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浅井長政

あざいながまさ

浅井長政(1545年~1573年9月24日)とは、戦国時代に活躍した武将で、近江(現在の滋賀県)北部一帯を治めていた戦国大名でもある。
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プロフィール編集

生没:1545年~1573年9月24日

幼名:猿夜叉丸(さるやしゃまる)

通称:新九郎

官途名:備前守


なお「浅井」の読みについては諸説あり、基本的に「あい」の読みが現在では主流として使用されるが、正しくは「あい」とする説も存在する。


生涯編集

北近江の小谷城(現在の滋賀県長浜市)に拠った浅井久政の嫡子として天文14年(1545年)、六角氏の居城・南近江の観音寺城下(現在の滋賀県近江八幡市安土町)で生まれる。


永禄2(1560)年に元服。近江守護・六角義賢の偏諱を受け賢政(かたまさ)と名乗り、義賢の家臣・平井定武の娘と結婚する。当時の浅井家は父・久政の代から六角定頼・義賢父子に敵わず臣従関係になっていた。こうした諱や婚姻も義賢による六角家と浅井家の臣従関係をはっきりさせる目的があったとされる。


しかし、賢政は六角氏に対する不満を募らせており、同志たちと共に六角氏からの離反を決意。定武の娘と離縁し、諱も返上し通称の「新九郎」を用いるなど、対抗姿勢を強める。手切れ後の翌1561年、倍以上の軍を率いた六角氏を野良田の合戦で破った事で重臣達の信望を集める。

そして、16歳にして父・久政から家督を(半ば強引に)譲り受け、永禄4年より長政と名乗るようになる。


六角氏を破り、晴れて北近江の領主になった長政であったが、大名に統治される事を望まない惣村が数多く存在しているという問題が残っていた。

そんな中、北近江のある地域で農業用水を巡った惣村同士の争いが発生。長政は自ら村人の言い分を聞いた上で裁定を行う形で村人と歩み寄ろうとしている。

また、村人達の心の拠り所についても考慮し、彼等が守り神としている弁才天を奉納する蓮華会(れんげえ)というが毎年行えるよう、祭の開かれる竹武島の社殿を修復させ、相応の寄付金も与える事で、人々の暮らしに安心を与え、信頼を勝ち取っていった。


このあたりの時期で、織田信長から同盟を持ち掛けられ、その妹・お市と結婚。織田氏との同盟を結ぶ事になるのだが、信長は父・久政の盟友である朝倉義景と不仲であったのを理由に、家臣達からは賛否両論の意見が出ていた。

足利家の権威が失墜し始めた永禄11(1568)年、浅井軍を率いる長政は織田軍と共に京都へと出発。近江の地理を熟知していた長政は先陣を切り、反信長勢力の城を攻略する事で京への道を切り開き、信長の京への上洛に貢献している。

その結果、足利義昭の補佐を務めた信長の政治・経済の改革断行によって関所の税の廃止等が実現し、北近江と京を結ぶ琵琶湖の水運発展に繋がっている。

また、この時期には長政とお市の間に子供も生まれた事で、長政の人生は最良となっていたと言っても過言ではなかった。


しかし、元亀元(1570)年4月、信長が自分に断り無く朝倉氏へ攻め始めた(義景が信長からの上洛命令を無視した事が起因)事から、古くから親交のある越前の朝倉氏を助ける名目で信長との同盟を破棄。義景と共闘する事になる。


越前へ軍を進めた長政は、乾坤一擲の好機と見て、金ヶ崎にて信長と同盟相手の徳川家康を背後から急襲するも、羽柴秀吉明智光秀松永久秀らの働きもかり肝心の信長と家康に北近江から脱出されてしまい、これが浅井氏滅亡の引き金となってしまう。

一度京へと戻り、軍を立て直した織田徳川同盟軍は6月に長比・苅安尾城を調略などで陥落させて再侵攻し、小谷城下町を焼き、横山城を包囲した。これを解囲しようとする浅井朝倉同盟軍との間で姉川の合戦が起こる。通説では長政は八千名とも言われる小勢で二万名以上とも言われる織田勢を先鋒の磯野員昌の奮闘もあってその七陣のうち五陣まで突破する善戦を見せるも、当初は一万の兵で五千の徳川勢を圧倒していた朝倉勢が徳川別動隊の横撃を受けて敗退し、それを見て徳川勢への援軍であった稲葉一鉄ら一千名が場を離れて浅井勢の横腹を突いた事もあって敗北し撤退した。この合戦で長政は弟浅井政之、二陣を指揮した浅井政澄、他にも遠藤直経今村氏直弓削家澄などの親族・家臣を失い、朝倉方と合わせて千名以上とも言われる戦死者を出し、横山城も降伏・開城した。


