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61式戦車

ろくいちしきせんしゃ

陸上自衛隊の第一世代主力戦車。日本特有の国土に適応した設計・性能を有し、防衛力の要として40年近くもの長きに渡り運用された。
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曖昧さ回避編集

  1. 日本陸上自衛隊に配備されていた第一世代主力戦車 ⇒ 本記事にて解説
  2. 機動戦士ガンダム』に登場する地球連邦軍の主力戦車 ⇒ 61式戦車(ガンダム)

戦後国産戦車の第一歩編集

 61式戦車は、日本主力戦車第一世代主力戦車に区分される。

 それまで配備されていたM4A3E8などのアメリカ製戦車に代わる戦後初の国産戦車で、製造は三菱重工。1955年に開発が開始され、19『61』年に制式採用された。

 総生産数は560輌。


開発史編集

M4A3シャーマン(自衛隊)m41「ウォーカーブルドッグ」軽戦車
M4A3E8M41

 1950年代、創立から間もない陸上自衛隊はアメリカから戦車の供与を受けていたものの、アメリカはソ連の脅威に直接対抗せねばならないヨーロッパ最新型戦車を優先供給せねばならず、結果として日本へ供給された戦車はいずれも朝鮮戦争などで使い古された中古品だった。


 ただ、その最新型戦車も日本国内の鉄道輸送網にとっては大きい上に重すぎ、導入したところで事実上運用が不可能だったほか、アメリカ製戦車は根本的にアメリカ人と日本人の体格の違いなどから不便な点が多く、こういった理由から国産戦車の開発が求められることとなった。


 かつて日本陸軍で戦車開発の中枢にいた元将官・元佐官らが国産戦車に求めた当初の要求性能は、主武装を長砲身76mm砲とし、車重を25トンに収めるというもの。

 これは戦中に開発されていた四式中戦車や自衛隊にも配備されたM41軽戦車と同程度だった。


 この25トン案は量産性や運用の容易さを優先する旧軍の事務方出身者に好評だった一方、ノモンハン事件太平洋戦争中のサイパンフィリピンなどで地獄の如き戦いを経験してきた戦車連隊~師団出身の前線配属の経験者や、旧軍人ではない防衛大学校卒の生え抜き第一世代らが増加しつつあった機甲科幹部より凄まじい猛反発を招く。


四式中戦車「鉄の墓標」バージョンUS M26 PERSHING TANK
四式中戦車M26パーシング

 重量を巡る議論が延々繰り返され、既存案に関して運用現場の隊員からの意見を集めた結果、『車高が高く、装甲が薄く、これでは本分を果たす前に小火器の餌食になってしまう』というような結論がもたらされた。

 加えて、朝鮮戦争で北側が投入したソ連T-34/85中戦車に対し、アメリカ陸軍が投入した90mm砲搭載・40トン級のM26パーシングM46パットンがこれを圧倒したという戦訓を現場側が強く主張した事もあり、25トン案は廃止に。

 主武装は90mm砲とし、それに見合う車格を考慮、度重なる変更を経て最終的な計画車重は35トン級にまで増大した。(ただし、開発関係者の話では『当時の日本のインフラ整備状況では、当時最新鋭の105ミリ砲搭載戦車は作れないし、運用できないし、当時は防衛力を自主整備しているという米国向けの大義名分を満たせれば、政治的に充分であった』という政治的な思惑と妥協で決められたとのこと)


戦後直後の日本は日本軍が健在であった頃の戦車製造のノウハウを失って久しかった上、当時の政治状況下では開発予算もわずかしか与えられず、試作車の開発は難航。どうしても用意できなかったブレーキや変速機関連に関しては戦中の四式中戦車から設計を流用するなどで補われ、二段階にわたる試作を経て1961年に実用化、61式戦車として誕生した。

 (試作に関してはSTA-1を参照)


火力編集

M36 Jackson河童による61式運用試験中の一コマ
M36ジャクソン61式戦車

 主武装とされたのは、アメリカ製M36ジャクソン戦車駆逐車が搭載するM3A1 90mm戦車砲を参考に開発された、国産の61式52口径90mm戦車砲

 砲身が延長されているほか、アメリカ製M48パットン戦車と共用できる強力な新型弾薬に対応できるよう砲全体、特に薬室の強度が増強されており、原型のM3A1と比べて格段に性能が向上していた。ただし、当時として、既に性能が旧式化していた武装が原型であるため、政治的妥協と思惑で定められた武装とのこと。


 徹甲弾を用いた場合の射貫装甲厚は射距離1,000mで189mm程度とみられるが、仮想敵たるソ連陸軍のT-54戦車は200mm級の正面装甲を有しており、威力不足と推察できる。

