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島左近

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しまさこん

島左近とは、近畿地方の戦国武将。元は大和の国人として、筒井氏を始め数々の大名に仕え、後に石田三成に三顧の礼をもって迎えられた。(1540年-1600年)
島左近とは、近畿地方の戦国武将。元は大和の国人として、筒井氏を始め数々の大名に仕え、後に石田三成に三顧の礼をもって迎えられた。(1540年-1600年)

概要

概要

出身:大和国

生誕:天文9年5月5日?(1540年6月9日)

死没:慶長5年9月15日?(1600年10月21日)


室町末期~安土桃山期にかけて活躍した武将の一人で、一般には石田三成の側近として広く知られている。左近の名乗りは通称であり、本名は島清興(しま きよおき)。かつては勝猛(かつたけ)が本名であると考えられていたが、自筆の文書における署名などから現在では清興の方が正確であるという見解が一般的となっている。


柳生新陰流剣術で知られる柳生氏とは、元々同じ大和の国人であった事から関わりが深く、特に江戸柳生家の始祖である柳生宗矩とは、彼の父である柳生宗厳(石舟斎)が筒井氏に仕えていた縁で交流を持っていたという。真偽は定かでないが、宗矩が関ヶ原の合戦前に家康に命じられ、偵察も兼ねて左近の元に挨拶に出向いた、という逸話も残されている。また、左近の娘であるは、石舟斎の孫にして尾張柳生家の始祖である柳生利厳(兵庫助)に継室として嫁いでおり、利厳の息子で曾祖父に父や従兄弟の十兵衛と共に剣豪として名高い柳生厳包(連也斎)は左近の外孫にあたり、連也斎は16歳まで島姓を名乗っている。


生涯

生涯

筒井氏の家臣として

元は大和国平群の土豪の出で、当初隣国河内の畠山高政に仕え、畠山氏が没落するとこれと協調関係にあった筒井順慶に従うようになる。この当時の畿内では三好長慶が幕府の実権を掌握し全盛期を迎えており(左近が畠山氏の元を去った直接の原因も、三好氏との抗争での敗北による畠山氏の没落であった)、新たに仕えた筒井氏もまた、長慶の腹心である松永久秀の猛威に晒される事となる。


順慶と久秀が大和の覇権を巡って争っていた間の、左近の動向については実はそこまで定かではない。この当時は宇陀にて勢力を有し、久秀との度重なる戦いを通じて軍略を磨きつつ、順慶を支えていたものと見られるが、ハッキリと左近の名が史料上に現れるのは元亀2年(1571年)、筒井方が松永方を降し、本拠の筒井城を奪還した辰市合戦での事である。

ともあれ、辰市合戦も含めた数々の功績によって筒井氏の重臣として名を連ねるようになったようで、その後も武功だけでなく内政面においても、大和統一を果たした順慶を支え続けていたが、天正12年(1584年)に順慶が早逝し、嫡男の定次が後を継いでしばらく後、左近は筒井家中を離れ浪々の身となった。

筒井家中を去った理由として、定次との意見の相違もあったというが、それ以上に定次の寵臣であった中坊秀祐との対立と、それに端を発した讒言によるところが大きいと見られている。


三成の家臣へ

その後は蒲生氏郷、もしくは豊臣秀長秀保父子に仕えたと伝わるが、やがて引く手数多の声ある中で、特に彼を熱心に召し抱えようとしていた石田三成に仕えることを決意する。石田家中に迎えられた時期はハッキリしないが、小田原征伐の折に佐竹氏との交渉に関与していた事が自筆の書状から明らかにされており、少なくとも天正18年(1590年)時点では既に重臣と言える立場を確立していた事が窺える。


左近を家臣として引き入れた当時、俸禄4万石の三成が左近を2万石で召抱え、のちに三成が出世した折に彼が左近の家禄を増やそうとしたが拒否されたという、左近の義理堅さについての逸話もある。これには諸説(※)あり、左近を召し抱えた時にはすでに佐和山で19万石という高禄を貰っていたという説もあって実際のところは定かではないが、それでも三成から破格の待遇をもって迎えられていたことは間違いなく、


「三成に過ぎたるものが二つあり 島の左近佐和山の城


と謳われた程である。

同時に三成の悪癖であったとされる、「人を見かけで判断する」「己の価値観だけの好悪の感情で相手を判断する」ことをたしなめるのも、左近の役割だったという。


(※ 三成が俸禄500石の折、柴田勝家、豊臣秀吉の誘いも蹴った渡辺勘兵衛(増田長盛藤堂高虎などに仕えた渡辺了とは別人。渡辺新之丞とも。)を召し抱えたと聞き、秀吉が三成にどうやってかの者を雇えたのか聞いたところ、「知行の全てを与えました。今では私が彼に養われています」と答えたという話があり、左近を召し抱えた折の逸話はそれをアレンジしたものという説もある)


関ヶ原の戦い

慶長5年(1600年)、主君・三成が打倒家康を掲げ、他の奉行衆や毛利輝元らと共に挙兵すると左近もこれに従った。

関ヶ原本戦前日の9月14日には、自ら500の兵を率いて宇喜多秀家の家臣明石全登の支援を受け、東軍の中川一栄・有馬豊氏両隊を襲撃、これを打ち破るという快挙を見せた(杭瀬川の戦い)。

