702 西田敏行、女性としては最高位の従一位の官位を得る
1703 西田敏行、元禄赤穂事件において赤穂浪士によって襲撃を受ける
1716 西田敏行、八代将軍になる
1745 西田敏行、徳川家重に将軍職を譲り、江戸城西の丸に移る
1776 西田敏行、長崎で手に入れたエレキテルを修理して復元する
1782 西田敏行、自らが船頭を務める船が難破、ロシア領に漂着
1827 西田敏行、柏原宿で大火に遭い家を失う
1860 西田敏行、会津藩の家老となる
1861 西田敏行、愛加那との間に西田敏行を授かる(それをナレーションする西田敏行)
1867 西田敏行、西田敏行に命じられて江戸薩摩藩邸を本拠として江戸市内を混乱させ、薩摩藩邸焼討事件を起こさせる(それをナレーションする西田敏行)
1868 薩摩藩の西田敏行らと長州藩の西田敏行らが協力し会津藩の西田敏行と戦う
(それをナレーションする西田敏行)
同年 西田敏行、会津藩の西田敏行への伝令にかこつけて追放される
1869 西田敏行、五稜郭の戦いで新政府軍に敗れる
1873 西田敏行、日本初の商業銀行となる第一銀行の頭取に就任
1877 西南の役で、長州閥西田敏行総指揮の官軍に西田敏行軍は鎮圧され、城山に追い詰められる(それをナレーションする西田敏行)
1883 西田敏行、共立学校の初代校長となる
同年 西田敏行、この頃に海運業を始める
1904 西田敏行、日銀副総裁として日露戦争の戦費を調達する
同年 西田敏行、京都市長に就任し、父である西田敏行のことを、部下に語りだす
1942 西田敏行、日本文学報国会の会長に就任
1945 西田敏行、フィリピンの戦場で誤って兄に撃たれる
1984 西田敏行、マッキンリー冬季登頂した直後に遭難し死亡(植村直己)
これは民放まで合わせたものだが、西田敏行氏が如何にすごいかが分かるだろう。
デマ
西田敏行氏について、素行不良などの心無いゴシップが拡散されることがある。
実際の経緯は以下のようなものである。
①暴力描写のあるハードボイルド小説家「西村寿行」氏がいた
②小説のイメージから2chに「西◯◯行、SMクラブ常連。嬢に『100万円で腕を折らせろ』と迫る」という書き込みがなされる
③「西◯◯行=西田敏行」と誤解され、アクセス稼ぎのため更に誇張されて拡散される
西田敏行氏にも小説家にとっても迷惑な話である。
関連タグ
かないみか - かないの父・金井彰久は西田の役者としての師匠であり、その関係から現在まで長い親交があった。
田淵幸一 - 前述の「がんばれ!!タブチくん!!」からの縁で親交を得た。
松村邦洋 - 西田氏のものまねをしていた縁で彼が局長を務めた「探偵ナイトスクープ」にレギュラー出演していた。プライベートでもよく呑みに行く間柄だったらしい。