 ただし、1970年制式化の70式対戦車りゅう弾を用いれば射距離問わず最大350mm厚程度の装甲射貫が可能で、これならT-54にも十分に対抗可能と考えられた。ただし、設計当時の仮想敵はT‐34戦車の末期型であったという。また、用兵側も米軍が車での時間稼ぎが存在意義であるからと、当時の自衛隊幹部らは製造ノウハウの再取得を優先していたらしく、元より攻防性能はかなりの妥協が前提であったと回想している。


当時としては標準的なステレオ式照準器を搭載。戦中の戦車では低下しがちだった1,000m以遠の命中精度も良好なものが確保されていたという。


防御力編集

WW2 Russian Tank T34-85T-54A
T-34/85T-54

 正面装甲厚は砲塔114mm、車体55mm。

 このうち車体は+60度の傾斜が付与された傾斜装甲となっており、実質的に110mm分の防御力を発揮、総じて1950年代初期にソ連陸軍の主力とみなされていた仮想敵、T-34/85の搭載する85mm砲の火力に対して十分なものだった。


 ...しかし、実際のソ連陸軍で主力となっていたのT-54100mm砲を搭載、射距離1,000mで最大200mm程度の装甲射貫を可能としていた。もちろん、これは61式戦車の防御力ではまったく防ぎようがない。

 なお、T-54の存在と性能が西側で知られたのは1956年のハンガリー動乱以降。その時点で61式戦車は試作車の完成直前にあり、設計変更を図るような機会は既に逸していた。だが、当時の陸自と再建途上の防衛産業は装甲戦闘車両の自主生産能力の再取得を優先していたので、これで良しとされたという。


機動力編集

 570馬力を発揮する三菱製ディーゼルエンジンを搭載、車重35トンで最高速度45km/hを発揮。

 優れた出力重量比や、かつてドイツのティーガーI重戦車でも採用されたトーションバー式サスペンションにより登坂能力や走破性も良好で、総じて同時期の主力戦車としては最高クラスの機動力を有した。


 なお、航続距離は最大200kmと短めだが、比較的狭い日本国内における運用を想定していたため、これが弱点となる可能性は低い。


不戦で退役編集

 日本の国是はもちろん、大規模衝突の無かった東アジア情勢もあって61式戦車はその運用期間中に一度も実戦に参加することはなく、実用化から39年後の2000年に退役となった。


 その存在は日本の抑止力という面に大きく貢献したほか、世界的に戦車の新規開発が珍しくなっている中、後の74式、90式、10式というようにほぼ20年スパンで国産戦車が登場する日本の防衛力の礎となった。

 また、日本が戦中に構築できなかった30トン級戦車を大量生産・配備するノウハウの基ともなり、国内における機甲戦力の運用能力拡充と自主生産能力再取得に大きく寄与したと評せるだろう。


余談編集

  • 第一世代で最も後発

 1945年のイギリス製センチュリオン戦車から始まった第一世代の主力戦車として61式戦車は最も後発(1961年)で、最初期の第二世代MBTとなるM60パットンは1959年から、T-62は1961年から運用が開始されている。

 これは『有事の際に敵国から迫りくる戦車が軒並み61式以上の性能を有している』ということでもあり、後継となった74式戦車の開発が本車の量産開始と同時に始まった理由も推し測れる。


  • 『世界一操縦が難しい戦車』

 上記のように機動力こそ良好ではあったが、変速ギアが少しでもズレると変速失敗、シフトレバーが一気に弾き戻され操縦士の腕を痛打するなど、操縦性は劣悪に近いものだったらしい。

 なお、左腕に腕時計を装着しているとシフトレバーに破壊される危険性が有ったとか。


  • 実戦の危機?

 1976年、函館空港にソ連の最新鋭戦闘機MiG-25Pが強行着陸するMiG25事件が発生。この際、ソ連軍がMiG-25破壊工作のため侵攻してくる可能性を考慮した自衛隊は、秘密裏に対ソ防衛戦の準備を進めた。

 当時現役だった61式戦車もこれに投入される予定があったのだが、結局ソ連は侵攻などせず、既に暴露されてしまったであろう要素を更新して新型のMiG-25PDを開発。杞憂に終わった。


  • 武器輸出ではない

 2019年に退役車1輌がヨルダン国王の要請により貸与の形で贈呈されており、戦後の日本戦車としては初めて他国の博物館に飾られるという快挙を達成した。もちろん武器輸出ではない。