この戦いを左近が仕掛けたのは、この日、既に東軍の総大将である徳川家康の軍勢が、三成らの篭もる大垣城の目と鼻の先に当たる美濃赤坂(現・岐阜県大垣市赤坂町)にまで達して布陣しており、その予想以上の早さに動揺した西軍の諸兵の低下した士気を鼓舞する為であった。


またその晩の軍議において、島津義弘小西行長らが家康本陣に対する夜襲を提案、三成からこれを退けられたという逸話が残るが、この時左近は義弘らと共に夜襲を献策としたとも、逆に「古来より夜襲で少勢が大軍に仕掛けて勝利した例が無い」として反対したとも伝わる。

この時、左近が「明日は久々に家康の敗走する姿が見られる」と口にしたのに対して、島津豊久から家康の敗走するを見たのは何時の事かと尋ねられ「若い頃は武田信玄に仕官し、山県昌景の下で家康が敗走するのを追った」と語ったという逸話もあり、これを典拠として左近が武田家臣であったとする俗説も存在するが、この逸話が記された『天元実記』の成立は関ヶ原から100年以上も経過した江戸後期の事で、なおかつ武田氏と徳川氏が抗争を繰り広げていた頃は前述の通り筒井氏に仕えていた事もあり、真偽は不明である。


ともあれ、翌日の本戦では左近も自ら陣頭に立ち奮戦、その果てに討死したという。享年61。その最期についても諸説あり、緒戦での黒田長政隊との交戦中に側面からの撃に遭って呆気なく戦死したとも、もしくは負傷しながらも一旦前線から退いた後、敗北が決定的となったのを見て取って再度出陣し最期を遂げたとも伝わっており、後者に関しては戸川達安(宇喜多秀家の旧臣)によって討ち取られたとも言われている。

いずれにせよ、この時の左近の奮戦は凄まじかったらしく、「誠に身の毛も立ちて汗の出るなり」と徳川方に言わしめるほどであったという。また左近と直接対峙した黒田長政の配下らは、左近の鬼気迫る壮絶な勢いに恐怖し、関ヶ原の戦いの後もこの合戦を思い出しては、迫りくる"左近の悪夢"にうなされたという。ある時彼らが若侍に対して、当時の左近の戦装束を語り合った際にも、各人とも恐怖の余りにその出で立ちを正確に思い出せなかったという逸話が残されている程である。


とはいえ、戦後左近の首並びに遺骸は発見されておらず、この事から辛くも関ヶ原から落ち延び、京都の立本寺に逃れた後寛永9年(1633年)に亡くなるまで同寺にて僧として余生を過ごしたという説もある。


創作作品における島左近

創作作品における島左近

影武者徳川家康

諱は勝猛となっている。

関ヶ原の戦いにおいて、配下の忍・甲斐の六郎を差し向けて徳川家康を暗殺させた張本人。

しかし、家康の影武者である世良田二郎三郎の機転により東軍の指揮は下がらず、小早川秀秋らの裏切りもあり戦況は一変し、西軍は敗走する。


自身も銃弾により瀕死の重傷を負うが、六郎の救出と介抱により一命をとりとめる。

その後、六条河原で斬首刑を執行するため護送中だった主君・三成と再会し、影武者とともに豊臣秀頼を守る使命を託される。


なお、原哲夫によって漫画化もされた本作だが、『SAKON(左近)-影武者徳川家康外伝-』では、墨炎という頑強な戦場刀を愛用したり、背中に「義(羊に死を合わせた造漢字)」と書いた陣羽織を着用するなど様々な脚色が追加された。

関ケ原(TVドラマ)

演:三船敏郎


徳川家康(大河ドラマ)

演:川津祐介

関ヶ原緒戦で田中吉政隊と交戦中に黒田長政の鉄砲隊の銃撃で呆気なく戦死を遂げる。


葵徳川三代

演:夏八木勲

関ヶ原緒戦で黒田長政、細川忠興隊と交戦し奮戦。石田三成が最前線に自ら参入し、そこを黒田の鉄砲隊に狙われているのを察知し、相手に強引に突撃して被弾。三成の腕の中で「一命、捧げ奉る」と言い残し絶命した。

夏八木氏の左近は一部では三船氏以来のベストな配役だったとも評された。


関ケ原(映画)