それから約三ヵ月後、信長の傀儡になる事を快く思っていなかった義昭によって、武田信玄朝倉義景本願寺顕如等に信長の牽制を持ち掛けた密書を送られ、同様の密書が長政の元にも送られてきた結果、「反信長包囲網」を結成。地元の寺に助力を請い、民衆を戦力として加えた長政は比叡山に自陣を敷き、反信長包囲網の要として本願寺や武田氏と結び抵抗を続け、信長が各地で巻き起こる反乱を抑える為に兵を分けざるを得ない状況へと仕向ける。

しかし、これにより信長からの更なる怒りを買ってしまった長政は、信長の策略によって正親町天皇による講和の命令が下されてしまった結果、比叡山の陣を引き払って停戦を受け入れざるを得なくなってしまう。


それから一月も経たない元亀2(1571)年、包囲網を崩す事を狙った信長によって、浅井攻略の拠点である木下秀吉の横山城を中心に北近江の交通の要であった港や街道を封鎖されてしまい、浅井氏は他の反信長勢力との連携を遮断されてしまう。この時期に横山城によって小谷城と分断されていた佐和山城の磯野員昌、それに続いて新庄直頼が織田の軍門に降っている。

更に、その後の二年間において、比叡山の焼き討ちや信玄の病死に加え義昭を追放し足利幕府を滅亡させ、また宮部継潤をはじめ多くの浅井方武将を寝返らせて磐石の態勢となった信長は天正元(1573)年に北近江へ出兵。小谷城は引き続き木下秀吉改め羽柴秀吉に囲ませ、信長本隊は朝倉義景率いる救援軍と対峙。小谷城と連絡する砦を奇襲で織田軍に落とされ、浅井軍と分断されての形勢不利を悟った義景が撤退するのを見計らって、信長は猛追撃をかけて刀根坂の戦い等でこれを壊滅させ、その勢いのまま越前に突入し朝倉義景を自害させ朝倉氏は滅亡した。


これにより長政は完全に孤立してしまったが、それでも落城寸前まで抵抗を続ける。しかし小谷城の一角が破られ父・久政が自害したことなどもあり長政はお市や子供達を脱出させた後、城に火を放って自害した。


長政の首は京の獄門に懸けられた。また、長政の長男・万福丸と長政の母・小野殿も処刑され浅井の家名は絶えている。


死後編集

翌天正2(1574)年、織田氏の正月の酒宴の酒肴として、朝倉義景と浅井父子の首(髑髏)が薄濃(『はくだみ』=漆塗りにして金粉を施す事)にされ、白木の台に据え置かれていた、と『信長公記』に記されているが本当かは定かではない。更には信長はその薄濃を杯にして酒を飲んだという俗説があるが、信長はあまり酒を嗜まなかった事実がある為、後世の作り話という可能性が高い(また、そもそも薄濃にする事というのは死者に対して弔いや敬意を表するという意味が籠められている)。


お市との間に生まれた浅井三姉妹茶々)は母とともに尾張へ逃れた。浅井の家名こそ断たれたものの、後に茶々は天下人・豊臣秀吉の子を二人産み、次男・豊臣秀頼は秀吉の後継者となった。江もまた江戸幕府二代将軍となる徳川秀忠との間に子を授かり、その内の一人・徳川家光は後に三代将軍となっている。そして江と秀忠の娘・和子は後水尾天皇に中宮として迎えられ、その子らは天皇となるなど、血縁自体は後世まで続き、尚且つ時代に大きな影響を与える人物が数多く輩出されている。


また、長政が復興させた蓮華会は、今も毎年8月15日に開かれ、北近江であった地の人々達にとって心の寄り処になっているとされている。

家族編集

祖父:浅井亮政

父:浅井久政

母:小野殿

前妻:平井政武の娘

後妻:織田信秀の娘・お市


姉:阿久

姉:京極マリア(京極高吉室)

長女:茶々(豊臣秀吉室)

次女:(京極高次室)

三女:(徳川秀忠室)

