概要
冷戦時代の緊張状態を表す比喩。東西両陣営間の分断をカーテンに例えた。
1946年3月にミズーリ州フルトン(アメリカ)で、ウィンストン・チャーチルが行った演説に由来する。
バルト海のシュテッティンからアドリア海のトリエステまで、ヨーロッパ大陸を横切る鉄のカーテンが降ろされた。中欧及び東欧の歴史ある首都は、全てその向こうにある。( 略 )これらの東欧諸国では弱小勢力であった共産党が、いまや優越して、その数にふさわしからぬ権力につき、いたるところで全体主義体制を敷いている。警察政府が君臨し、チェコスロバキアを除いては民主主義などどこにも存在しない。 |
この後、チェコスロバキアもソ連の支配下に置かれる、チトーの指導するユーゴスラビアが東側陣営から離脱するなど、鉄のカーテンの位置は遷移した。
解説
第二次世界大戦終了と同時に強大な兵力を有するアメリカ合衆国とソビエト連邦を中心とする主導権争い(自由主義・民主主義VS共産主義・社会主義)が始まり、一触即発の軍事状況を作り出した。
世界は両陣営に分断され、国を東西に分断されたドイツは特に影響を受けやすい状況にあり、ベルリンを東西に分断する『ベルリンの壁』はその象徴だった。
1989年11月10日、ベルリンを分断していた『ベルリンの壁』が開放され、ドイツは統一の道を歩み始める。当初、これはドイツの再統合を目指すものではなかったが、東ドイツ側の広報官であるギュンター・シャボフスキーが「これからは自由にベルリンを行き来できる」と誤った発表を行い、喜んだ市民が『ベルリンの壁』に殺到し破壊、不可能と言われたドイツ再統合へとつながることとなった。
1991年、マルタ共和国で行われた当時のソ連大統領ミハイル・ゴルバチョフとアメリカ大統領ジョージ・H・W・ブッシュの超大国首脳会談の結果、ソビエト連邦・アメリカ合衆国の全ての対立は終了したとの宣言が出され、東西冷戦はここに終結を迎え、『鉄のカーテン』は消滅した。
現在
2015年、ロシアのプーチン大統領はウクライナ東部の親ロシア派民兵を支援、クリミア半島を武力によって統合し、ウクライナ東部を事実上親ロシア派の支配下に置き、現在もウクライナ軍とそれを支援する欧米諸国とのにらみ合いが続いたままになっている。
そのさなかにあって、ウクライナ上空を飛行していたマレーシア航空機が撃墜される事件が起き、調査を担当したベルギー当局は「ロシア派民兵により撃墜されたもの」と発表、これを否定したロシアは欧米諸国との新たな対立の瀬戸際に立っている。
pixivにおいて
ただし、pixivのタグとしてはそれとは関係なく、カーテンや布(スカートなど)が鉄壁のように何かを守っていることの比喩表現として使用されている。
【参考資料】
【イラスト】
・【11/07】ロシア革命記念日(ソビエト連邦)(paq)