東側主力戦車の代表格
第二次世界大戦(大祖国戦争)終結の翌年となる1946年に実用化したソ連製中戦車。
高性能でありながら容易に調達できたため、ソ連だけでなくワルシャワ条約機構加盟国をはじめとする共産圏で広く生産・運用され、中東やアフリカの中小国にも数多くが輸出された。
また、中国仕様の59式戦車は同国における戦車開発の基礎となった。
核戦争対応型のT-55も含めた総生産数はおおよそ10万輌とされており、これは戦車史上最多である。
開発
原型となったT-44 | 強敵ティーガーII |
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第二次世界大戦中期の1942年から43年にかけてドイツが投入した強力な新型戦車に対し、ソ連赤軍の主力であるT-34中戦車が防御力不足だったため、1944年により重装甲な後継としてT-44中戦車が開発された。
しかし、ティーガーIIをはじめとするドイツ最強クラスの戦車に対し、T-44の砲火力・防御力には未だ不足があった。
そこで、高火力な100mm砲を搭載、ドイツ最強の戦車砲にも耐える防御力を実現すべく、改良型としてT-44Vの開発計画が始まり、1945年にT-54として完成。
翌年の1946年、T-54はソ連陸軍によって暫定採用され、1947年から量産が開始された。
T-54(1946年型) | T-54(1951年型) |
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1949年から1951年にかけ、IS-3重戦車を参考としたドーム状の新型砲塔が量産車に導入された。
以降のソ連戦車に受け継がれるこの形質を以って、T-54の設計は完成に至った。
特徴
火力
T-54の主武装は56口径100mm砲「D-10T」。
徹甲弾を用いた場合に射距離500mで195mm厚、1,000mで185mm厚程度の垂直装甲を射貫でき、榴弾威力にも優れた。
また、1960年代に実用化した装弾筒付徹甲弾(APDS)や翼安定対戦車榴弾(HEATFS)を用いた場合、最大で300~350mm厚程度の装甲射貫能力を発揮した。
ただし、車内の容積に余裕が無かったため、砲弾搭載数や主砲装填速度は同時期の西側戦車と比べて半分程度(それぞれ毎分4~5発、34発)で、戦闘における不安要素となった。
防御力
主生産型の最大装甲厚は砲塔200mm、車体が100mm+傾斜角30度で実質200mm。
これは冷戦初期の口径90mm級の西側戦車砲に対して非常に有効で、通常の徹甲弾ならほぼ確実に防ぐことが出来た。
また、小型のため被弾面積が小さい点も戦車戦において防御力に貢献しえた。
しかし、高性能な対戦車榴弾の実用化や、英国製の強力なL7 105mm戦車砲が西側で普及したことにより、50年代後期からT-54の防御における優位は失われた。
機動力
車重36トンは西側戦車よりも10トン近く軽いもので、そこに搭載されたV型12気筒ディーゼルエンジン「V-2-54」の出力520馬力が合わさり、最高速度は50km/hを発揮した。
また、元来の軽量さとT-44から受け継いだトーションバー式サスペンションにより走破性も優秀で、機動力に関しては総じて西側戦車を上回った。
その他
といった特徴は、現在においても中小国を中心にT-54の運用が継続されている理由となっている。
ただし、射撃管制システムや状況把握能力の不足のため、より新しい世代の主力戦車にT-54が対抗することは実際にはほぼ不可能であり、現行で退役が進められている場合も多い。
戦史
20世紀
T-54は来たる第三次世界大戦において東側の主力となることが確実であったため、ソ連は共産圏の各国に生産技術を開示。
結果、東欧の中小国では数千輌程度が、中国では一万輌程度が量産・配備された。
その後、冷戦の膠着化や後継車輌の実用化が進んだ60年代以降は中東やアフリカなどの第三世界に対して多数のT-54が輸出され、中東戦争(第三次以降)や印パ戦争など、世界各地で繰り広げられる紛争において事実上の常連化。
また、ベトナム戦争やユーゴスラビア紛争、イラク戦争などの大規模戦争でも使用されたため、戦場カメラマンによって数多くの車輌が撮影されている。
21世紀
2022年から始まったロシア・ウクライナ戦争では、ロシアが2023年から退役済みのT-54を再整備、前線へ投入した。