家臣団編集

  • 「海赤雨三将」…久政の代からの重臣

海北綱親赤尾清綱 ・雨森清貞

  • 「浅井四翼」…傘下の国人衆

磯野員昌野村定元三田村秀俊大野木国重


遠藤直経…長政の側近。勇猛で知られた。竹中半兵衛の弟・竹中久作重矩に討たれた

藤堂高虎宮部継潤


人物編集

長政は180cmを越える長身であったとされ、妻のお市も168cmと当時の成人男性に並ぶほどの長身であり高身長夫婦であったという。また、姉である阿久も身長176cm・体重105kgの大女であったとされる他、血縁上孫にあたる豊臣秀頼も身長196cm・体重161kgの巨漢であったという説も存在し、浅井が大柄の血統であったとおもわれる。

お市とは政略結婚だったが夫婦仲は良く、長政はお市を大切にした。織田家と対立することになっても、家族が離れ離れになることを憂いたのか、周囲の意見を押し切って離縁せずに留めている。

また前妻の平井氏とも仲は悪くなかった模様である。


武勇に冴えない父とは対照的に長政は有能な武将であり、15歳の若さで自ら兵を率い、野良田の戦いでは見事な采配ぶりを見せつけた。姉川の戦いでも敗れたとはいえ寡兵ながら善戦し、地形を利用して織田軍に奇襲するなど戦術的にも優れていた。信長も「先祖に超えたる剛の者」と評し、もし長政が長生きしていれば確実に信長の脅威になりうる男であったであろう。

信長からは、敵対するようになって以降、裏切りに関しては恨まれながらも、武将・領主としての才覚は認められており、小谷城落城前には大和一国の領主として再従順するように勧告し、助命しようとしていた(裏切り者には容赦しない信長にしては異例の処遇である)。


お市の輿入れに際し、信長からは友誼の証として一本の名刀が贈られる。

のちにこれは「浅井一文字」と名を与えられ、浅井家崩壊後は茶々に託されて豊臣秀吉の手に渡り、さらに豊臣家崩壊後は尾張徳川家によって焼け跡から発掘されて徳川家の所有となる等、図らずも戦国時代の三英傑達の元を渡り歩いた数奇な運命を辿っている。

その後は、5代徳川綱吉の代に柳沢吉保に下賜されて柳沢家の家宝となり、江戸幕府崩壊後は柳沢家の没落に際して山県有朋によって保護されるも、有朋亡き後に起きた関東大震災で焼失してしまっている。


織田家と敵対した理由編集

浅井側の記録によると、長政は信長を裏切るつもりは無かったが、父・久政や赤尾清綱ら老臣たちは古縁である朝倉家との関係を重視して織田家と戦うことを強硬に主張した為、長政は苦渋の末に朝倉家に付くことを決断したという。事実、久政は家督を譲った後も家中で発言力を有していたことが確認されている。

そもそも金ヶ崎での急襲は久政の命であって、長政は事後報告の形で状況を知った為に、否応なく信長と戦わざるを得なくなったという説もある。


一方、信長を裏切ったのは、長政の明確な意志であるという説も浮上している。

信長と同盟を結んだ事で、長政は信長と対等な関係になったと考えていたが、信長から届いた書状の内容に、家康が「徳川三河守殿」と表記されていたのに対し、自身は「浅井備前」と呼び捨てになっていたのを見た事で、長政は自身が軽視されているのではないかと考えるようになり、浅井家内部でも「浅井家はいずれ織田家の家臣になるのではないか」という不満が出始める。その結果、「琵琶湖を巡る権益を狙って北近江を支配しようとしているのではないか」という猜疑心も抱き始め、またその当時には浅井家と朝倉家が疎遠になりつつあった点からも、織田と同盟を結んでも利益が無いと判断した為に裏切ったという説が出ている。

また久政が後ろ盾にしたのはあくまで六角氏であり、朝倉氏は長政が再び浅井の後ろ盾にしたもので、信長上洛の折も朝倉との交渉を長政は受け持っており、事前通告なしに信長が朝倉攻めを行った為に面目を潰された事も一因という説もある。


評価編集

代々同盟を結んできた朝倉家を襲撃した信長を裏切って立ち向かい続けた末に命を落とした史実から、長政は現代の戦国ファンから、「義の為に戦って散った悲劇の義将」として扱われる傾向が強い


しかし、前述の通り信長を裏切った可能性は単に浅井家の利を優先した結果に過ぎない可能性も高い上に、北近江各所の寺に協力を呼び掛けた結果、多くの僧侶や村民達を戦争に巻き込んでしまい、信長の起こした惨劇でも最大規模となる「比叡山・延暦寺の焼き討ち」にまで繋がっている事実も踏まえると、長政の裏切りが決して正しい判断であったかは微妙だったと言えなくもない。