演:平岳大

豊臣秀次の愛妾が処刑される刑場で秀吉を大っぴらに非難したことがきっかけで三成と出逢う。関ヶ原の戦いでは、西軍の敗北後迫りくる徳川軍を道連れに壮絶な爆死を遂げた。


戦国無双シリーズ

CV:山田真一

武器:斬馬刀

石田三成の腹心の将。剛毅な性格。口調は軽く、遊び人のような雰囲気だが本質は真摯。


さらに詳しくは島左近(戦国無双)を参照。


戦国BASARAシリーズ

CV:中村悠一


石田三成の側近。賭け事を何より好む。

身軽なスピード型で、「斬り」と「蹴り」を駆使したアクロバティックな攻撃を得意とする。

発売前情報で「”豊臣秀吉腕”である三成の傍ら(く)に居る」ことから「左近」と名乗るシーンが公開されている。


さらに詳しくは島左近(戦国BASARA)を参照。


采配のゆくえ


石田三成の家臣であり、天下に名を知られる名軍師。

君主である三成を遠慮なしにバカ呼ばわりしているが、その実敬愛し、非常に気に掛けている。

三成の理想論を真摯に受け止め、実現のために命を懸ける、頼れる父親的存在。


戦国大戦


Ver1.1で織田家として参戦。Ver1.20では主君の石田三成を差し置いて参戦している。


ラヴヘブン

乙女パズルゲームの攻略キャラクター。初期レアリティはHRでの登場。

異世界の危機を救うため、主人公により召喚された。


関連タグ

関連タグ

戦国時代 武将 軍師 西軍

筒井順慶 松永久秀 石田三成 柳生宗矩

戦国無双 武田信玄 義レンジャイ

無双OROCHI 孫策 陸遜

しまさこにゃん

概要

概要

出身:大和国

生誕:天文9年5月5日?(1540年6月9日)

死没:慶長5年9月15日?(1600年10月21日)


室町末期~安土桃山期にかけて活躍した武将の一人で、一般には石田三成の側近として広く知られている。左近の名乗りは通称であり、本名は島清興(しま きよおき)。かつては勝猛(かつたけ)が本名であると考えられていたが、自筆の文書における署名などから現在では清興の方が正確であるという見解が一般的となっている。


柳生新陰流剣術で知られる柳生氏とは、元々同じ大和の国人であった事から関わりが深く、特に江戸柳生家の始祖である柳生宗矩とは、彼の父である柳生宗厳(石舟斎)が筒井氏に仕えていた縁で交流を持っていたという。真偽は定かでないが、宗矩が関ヶ原の合戦前に家康に命じられ、偵察も兼ねて左近の元に挨拶に出向いた、という逸話も残されている。また、左近の娘であるは、石舟斎の孫にして尾張柳生家の始祖である柳生利厳(兵庫助)に継室として嫁いでおり、利厳の息子で曾祖父に父や従兄弟の十兵衛と共に剣豪として名高い柳生厳包(連也斎)は左近の外孫にあたり、連也斎は16歳まで島姓を名乗っている。


生涯

生涯

筒井氏の家臣として

元は大和国平群の土豪の出で、当初隣国河内の畠山高政に仕え、畠山氏が没落するとこれと協調関係にあった筒井順慶に従うようになる。この当時の畿内では三好長慶が幕府の実権を掌握し全盛期を迎えており(左近が畠山氏の元を去った直接の原因も、三好氏との抗争での敗北による畠山氏の没落であった)、新たに仕えた筒井氏もまた、長慶の腹心である松永久秀の猛威に晒される事となる。


順慶と久秀が大和の覇権を巡って争っていた間の、左近の動向については実はそこまで定かではない。この当時は宇陀にて勢力を有し、久秀との度重なる戦いを通じて軍略を磨きつつ、順慶を支えていたものと見られるが、ハッキリと左近の名が史料上に現れるのは元亀2年(1571年)、筒井方が松永方を降し、本拠の筒井城を奪還した辰市合戦での事である。

ともあれ、辰市合戦も含めた数々の功績によって筒井氏の重臣として名を連ねるようになったようで、その後も武功だけでなく内政面においても、大和統一を果たした順慶を支え続けていたが、天正12年(1584年)に順慶が早逝し、嫡男の定次が後を継いでしばらく後、左近は筒井家中を離れ浪々の身となった。

筒井家中を去った理由として、定次との意見の相違もあったというが、それ以上に定次の寵臣であった中坊秀祐との対立と、それに端を発した讒言によるところが大きいと見られている。


三成の家臣へ

その後は蒲生氏郷、もしくは豊臣秀長秀保父子に仕えたと伝わるが、やがて引く手数多の声ある中で、特に彼を熱心に召し抱えようとしていた石田三成に仕えることを決意する。石田家中に迎えられた時期はハッキリしないが、小田原征伐の折に佐竹氏との交渉に関与していた事が自筆の書状から明らかにされており、少なくとも天正18年(1590年)時点では既に重臣と言える立場を確立していた事が窺える。


左近を家臣として引き入れた当時、俸禄4万石の三成が左近を2万石で召抱え、のちに三成が出世した折に彼が左近の家禄を増やそうとしたが拒否されたという、左近の義理堅さについての逸話もある。これには諸説(※)あり、左近を召し抱えた時にはすでに佐和山で19万石という高禄を貰っていたという説もあって実際のところは定かではないが、それでも三成から破格の待遇をもって迎えられていたことは間違いなく、


「三成に過ぎたるものが二つあり 島の左近佐和山の城


と謳われた程である。

同時に三成の悪癖であったとされる、「人を見かけで判断する」「己の価値観だけの好悪の感情で相手を判断する」ことをたしなめるのも、左近の役割だったという。


(※ 三成が俸禄500石の折、柴田勝家、豊臣秀吉の誘いも蹴った渡辺勘兵衛(増田長盛藤堂高虎などに仕えた渡辺了とは別人。渡辺新之丞とも。)を召し抱えたと聞き、秀吉が三成にどうやってかの者を雇えたのか聞いたところ、「知行の全てを与えました。今では私が彼に養われています」と答えたという話があり、左近を召し抱えた折の逸話はそれをアレンジしたものという説もある)