登場作品編集

ゲーム編集

  • World of TanksWorld of Tanks Blitz
    • 日本Tier9中戦車「Type 61」として登場。試作車2種もTier8に実装されている。
    • 改造により史実とは異なり105mm砲の搭載が可能となる。
  • War Thunder
    • 日本ランク4中戦車として61式戦車および試作車3種が登場。
    • 防御力の低さゆえか、戦中ドイツのティーガーIIと同格扱い。
  • りっく☆じあ〜す
    • 主兵装として、61式52口径90mmライフル砲を装備している。また、第6戦車大隊Verもあり、こちらは主兵装以外に補助兵装1に12.7mm重機関銃M2を、装甲に増加装甲(鉄)を装備している。
  • コンバットチョロQシリーズ
    • コンバットチョロQ:作戦30「死の谷の攻防」に登場。落下の危険がある暗い谷で本車を含めた多くの敵の攻撃からアンテナを守り切るという難しいステージであり、マウスの次に難しいステージとも称される。
    • 新コンバットチョロQ:「ボルゾル徹甲部隊」でボルゾル元帥配下の精鋭部隊の一員として登場。同ステージをクリアすると使用可能となる。他の自衛隊戦車は主砲と装甲の強化のみが施されているのに対し、本車はフライングシェルやミサイルなどの遠距離武器を搭載し遠距離攻撃を仕掛けてくる強敵になっている。

映画・ドラマ編集

  • 戦国自衛隊(1979年映画版)
    • 映画版に登場。戦国時代にタイムスリップした自衛隊の戦力として1台が登場する。装甲と火力により戦国武者を圧倒するが、終盤には弾薬と燃料が底を尽きかけ、乗員が自衛火器だけで応戦する状況にまで追い込まれた。それでも撃破されず、自衛隊の車両として唯一最後まで残っていたが、最終的に池へと投棄された。
    • 実物ではなく、撮影用大道具として精巧に作られた実物大可動レプリカであり、通称「角川61式」「戦国61式」と呼ばれる。無論装甲は持たないため外板は薄物の鉄板。現在でもドラマなどで手軽に大戦期の戦車の代役とされたり、見た目のインパクトから広告やイベントで客寄せ用に駆り出されることもある。後述の『ぼくらの七日間戦争』と『さとうきび畑の唄』、『99年の愛』、『ビューティフルドリーマー』に登場したのも同車である。
    • 原作小説には登場しない。原作では60式装甲車が登場したが、106mm無反動砲を搭載しているなど60式自走無反動砲との混同が見られた。映画版では本戦車とM3ハーフトラックに役割分担されている。
  • ぼくらの七日間戦争
    • 原作小説ではなく映画版で登場。生徒達が立てこもった廃墟の地下室に何故か一台だけ存在した。廃墟自体が国有地であるらしいが、防衛庁(現:防衛省)の関連施設だったからなのかは不明。当初は実弾も装備されていない動かぬ鉄の塊にすぎなかったが、一部生徒達が修理をコツコツとしていた事が功をなし、自走するまでに至った。
    • 重箱の隅的に言えば、本来チェーンブロックなどでジャッキアップしなければ持ち上がらないエンジンパネルが子供の力で持ち上がるなど、フィクション故の描写もある。
  • さとうきび畑の唄
    • 米軍の戦車として登場。車体の前面に白い星の記章が描かれている。
  • 99年の愛〜JAPANESE AMERICANS〜
    • ドイツ武装親衛隊第17SS装甲擲弾兵師団の戦車として登場。
  • ビューティフルドリーマー
    • 映画撮影用のレプリカ戦車として登場。現在の所有者である鈴木商店も登場している。
  • 東宝特撮映画
    • 言わずもがな怪獣映画における自衛隊の戦車の代表格。『モスラ対ゴジラ』(1964年)から『ゴジラvsモスラ』(1992年)まで長らく登場した。
    • 東宝における撮影用模型はそれまで登場していたM24の足回りに、試作車であるSTA-4をモデルにした模型の車体を被せている。そのため転輪の数が一組足りず、砲塔上の重機関銃がキューポラと一体型になっている。

この他、昭和ガメラシリーズや『宇宙大怪獣ギララ』、『大巨獣ガッパ』などの怪獣映画にも登場しているほか、日韓合作の怪獣映画『大怪獣ヨンガリ』では韓国軍の戦車として登場している。


関連イラスト編集

旭日の戦車隊センシティブな作品河童による61式運用試験中の一コマいつも無双してるから昭和の対怪獣戦車陸上自衛隊  61式戦車61式戦車61式戦車


関連項目編集

主力戦車 MBT

陸上自衛隊 74式戦車 90式戦車 10式戦車


STA-1:61式戦車の試作第1号。その設計は全く異なる。

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