また、信長側は、反信長包囲網を切り崩して長政を小谷城での籠城にまで追い込んだ後、羽柴秀吉らを使者として送って降伏を呼びかけ、それにも長政は最後まで反発しているのだが、落城寸前になって信長の妹でもある妻のお市や息子の万福丸、3人の娘達の助命を求める等、裏切って最終勧告も跳ね除け、更には多くの家臣達を犠牲にしていながら、ややムシの良い願いをしていたとも言える(結果、万福丸は助命を認められず、処刑されてしまった)。


創作作品における長政編集

絶世の美女と謳われた妻お市との釣り合いの関係上か、現代のゲームアニメでは一般的に細身のイケメンとして描かれることが多い。しかし実際に残っている肖像画では斎藤高政(義龍)龍造寺隆信のようなガッシリとした恵体の大男で、イケメンとは言い難い(尤も、当時と現代では美的感覚が異なるうえ、肖像画は後世に描かれたものが多く必ずしも本人の姿に似ているとは限らない)。


武勇に優れ同志たちからも信望を集めたという話もある事から、概ね誠実な人物として描かれていることも共通している。


戦国無双編集

浅井長政(戦国無双)を参照


信長の野望シリーズ編集

どのシリーズでも能力的に父・久政よりは優秀。登場当初からイケメンだが、武将風雲録までは肉付きの良さを窺わせる顔立ちをしていた。しかし覇王伝からは顔も細めになっている。

特に信長の野望 DS2では父・久政と共にチュートリアルの説明担当として登場、凡庸な父にゲームのやり方を様々な表情をしながら説明をする役割をする。

チュートリアルのラストでは久政から家督を譲られるが、本編ではなんと!!専用エンディングも用意されてる!!。長政が好きな人なら是非頑張ってクリアして貰いたい。


戦国BASARA編集

浅井長政(戦国BASARA)参照。

無言即殺!悪と無駄口、削除なり!!

正義のひと

CV:辻谷耕史


紅白の衣装に3分間のみ効果を発揮する固有装備とどこかで見たキック技、

さらに技を出した後の決めポーズなど、全体的に「特撮」がテーマのキャラクター。

異常なまでに正義感溢れる性格で、例えるならば、赤信号を無視して横断歩道を渡ったら斬られるレベル。

詳しくはこちら


殿といっしょ編集

【殿いつ】浅井長政【焼討ち怖い】


肖像画とは真逆の虚弱体質で臆病者な優男で、常にオドオドしている小心者。

ひきこもりがちで、危険を感じ取ると奇声を発しとんでもなく小さい隙間に逃げ込む始末。体力も低く、鎧を着れば一歩も動けず、二升の米を持ち上げただけで大喜びするほど、壊滅的にモヤシ。

妻のお市とは結婚してからの夫婦仲は良好な様子。

義兄である織田信長等に対し、隠れ癖が付いている。


信長の忍び編集

お市と長政

CV:内匠靖明

こちらは打って変わってバケモノであり、幼い頃より鍛え抜かれた体は槍も刀も通さず、戦場に出れば雑兵どもを紙屑のように蹴散らす怪力武者。己の筋肉に猛烈な自信を抱いており、いかなる時も鍛錬を欠かさず、自らの筋肉と会話ができるほど。あまりに身体能力が高すぎるため、部下からは「武将じゃなくて足軽向き」と言われていた。

(以前から側室はいたが)正室・お市のことを深く愛しており、娘たちの事も溺愛していた。織田家に追い詰められ、切腹を迎えた時は「成長した娘たちの姿を見れないのは哀しいが、輿入れの別れを迎えなかっただけ幸せだ」と滂沱していた。

彼の鋼の身体に唯一無二の傷をつけたのも、彼自身の鋼の腕だった。鍛えに鍛えた愛刀は鉄板を突き破ったような爆音を挙げ、悔いを残すことなく自らの一生に終止符を打った。


織田信奈の野望編集

長政詰め合わせ

CV:斎賀みつき

青髪を束ねた美貌の戦国武将。女を道具扱いし、織田家に同盟の証として妹の輿入れを要求する。

…が、実はある秘密を抱えている。

詳細は該当項目参照。


戦国大戦編集

長浜・北ノ庄・一乗谷記念

(中央が浅井長政。左は柴田勝家、右は朝倉義景

CV:野宮一範


「1570魔王上洛す」から参戦。新勢力・浅井朝倉家の浅井家当主。

最上位のレアカードであるSR版と、初心者・群雄伝向けの「戦国大名(スターターカード)」版の2種類がある。

どちらも現在排出停止になっているが、戦国鬼札(せんごくジョーカー)という仕様のカードと、それによる「電影武将(デジぶしょう)」(排出停止したカードの代わりになるデータ置き換えシステム)により現在も扱える。