関ヶ原の戦い

慶長5年(1600年)、主君・三成が打倒家康を掲げ、他の奉行衆や毛利輝元らと共に挙兵すると左近もこれに従った。

関ヶ原本戦前日の9月14日には、自ら500の兵を率いて宇喜多秀家の家臣明石全登の支援を受け、東軍の中川一栄・有馬豊氏両隊を襲撃、これを打ち破るという快挙を見せた(杭瀬川の戦い)。

この戦いを左近が仕掛けたのは、この日、既に東軍の総大将である徳川家康の軍勢が、三成らの篭もる大垣城の目と鼻の先に当たる美濃赤坂(現・岐阜県大垣市赤坂町)にまで達して布陣しており、その予想以上の早さに動揺した西軍の諸兵の低下した士気を鼓舞する為であった。


またその晩の軍議において、島津義弘小西行長らが家康本陣に対する夜襲を提案、三成からこれを退けられたという逸話が残るが、この時左近は義弘らと共に夜襲を献策としたとも、逆に「古来より夜襲で少勢が大軍に仕掛けて勝利した例が無い」として反対したとも伝わる。

この時、左近が「明日は久々に家康の敗走する姿が見られる」と口にしたのに対して、島津豊久から家康の敗走するを見たのは何時の事かと尋ねられ「若い頃は武田信玄に仕官し、山県昌景の下で家康が敗走するのを追った」と語ったという逸話もあり、これを典拠として左近が武田家臣であったとする俗説も存在するが、この逸話が記された『天元実記』の成立は関ヶ原から100年以上も経過した江戸後期の事で、なおかつ武田氏と徳川氏が抗争を繰り広げていた頃は前述の通り筒井氏に仕えていた事もあり、真偽は不明である。


ともあれ、翌日の本戦では左近も自ら陣頭に立ち奮戦、その果てに討死したという。享年61。その最期についても諸説あり、緒戦での黒田長政隊との交戦中に側面からの撃に遭って呆気なく戦死したとも、もしくは負傷しながらも一旦前線から退いた後、敗北が決定的となったのを見て取って再度出陣し最期を遂げたとも伝わっており、後者に関しては戸川達安(宇喜多秀家の旧臣)によって討ち取られたとも言われている。

いずれにせよ、この時の左近の奮戦は凄まじかったらしく、「誠に身の毛も立ちて汗の出るなり」と徳川方に言わしめるほどであったという。また左近と直接対峙した黒田長政の配下らは、左近の鬼気迫る壮絶な勢いに恐怖し、関ヶ原の戦いの後もこの合戦を思い出しては、迫りくる"左近の悪夢"にうなされたという。ある時彼らが若侍に対して、当時の左近の戦装束を語り合った際にも、各人とも恐怖の余りにその出で立ちを正確に思い出せなかったという逸話が残されている程である。


とはいえ、戦後左近の首並びに遺骸は発見されておらず、この事から辛くも関ヶ原から落ち延び、京都の立本寺に逃れた後寛永9年(1633年)に亡くなるまで同寺にて僧として余生を過ごしたという説もある。


創作作品における島左近

創作作品における島左近

影武者徳川家康

諱は勝猛となっている。

関ヶ原の戦いにおいて、配下の忍・甲斐の六郎を差し向けて徳川家康を暗殺させた張本人。

しかし、家康の影武者である世良田二郎三郎の機転により東軍の指揮は下がらず、小早川秀秋らの裏切りもあり戦況は一変し、西軍は敗走する。


自身も銃弾により瀕死の重傷を負うが、六郎の救出と介抱により一命をとりとめる。

その後、六条河原で斬首刑を執行するため護送中だった主君・三成と再会し、影武者とともに豊臣秀頼を守る使命を託される。


なお、原哲夫によって漫画化もされた本作だが、『SAKON(左近)-影武者徳川家康外伝-』では、墨炎という頑強な戦場刀を愛用したり、背中に「義(羊に死を合わせた造漢字)」と書いた陣羽織を着用するなど様々な脚色が追加された。

徳川家康(大河ドラマ)

演:川津祐介

関ヶ原緒戦で田中吉政隊と交戦中に黒田長政の鉄砲隊の銃撃で呆気なく戦死を遂げる。


葵徳川三代

演:夏八木勲

関ヶ原緒戦で黒田長政、細川忠興隊と交戦し奮戦。石田三成が最前線に自ら参入し、そこを黒田の鉄砲隊に狙われているのを察知し、相手に強引に突撃して被弾。三成の腕の中で「一命、捧げ奉る」と言い残し絶命した。

夏八木氏の左近は一部では三船氏以来のベストな配役だったとも評された。


関ケ原(映画)