2023年6月には爆発物を満載した無人のT-54を遠隔操作、敵陣に突入させて爆破するという特異な運用が確認された。
余談
盛大な自爆
T-54初の実戦となる1956年のハンガリー動乱にて、1輌がブダペストの英国大使館に突っ込み、そして放棄された。
...そして、大使館の敷地は事実上の英国領。機転の利く英国大使はT-54を徹底的に調査、本国に報告し、結果として鉄のカーテンに隠されていた秘密の戦車は西側に広く知られることとなった。ある種の驚愕と共に。
T-54の重装甲は、西側最新鋭の戦車砲でも貫通が困難なほどに強固だったのだ。
このため、50年代後期以降の西側戦車にはT-54に対抗できるL7 105mm戦車砲が普及。
それまで実質的に西側戦車を圧倒し得たT-54の優位は、儚くも一挙に失われた。
T-55との違い
1958年に実用化のT-55は基本的な形態がT-54とほぼ同じであり、見分けが困難なことで知られる。
その類似度たるや、ある程度の知識を備えるミリオタや軍事の専門家でも区別がつかない程なのだ。
ここで紹介する両者の最も大きな差異は、砲塔上面前部の右側に位置するドーム状の部品「ベンチレーター」(通風装置)の有無。
有る場合はT-54、無い場合はT-55と識別することができる。
ただし、ベンチレーターの後方、砲塔上面後部の左右から張り出した2つの構造物「キューポラ」はベンチレーターと混同しやすいため注意が必要。
キューポラはベンチレーターよりも大きく、上部に搭乗員用のハッチを備えている。
T-54 | T-55 |
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とはいえ、これらを見分ける必要性は基本的に全く皆無な上、両者に性能差はほぼ無い。
このためか、英語版wikipediaをはじめとする多くの資料で「T-54/T-55」という風に一緒くたに扱われている。
型式・派生型
T-54の型式・派生型は世界各国に存在し、その総数は100近くに上るため、ここでは主要な型式のみを簡易に紹介する。
T-54(1951年型)
1951年に設計完了、ソ連('52~'55)やポーランド('56~'64)で量産された型。T-54-3とも呼ばれる。
従来型と異なり、砲塔形状が全周にかけて完全なドーム状となった。
最も一般的なT-54であり、以降の型式はこれに準じて改修の施されたものとなる。
T-54A / 59式戦車
ソ連('55~'57)やポーランド('56~'64)、チェコスロバキア('57~'66)、中国('58~'87)で量産された型。
搭載砲は一軸式の砲安定装置(※1)を備えるD-10TG。
運転手用暗視装置を装備。
(※1:砲安定装置:走行中の主砲照準を補助する装備。)
T-54B
'57年から'59年の間に量産された型。
搭載砲は二軸式の砲安定装置を備えるD-10T2S。1959年以降は大型の赤外線サーチライトが追加された。
T-54AM
1960年代の近代化改修型。
T-55との部品等共通化によりエンジンや転輪などの駆動系に変更が加えられ、砲弾搭載量が増加。
ラムセス2世(Ramses II)
エジプトにおける2000年代の近代改修型。その名は古代エジプトのファラオに由来する。
新型の射撃統制システムや転輪、アメリカのM60A3パットンと同型のL7 105mm砲を搭載。第二世代
チラン(Tiran)
イスラエルが1967年の第三次中東戦争時などにアラブ諸国から鹵獲したT-54およびT-55。
当初は鹵獲時の状態のまま運用されたが、後に搭載砲をL7 105mm砲に改めるなどの改修が施された。
ZSU-57-2
T-54の車体を原型にS-68 57mm機関砲を双連搭載する砲塔を組み合わせた対空戦車。
SU-122-54
T-54の車体を原型にM-49S 122mm戦車砲を搭載した駆逐戦車。
アチザリット(Achzarit)
登場作品
サンクトペテルブルクでジェームズ・ボンドが乗り回すロシア軍戦車として登場。
連河チェリノの別衣装スキル発動時の乗車として「粛清君1号」と名付けられた白塗装のドーザー付きT-54が登場。
ソ連軍戦車として登場するほか、中国軍仕様の59式戦車も登場。
『Vietnam』で北ベトナム軍およびベトコンの戦車として登場。
北朝鮮反乱軍の戦車として登場。