もちろん、実物が有ればそれも使用できる。


白くきれいな翼が付けられた鎧を着た特徴的な姿で、とにかく白が強調されている。

(義兄の信長は青と金色の禍々しい翼を付けた鎧を着ており対照的になっている)


信なくば義立たずの精神の下、信長の過酷なやり方ではいずれ行き詰ると考え、

信長の越前侵攻を機に離反して信義のために戦う……というある意味スタンダードな人物像。

台詞回りも『命尽きる時まで 正々堂々と戦え!』(開戦前)や、『どんな苦難に遭おうとも、守ってみせる!(『運命を乗り越えよ!』)』(計略使用時・括弧内はSR仕様のもの)など、やはり正義感の強いものになっている。

本項では、3つの仕様(SR・ST(UC)・SJK(戦国鬼札))を解説する。


SR仕様解説編集

二つ名は「近江の鷹」。

スペックはコスト3 武力9/統率9の騎馬隊で、特技は「魅力」。

コストに対して若干武力が低めだが、統率の高い騎馬隊というのは貴重な存在。

相手の妨害に強く、要所でのせめぎ合いでも安定した攻めが出来る。


SR版の計略「正義の進軍」は、長政自身が敵陣にいる間は浅井朝倉家の武将が追加の武力上昇を

得られる大名采配(自陣で武力+4、敵陣に入るとそれに+2、長政が撤退している場合「長政の最後に居た位置で固定」)で、積極的に敵陣に攻め込む展開で真価を発揮する。

なお、Ver1.2以前は陣形計略だったため、常に効果が変動する計略でもあったが、現在でも効果は変動する。


戦国大名(STないしUC)仕様解説編集

二つ名は「戦国大名」。

イラストはSR仕様のもののアップを使用している。

スペックはコスト2.5 武力8/統率8の騎馬隊で、特技は「魅力」。

SR仕様からコストが0.5減って、それに伴い武力・統率ともに1ずつ低下した。

ST版の計略は「円陣」で、円形の陣形を展開し、武力が3上がるという、初心者にとって使い易いカードとなっている。また必要士気もSRより軽い分、裏の手として組み込んで戦う事が出来る。


戦国鬼札(SJK)仕様編集

現在の「1582 -日輪、本能寺より出ずる-」からは、スターターパックの仕様が変更され、数種類の戦国鬼札がまとめて入手できるようになっており、この「浅井長政」は、織田信長羽柴秀吉伊達政宗と同じパックに入っている。

スペックはコスト2 武力7/統率7の騎馬隊。

上二つの仕様ではあった「魅力」が失われているが、元々のスペックをコスト比高バランスで備えているため、総合力は悪くない。

こちらの計略は「早駆け」になっており、自身の移動速度を上昇させるものになっている。


「死を恐れるな!  運命を乗り越えよ!」


余談編集

妻であるお市の方も参戦している。しかし彼女の計略は味方武将にかかっている計略を敵味方のもの問わず打ち消してしまう「流転の命運」のため、このゲームではめずらしく夫婦間の相性が良くないことが知られている。

また、共に筐体から排出されるカードである為、「SR浅井長政が来た!!」と思い、カードをよく見てみると「戦国大名」版でガッカリしたというプレイヤーが多々いると言われている(その事実は雑賀孫市にも当て嵌まる)。


ラヴヘブン編集

乙女パズルゲームの攻略キャラクター。初期レアリティはNでの登場。

金髪青目の青年。純粋すぎる面があり、嘘を見抜けず騙される事もしばしば。

メインストーリーでは敵として登場するが、主人公らによって解放される。


ねこねこ日本史(あさあさコンビ)編集

https://www.pixiv.net/artworks/85214831 #pixiv

CV三谷翔子 (メイン画像から左のクリーム色の子)

ねこねこしっぽぐるぐるで天下統一を狙う猫。

86話の終盤では信長の挑戦を受けようとするが、朝倉が面倒だからと言う理由から断られてしまう。


関連タグ編集

戦国時代 武将 大名

浅井夫婦 浅井三姉妹

お市(妻・継室) 六角義賢 織田信長

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