演:平岳大

豊臣秀次の愛妾が処刑される刑場で秀吉を大っぴらに非難したことがきっかけで三成と出逢う。関ヶ原の戦いでは、西軍の敗北後迫りくる徳川軍を道連れに壮絶な爆死を遂げた。


戦国無双シリーズ

CV:山田真一

武器:斬馬刀

石田三成の腹心の将。剛毅な性格。口調は軽く、遊び人のような雰囲気だが本質は真摯。


さらに詳しくは島左近(戦国無双)を参照。


戦国BASARAシリーズ

CV:中村悠一


石田三成の側近。賭け事を何より好む。

身軽なスピード型で、「斬り」と「蹴り」を駆使したアクロバティックな攻撃を得意とする。

発売前情報で「”豊臣秀吉腕”である三成の傍ら(く)に居る」ことから「左近」と名乗るシーンが公開されている。


さらに詳しくは島左近(戦国BASARA)を参照。


采配のゆくえ


石田三成の家臣であり、天下に名を知られる名軍師。

君主である三成を遠慮なしにバカ呼ばわりしているが、その実敬愛し、非常に気に掛けている。

三成の理想論を真摯に受け止め、実現のために命を懸ける、頼れる父親的存在。


戦国大戦


Ver1.1で織田家として参戦。Ver1.20では主君の石田三成を差し置いて参戦している。


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異世界の危機を救うため、主人公により召喚された。


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     今回から腐に入るよ!『想うは貴方ただひとりだけ』の続編です。  今回は三成視点です。  つい少し前に投稿したばかりですが、すいません。出来上がっちゃったもんでww  そういえば、作中で三成が左近に「お前」と言っています。ゲームでは大体「貴様」なんですが、「三成も生まれ変わって丸くなったんだよ」的な意味で「お前」にしています。そこの辺りはご了承ください!    今回はⅠとⅡに分かれます。  では、お楽しみください!
  • ありえない交差

    トライアングル③

    前作に引き続き、いいねやブクマ、フォローありがとうございます。今回も前作に引き続き、模造が多数含まれておりますので、ご注意ください。
  • 短編

    【左+谷】ARMS・2

    吉継に宛てた毛利家の書状に気付いた左近は、吉継の離反を警戒する。左近にとって三成の傍にいられる現在は、やっと手に入れた生き甲斐ある人生で…。 書きかけで放置してあった初期設定の左近(大谷さんを警戒している)の習作です。後編。不穏ですが、安心してください、ブルーレーベルですよ。 ※左近の過去、筒井氏の存在を捏造しています。
    11,535文字pixiv小説作品
  • 俺と守護霊とお狐様

    現代転生モノ。小説家の左近と、その守護霊の伏犠と、妖狐の三成のほのぼの。
    11,490文字pixiv小説作品
  • 遅れましてハロウィン(サコマサ)

    ツイッターでアイコン絵で妄想したSSを書かせてください!という無茶ぶりをして、出流さんに許可をいただきまして描いたサコマサSS・現代パラレルになります。プラスして、出流さんのハロウィン絵(http://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=39548348)をネタにさせていただいております。出流さん、御許可ありがとうございました!
  • #同題ssBSR

    キツネノカミソリとタヌキノカミソリ(同題ssBSR)

    さこにゃんが呑んだくれの訳をようやく知った…
  • あにまるあぱーと

    くろたぬ物語第二弾 前に書いたやつがバグって水の泡と消えたので またそれは後日出せたら出したいです。 今回はくろたぬ目線と左近目線がございます。
  • 『チェス盤上の血統』で12のお題

    戦国BASARA(左又)「縦横無尽に駆け巡る」

    「無限のム」様(http://mugennomu.web.fc2.com/)の「『チェス盤上の血統』で12のお題」に挑戦中です。 又兵衛に思いを打ち明けた左近が、受け入れてもらう為に奔走します。 元気いっぱいな左近に、又兵衛は振り回され気味です。
  • BSR4連作

    月下天壌 (2)豊の双色 【前】

    前話(http://www.pixiv.net/novel/show.php?id=3542613)の続き。左近の豊臣ライフ開始&刑部・半兵衛顔見せ回。 CP表現は極薄ですが念のためタグ追加。厳密には左三は未発生で、はっきりするのは数話後の予定。 後編→(http://www.pixiv.net/novel/show.php?id=3903395)
    24,105文字pixiv小説作品
  • 博打ちと、イカサマ

    「弱味を見せる家康さんと、それを「しょうがないっすねぇ」と両手を広げて優しく受け入れる左近ちゃん」 斜め下くらいの解釈をしました。流血表現がありまして大変申し訳ないです。 ステキな企画に参加させていただきまして有難う御座います。 遅くなり大変申し訳ございません。
  • 豊臣の日常~悲劇~

    最初に言っておく!!!← これはか~な~り、続かない!!!(いみふ えっとですねはい続きません。 あと秀吉存命の日常パロ?です。 最近もうなんかいろいろ無理。 tensionがくっそ崩壊しててヤバス。 この作品って、家庭科の授業さぼってノートに書いてたやつなんだよね←

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島左近

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しまさこん

島左近とは、近畿地方の戦国武将。元は大和の国人として、筒井氏を始め数々の大名に仕え、後に石田三成に三顧の礼をもって迎えられた。(1540年-1600年)
島左近とは、近畿地方の戦国武将。元は大和の国人として、筒井氏を始め数々の大名に仕え、後に石田三成に三顧の礼をもって迎えられた。(1540年-1600年)

概要

概要

出身:大和国

生誕:天文9年5月5日?(1540年6月9日)

死没:慶長5年9月15日?(1600年10月21日)


室町末期~安土桃山期にかけて活躍した武将の一人で、一般には石田三成の側近として広く知られている。左近の名乗りは通称であり、本名は島清興(しま きよおき)。かつては勝猛(かつたけ)が本名であると考えられていたが、自筆の文書における署名などから現在では清興の方が正確であるという見解が一般的となっている。


