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概要編集


1963年(昭和38年)10月から1965年(昭和40年)1月にかけて各地の新聞に連載された、司馬遼太郎の歴史小説。題名「功名が辻」の辻は「十字路、交差点、路上」という意味で、手柄を立てて出世する人生の岐路を象徴する言葉として使われている。


初代土佐藩主山内一豊を支えた妻・千代を中心に物語は展開し、千代の助言もあって一豊は出世を重ねていく。

しかし、最後に千代は自分の手を離れて暴走した愚かな夫に失望。夫の死後は土佐から離れて京都に移り住みひっそりと生涯を終えた。



批判編集


一豊を妻の支えがなければ何も出来ず妻の手を離れたら暴虐の限りを尽くす愚かで無能な夫であるかの如く描写した所為で18代当主山内豊秋(一豊の弟の子孫)に厳しく批判された。


ただし、19代当主山内豊功は「小説と史実は異なるもの」と割り切り本作を評価している。


映像化編集

1966年および1997年にテレビ朝日で、2006年NHKにて大河ドラマとしてドラマ化された。1973年大河ドラマ『国盗り物語』の参考原案のひとつとしても取り上げられている。


作品と役編集

タイトル山内一豊千代
1966年戦国夫婦物語『功名が辻』三橋達也団令子
(1973年)(国盗り物語)東野英心樫山文枝
1997年司馬遼太郎の功名が辻宅麻伸壇ふみ
2006年功名が辻上川隆也仲間由紀恵

NHK大河ドラマ『功名が辻』編集

脚本は大石静。2006年時点における史実の考証に基づき、一豊を器量のある人物として描いている。その事もあり晩年の行動も自ら敢えて必要悪として行った解釈がされている。

一方その反動もあってか千代は厭戦(時に反戦)的な考えを持つ人物として描いている。(この部分ゆえに見方や意見が分かれる場合がある)


関連タグ編集

司馬遼太郎

一豊の妻 永井路子の短編小説で、本作のアンチテーゼとも取れる内容。


NHK大河ドラマ関連編集

大河ドラマ


義経功名が辻風林火山(大河ドラマ)

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