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山内一豊

やまうちかつとよ

戦国武将・大名で土佐高知藩祖。
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概要

戦国武将大名
織田信長豊臣秀吉に仕え、一時豊臣秀次付宿老ともなった。
1590年に遠江国掛川(現静岡県掛川市)を居城として5万1000石を領する。

秀吉の没後、徳川家康に接近。関ヶ原の戦いでは東海道筋の豊臣系大名を東軍側にまとめ、さらに居城を提供するなどしたことから、戦後土佐一国9万8000石に加増転封した(後に20万6000石に高直し)。

しかし、土佐では関ヶ原の戦いで敗れ改易された長宗我部盛親の旧臣らが勢力を張っており、彼らは山内家に従おうとしなかったため、強硬に排除。土佐藩は元来からの山内家家臣や新規召し抱えの者を中心とした上士と長宗我部家旧臣らの郷士(下士)階級の二重構造を幕末まで引き摺ることになった。これが、結果として坂本龍馬のような異端児が後世出現する素地を作ることとなる。
ちなみに影武者を使っていたことが記録に残っている珍しい人(影武者はその存在そのものがトップシークレットなので記録すら稀)。前述のような有様だったので、土佐城下を視察する際は似たような体形の部下を数人引き連れ、全員同じ服装に笠を目深に被って誰が一豊かわからないようにしていたらしい。

逸話

一豊は立身出世の為に名馬を手に入れたいと考えていたが、経済的な事情から長らくそれが叶わずにいた。
ある時市場駿馬を見かけるが、十両と言う破格の値段により涙を飲んで購入を諦め、の千代(後の見性院)にその無念を打ち明ける。すると千代は「嫁入りの折、夫の危急を救う為に用いよ、と父に持たされました」と言って手鏡に隠していた十両の金子を取り出し、これにより一豊は名馬を手に入れる事が出来た。
この逸話から千代は『夫を「内助の功」で助けた賢妻』と評価されており、また一豊の愛馬はこの故事から一般に「鏡栗毛」と言う名前で呼ばれている。

余談

ちなみにその子孫が地元、土佐鶴のCMに出演していた。
ちなみに高知県では山内氏は余所者であるという見方らしい。

戦国大戦において

妻である千代に先駆けて、織田家の武将として参戦。
のちに千代も同様に「1570 魔王上洛す」から織田家所属で参戦している。
こちらでは、夫妻同時に解説する。

スペック解説(山内一豊) 

スペックはコスト1 武力3/統率3の槍足軽。
無特技なのが寂しいが、コスト1で見ればバランスのとれた能力。

持ち計略は「不屈の構え」。
他の武将も用いる「武力を底上げし、兵力を回復する」もののため、使うのは稀だろう。

「千代、俺はお前のために
    必ず出世するからな!」

スペック解説(千代)

スペックはコスト1 武力1/統率5の弓足軽で、特技は「魅力」。
戦力として戦うには無理のある能力なため、基本は弓と計略による後方援護になる。

持ち計略でもあり、彼女の逸話でもある「内助の功」は、範囲内の「最も武力の高い、コスト1の味方武将」に対して武力を4、移動速度を100%上昇させるもの。
使用する士気が3と少なく、2色の混成にしても最大3連続の発動が行える。
重ね掛けも利くので、織田家のみの編成にしてその気になれば適当なコスト1武将が武力16以上・4倍速で動けるというイリーガル武将も出来あがる(費用対効果に合うかは別として)。

「貴方が出世なさるまで
    私が支え続けます!」

余談

ちなみに、一豊に4度掛けると武力が{3+(4×4)}=19、移動速度は足軽基準で3.6倍速での移動が可能になる。

関連タグ

山内 土佐 高知
千代/まつ/見性院正室
功名が辻司馬遼太郎著。2006年同名大河ドラマの原作。主役は妻。
山内豊信:弟の子孫(一豊には成人した子はなく、甥を養子とした)。幕末の土佐藩主。

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