柳生新陰流剣術で知られる柳生氏とは、元々同じ大和の国人であった事から関わりが深く、特に江戸柳生家の始祖である柳生宗矩とは、彼の父である柳生宗厳(石舟斎)が筒井氏に仕えていた縁で交流を持っていたという。真偽は定かでないが、宗矩が関ヶ原の合戦前に家康に命じられ、偵察も兼ねて左近の元に挨拶に出向いた、という逸話も残されている。また、左近の娘であるは、石舟斎の孫にして尾張柳生家の始祖である柳生利厳(兵庫助)に継室として嫁いでおり、利厳の息子で曾祖父に父や従兄弟の十兵衛と共に剣豪として名高い柳生厳包(連也斎)は左近の外孫にあたり、連也斎は16歳まで島姓を名乗っている。


生涯

生涯

筒井氏の家臣として

元は大和国平群の土豪の出で、当初隣国河内の畠山高政に仕え、畠山氏が没落するとこれと協調関係にあった筒井順慶に従うようになる。この当時の畿内では三好長慶が幕府の実権を掌握し全盛期を迎えており(左近が畠山氏の元を去った直接の原因も、三好氏との抗争での敗北による畠山氏の没落であった)、新たに仕えた筒井氏もまた、長慶の腹心である松永久秀の猛威に晒される事となる。


順慶と久秀が大和の覇権を巡って争っていた間の、左近の動向については実はそこまで定かではない。この当時は宇陀にて勢力を有し、久秀との度重なる戦いを通じて軍略を磨きつつ、順慶を支えていたものと見られるが、ハッキリと左近の名が史料上に現れるのは元亀2年(1571年)、筒井方が松永方を降し、本拠の筒井城を奪還した辰市合戦での事である。

ともあれ、辰市合戦も含めた数々の功績によって筒井氏の重臣として名を連ねるようになったようで、その後も武功だけでなく内政面においても、大和統一を果たした順慶を支え続けていたが、天正12年(1584年)に順慶が早逝し、嫡男の定次が後を継いでしばらく後、左近は筒井家中を離れ浪々の身となった。

筒井家中を去った理由として、定次との意見の相違もあったというが、それ以上に定次の寵臣であった中坊秀祐との対立と、それに端を発した讒言によるところが大きいと見られている。


三成の家臣へ

その後は蒲生氏郷、もしくは豊臣秀長秀保父子に仕えたと伝わるが、やがて引く手数多の声ある中で、特に彼を熱心に召し抱えようとしていた石田三成に仕えることを決意する。石田家中に迎えられた時期はハッキリしないが、小田原征伐の折に佐竹氏との交渉に関与していた事が自筆の書状から明らかにされており、少なくとも天正18年(1590年)時点では既に重臣と言える立場を確立していた事が窺える。


左近を家臣として引き入れた当時、俸禄4万石の三成が左近を2万石で召抱え、のちに三成が出世した折に彼が左近の家禄を増やそうとしたが拒否されたという、左近の義理堅さについての逸話もある。これには諸説(※)あり、左近を召し抱えた時にはすでに佐和山で19万石という高禄を貰っていたという説もあって実際のところは定かではないが、それでも三成から破格の待遇をもって迎えられていたことは間違いなく、


「三成に過ぎたるものが二つあり 島の左近佐和山の城


と謳われた程である。

同時に三成の悪癖であったとされる、「人を見かけで判断する」「己の価値観だけの好悪の感情で相手を判断する」ことをたしなめるのも、左近の役割だったという。


(※ 三成が俸禄500石の折、柴田勝家、豊臣秀吉の誘いも蹴った渡辺勘兵衛(増田長盛藤堂高虎などに仕えた渡辺了とは別人。渡辺新之丞とも。)を召し抱えたと聞き、秀吉が三成にどうやってかの者を雇えたのか聞いたところ、「知行の全てを与えました。今では私が彼に養われています」と答えたという話があり、左近を召し抱えた折の逸話はそれをアレンジしたものという説もある)


関ヶ原の戦い

慶長5年(1600年)、主君・三成が打倒家康を掲げ、他の奉行衆や毛利輝元らと共に挙兵すると左近もこれに従った。

関ヶ原本戦前日の9月14日には、自ら500の兵を率いて宇喜多秀家の家臣明石全登の支援を受け、東軍の中川一栄・有馬豊氏両隊を襲撃、これを打ち破るという快挙を見せた(杭瀬川の戦い)。

この戦いを左近が仕掛けたのは、この日、既に東軍の総大将である徳川家康の軍勢が、三成らの篭もる大垣城の目と鼻の先に当たる美濃赤坂(現・岐阜県大垣市赤坂町)にまで達して布陣しており、その予想以上の早さに動揺した西軍の諸兵の低下した士気を鼓舞する為であった。


またその晩の軍議において、島津義弘小西行長らが家康本陣に対する夜襲を提案、三成からこれを退けられたという逸話が残るが、この時左近は義弘らと共に夜襲を献策としたとも、逆に「古来より夜襲で少勢が大軍に仕掛けて勝利した例が無い」として反対したとも伝わる。

