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ZSU-57-2

ずーすこーななのに

冷戦初期のソ連製自走対空砲、もしくは対空戦車。主力戦車T-54の車体が流用されており、砲塔には57mm高射砲が2門搭載されている。
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対空戦車(ソビエト編)編集

このZSU-57-2は戦車部隊に随伴し、来襲する敵攻撃機を追い払うか、撃墜するために開発された。

(⇒ルーデル


敵機が来襲するという事は低空飛行するという事でもあり、当時有効だった対抗策は『炸裂弾で弾幕をはる』というものだった。1940年当時にはコンピュータ等というものは当然存在せず、敵に弾丸を命中させるというよりも、弾片の数に頼って確立上で被害を与えるほうが有効な時代だったのだ。


このため砲弾は(炸薬を詰め込めるように)大きなほうが都合がよく、敗戦したナチスドイツからもこれまた都合よく、新型高射砲の設計データを手に入れていた。

1949年、ソビエトでは自国で開発していた新型高射砲の開発データと合わせ、57mm高射砲S-60を完成させた。ここからさらに車載用に改造し、S-68へと発展する。


車体であるZSU-57-2は1951年から開発が始められ、当時最新のT-54主力戦車の車体が流用された。

流用とはいっても装甲厚は8割ほど削減されており、軽量化が図られたことが分かる。


1940年代のコンピュータ編集

実用化されていない訳でもない。

1946年にはENIACが発表されており、既に核兵器開発に使われている。


ただ当時のコンピュータは非常に複雑な装置で、計算そのものは数秒で終了しても、そのためのプログラミング・計算回路の組み換えにそれぞれ数日が必要なものだった。その上非常にかさばるもので、設置には『柔道場1面分の広さが必要』だったと言われている。当然戦車よりも大型であり、車載はまだまだ不可能なシロモノだった。


自走高射砲の系譜編集

ZSU-37編集

1940年代、ソビエトは自走式37mm高射砲(ZSU-37)を配備していた。

これはT-70軽戦車の車体に37mm対空砲61-Kを搭載し、周囲を装甲版で囲った車両である。

1944~1946年まで生産され、旋回は電動式。


37mm高射砲61-K編集

ボフォースの25mm高射砲m/32をもとに開発した高射砲である。

この高射砲はテストで優秀な成績をおさめ、ソビエトではこれを発展させた高射砲を開発する。これが61-kであり、テストでは「ボフォース40mm高射砲にも引けをとらない性能」と判定された。


57mm高射砲S-60編集

61-kの後継として開発されたのが57mmS-60で、より大口径・より大威力・より長射程となっている。最大射高は8800m、目視でも距離4000mくらいまでなら精確に照準でき、ナチスドイツの5cm高射砲Flak41や5.5cm高射砲ゲラート58を参考に開発された。

とくにゲラート55の開発データは有効活用されたという。


5cm高射砲Flak41編集

高射砲による防空網には欠点があった。

それは「高度2000m~5000mの間をカバーする高射砲がない」というもので、37mm高射砲では2000m以上は届かず、かといって88mm高射砲では相手が速すぎて狙いがつけられなかったのだ。


そこでラインメタルが1936年に開発し、採用されたのが5cm高射砲Flak41であり、見事この間をカバーしてみせた。だがこの砲には欠点が多く、

・手動なので砲の旋回が遅い

・連射が遅い

・発射炎と煙が派手なので目標が見えず、狙いがつけられない

・威力不足

というふうにいいとこなし。それでも終戦まで運用が続けられたが、「他に使えるものがなかったから」という身も蓋もない理由だった。


なお、ソビエトはこの高射砲をスターリングラードで鹵獲したようだ。


5.5cm高射砲ゲラート58編集

どこまでも「ダメな子」だったFlak41の後継がゲラート58である。

なぜ55mmなのかというと、これは『B-17など、爆撃機を一撃で撃墜できる威力』から逆算された数値だといわれている。


この高射砲にはレーダーや自動計算機、測距装置などもセットで開発されていたが、進捗状況はバラバラで、とうとう完成しなかった。開発資料はそのままソビエトが持ち帰り、57mmS-60に応用したという。


大きな砲塔、小さな車体編集

ZSU-57-2には見た目にも特徴がある。

それが目立って大きな砲塔で、短くなった車体と相まってコミカルにさえ思わせる。


砲塔内部の乗員は高射砲の砲手・装填手が2門分、そして指揮官の計5名。

砲弾は5発ずつクリップでまとめられており、これを交互に発射して弾幕を張る。

85度まで上に向けることができる。


威力編集

専用の徹甲弾を装填すれば、1000m先の100mm装甲を貫く事も可能。

これは当時でも戦車を相手にするには不足だったが、装甲車には致命傷になりうる。


他にも榴弾は空中目標に致命的被害を与えるに十分だったし、もちろん対地掃射にも有効だった。のちにアメリカでもM42「ダスター」を対地掃射にも投入し、評価されている。


欠点編集

こう書けば完全無欠の対空戦車のようだが、のちに欠点も多く噴出した。

ただそれらは時代が求めた部分であり、ZSU-57-2が悪かったわけでもない。


まず『屋根がない(吹きさらし)』

これではNBC兵器が使われた際に車内を密封することができず、まさに無防備だったのだ。

東西冷戦が始まるにあたって、最初に想定されたのが全面核戦争であり、これでは脆弱に過ぎた。


次に『防御力が低い』

オープントップ式砲塔だから仕方ないのだが、迫撃砲の砲撃に耐えることができなかった。かといってそのまま密封すれば乗員のアタマ等が付きだしてしまい、続くZSU-23-4では密閉式になったのも無理はなかった。

また、一般的に対空戦車は敵戦車と撃ち合うことが目的ではなく、よって防御力は低いものである。


最後は『照準装置が旧式』な事である。

時代を考えれば無理もないが、時代はまもなく照準にコンピュータが使われるようになり、砲手の目視に頼ったZSU-57-2は時代遅れになってしまった。


ZSU-57-2とはなんだったのか編集

現在でも使われ続けているとはいえ、旧式になって久しい。

だがこんなものでも、一時代を築いた立派な対空戦車であり、有効だったことはのちに中国が類似した兵器を開発したことからも明らかである。(⇒80式対空戦車

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