この時、左近が「明日は久々に家康の敗走する姿が見られる」と口にしたのに対して、島津豊久から家康の敗走するを見たのは何時の事かと尋ねられ「若い頃は武田信玄に仕官し、山県昌景の下で家康が敗走するのを追った」と語ったという逸話もあり、これを典拠として左近が武田家臣であったとする俗説も存在するが、この逸話が記された『天元実記』の成立は関ヶ原から100年以上も経過した江戸後期の事で、なおかつ武田氏と徳川氏が抗争を繰り広げていた頃は前述の通り筒井氏に仕えていた事もあり、真偽は不明である。


ともあれ、翌日の本戦では左近も自ら陣頭に立ち奮戦、その果てに討死したという。享年61。その最期についても諸説あり、緒戦での黒田長政隊との交戦中に側面からの撃に遭って呆気なく戦死したとも、もしくは負傷しながらも一旦前線から退いた後、敗北が決定的となったのを見て取って再度出陣し最期を遂げたとも伝わっており、後者に関しては戸川達安(宇喜多秀家の旧臣)によって討ち取られたとも言われている。

いずれにせよ、この時の左近の奮戦は凄まじかったらしく、「誠に身の毛も立ちて汗の出るなり」と徳川方に言わしめるほどであったという。また左近と直接対峙した黒田長政の配下らは、左近の鬼気迫る壮絶な勢いに恐怖し、関ヶ原の戦いの後もこの合戦を思い出しては、迫りくる"左近の悪夢"にうなされたという。ある時彼らが若侍に対して、当時の左近の戦装束を語り合った際にも、各人とも恐怖の余りにその出で立ちを正確に思い出せなかったという逸話が残されている程である。


とはいえ、戦後左近の首並びに遺骸は発見されておらず、この事から辛くも関ヶ原から落ち延び、京都の立本寺に逃れた後寛永9年(1633年)に亡くなるまで同寺にて僧として余生を過ごしたという説もある。


創作作品における島左近

創作作品における島左近

影武者徳川家康

諱は勝猛となっている。

関ヶ原の戦いにおいて、配下の忍・甲斐の六郎を差し向けて徳川家康を暗殺させた張本人。

しかし、家康の影武者である世良田二郎三郎の機転により東軍の指揮は下がらず、小早川秀秋らの裏切りもあり戦況は一変し、西軍は敗走する。


自身も銃弾により瀕死の重傷を負うが、六郎の救出と介抱により一命をとりとめる。

その後、六条河原で斬首刑を執行するため護送中だった主君・三成と再会し、影武者とともに豊臣秀頼を守る使命を託される。


なお、原哲夫によって漫画化もされた本作だが、『SAKON(左近)-影武者徳川家康外伝-』では、墨炎という頑強な戦場刀を愛用したり、背中に「義(羊に死を合わせた造漢字)」と書いた陣羽織を着用するなど様々な脚色が追加された。

関ケ原(TVドラマ)

演:三船敏郎


徳川家康(大河ドラマ)

演:川津祐介

関ヶ原緒戦で田中吉政隊と交戦中に黒田長政の鉄砲隊の銃撃で呆気なく戦死を遂げる。


葵徳川三代

演:夏八木勲

関ヶ原緒戦で黒田長政、細川忠興隊と交戦し奮戦。石田三成が最前線に自ら参入し、そこを黒田の鉄砲隊に狙われているのを察知し、相手に強引に突撃して被弾。三成の腕の中で「一命、捧げ奉る」と言い残し絶命した。

夏八木氏の左近は一部では三船氏以来のベストな配役だったとも評された。


関ケ原(映画)

演:平岳大

豊臣秀次の愛妾が処刑される刑場で秀吉を大っぴらに非難したことがきっかけで三成と出逢う。関ヶ原の戦いでは、西軍の敗北後迫りくる徳川軍を道連れに壮絶な爆死を遂げた。


戦国無双シリーズ

CV:山田真一

武器:斬馬刀

石田三成の腹心の将。剛毅な性格。口調は軽く、遊び人のような雰囲気だが本質は真摯。


さらに詳しくは島左近(戦国無双)を参照。


戦国BASARAシリーズ

CV:中村悠一


石田三成の側近。賭け事を何より好む。

身軽なスピード型で、「斬り」と「蹴り」を駆使したアクロバティックな攻撃を得意とする。

発売前情報で「”豊臣秀吉腕”である三成の傍ら(く)に居る」ことから「左近」と名乗るシーンが公開されている。


さらに詳しくは島左近(戦国BASARA)を参照。


采配のゆくえ


石田三成の家臣であり、天下に名を知られる名軍師。

君主である三成を遠慮なしにバカ呼ばわりしているが、その実敬愛し、非常に気に掛けている。

三成の理想論を真摯に受け止め、実現のために命を懸ける、頼れる父親的存在。


戦国大戦


Ver1.1で織田家として参戦。Ver1.20では主君の石田三成を差し置いて参戦している。


ラヴヘブン

乙女パズルゲームの攻略キャラクター。初期レアリティはHRでの登場。

異世界の危機を救うため、主人公により召喚された。


関連タグ

関連タグ

戦国時代 武将 軍師 西軍

筒井順慶 松永久秀 石田三成 柳生宗矩

戦国無双 武田信玄 義レンジャイ

無双OROCHI 孫策 陸遜

しまさこにゃん

概要

概要

出身:大和国

生誕:天文9年5月5日?(1540年6月9日)

死没:慶長5年9月15日?(1600年10月21日)


室町末期~安土桃山期にかけて活躍した武将の一人で、一般には石田三成の側近として広く知られている。左近の名乗りは通称であり、本名は島清興(しま きよおき)。かつては勝猛(かつたけ)が本名であると考えられていたが、自筆の文書における署名などから現在では清興の方が正確であるという見解が一般的となっている。


柳生新陰流剣術で知られる柳生氏とは、元々同じ大和の国人であった事から関わりが深く、特に江戸柳生家の始祖である柳生宗矩とは、彼の父である柳生宗厳(石舟斎)が筒井氏に仕えていた縁で交流を持っていたという。真偽は定かでないが、宗矩が関ヶ原の合戦前に家康に命じられ、偵察も兼ねて左近の元に挨拶に出向いた、という逸話も残されている。また、左近の娘であるは、石舟斎の孫にして尾張柳生家の始祖である柳生利厳(兵庫助)に継室として嫁いでおり、利厳の息子で曾祖父に父や従兄弟の十兵衛と共に剣豪として名高い柳生厳包(連也斎)は左近の外孫にあたり、連也斎は16歳まで島姓を名乗っている。


生涯

生涯

筒井氏の家臣として

元は大和国平群の土豪の出で、当初隣国河内の畠山高政に仕え、畠山氏が没落するとこれと協調関係にあった筒井順慶に従うようになる。この当時の畿内では三好長慶が幕府の実権を掌握し全盛期を迎えており(左近が畠山氏の元を去った直接の原因も、三好氏との抗争での敗北による畠山氏の没落であった)、新たに仕えた筒井氏もまた、長慶の腹心である松永久秀の猛威に晒される事となる。


順慶と久秀が大和の覇権を巡って争っていた間の、左近の動向については実はそこまで定かではない。この当時は宇陀にて勢力を有し、久秀との度重なる戦いを通じて軍略を磨きつつ、順慶を支えていたものと見られるが、ハッキリと左近の名が史料上に現れるのは元亀2年(1571年)、筒井方が松永方を降し、本拠の筒井城を奪還した辰市合戦での事である。

ともあれ、辰市合戦も含めた数々の功績によって筒井氏の重臣として名を連ねるようになったようで、その後も武功だけでなく内政面においても、大和統一を果たした順慶を支え続けていたが、天正12年(1584年)に順慶が早逝し、嫡男の定次が後を継いでしばらく後、左近は筒井家中を離れ浪々の身となった。

筒井家中を去った理由として、定次との意見の相違もあったというが、それ以上に定次の寵臣であった中坊秀祐との対立と、それに端を発した讒言によるところが大きいと見られている。


三成の家臣へ

その後は蒲生氏郷、もしくは豊臣秀長秀保父子に仕えたと伝わるが、やがて引く手数多の声ある中で、特に彼を熱心に召し抱えようとしていた石田三成に仕えることを決意する。石田家中に迎えられた時期はハッキリしないが、小田原征伐の折に佐竹氏との交渉に関与していた事が自筆の書状から明らかにされており、少なくとも天正18年(1590年)時点では既に重臣と言える立場を確立していた事が窺える。


左近を家臣として引き入れた当時、俸禄4万石の三成が左近を2万石で召抱え、のちに三成が出世した折に彼が左近の家禄を増やそうとしたが拒否されたという、左近の義理堅さについての逸話もある。これには諸説(※)あり、左近を召し抱えた時にはすでに佐和山で19万石という高禄を貰っていたという説もあって実際のところは定かではないが、それでも三成から破格の待遇をもって迎えられていたことは間違いなく、


「三成に過ぎたるものが二つあり 島の左近佐和山の城


と謳われた程である。

同時に三成の悪癖であったとされる、「人を見かけで判断する」「己の価値観だけの好悪の感情で相手を判断する」ことをたしなめるのも、左近の役割だったという。


(※ 三成が俸禄500石の折、柴田勝家、豊臣秀吉の誘いも蹴った渡辺勘兵衛(増田長盛藤堂高虎などに仕えた渡辺了とは別人。渡辺新之丞とも。)を召し抱えたと聞き、秀吉が三成にどうやってかの者を雇えたのか聞いたところ、「知行の全てを与えました。今では私が彼に養われています」と答えたという話があり、左近を召し抱えた折の逸話はそれをアレンジしたものという説もある)


関ヶ原の戦い

慶長5年(1600年)、主君・三成が打倒家康を掲げ、他の奉行衆や毛利輝元らと共に挙兵すると左近もこれに従った。

関ヶ原本戦前日の9月14日には、自ら500の兵を率いて宇喜多秀家の家臣明石全登の支援を受け、東軍の中川一栄・有馬豊氏両隊を襲撃、これを打ち破るという快挙を見せた(杭瀬川の戦い)。

この戦いを左近が仕掛けたのは、この日、既に東軍の総大将である徳川家康の軍勢が、三成らの篭もる大垣城の目と鼻の先に当たる美濃赤坂(現・岐阜県大垣市赤坂町)にまで達して布陣しており、その予想以上の早さに動揺した西軍の諸兵の低下した士気を鼓舞する為であった。


またその晩の軍議において、島津義弘小西行長らが家康本陣に対する夜襲を提案、三成からこれを退けられたという逸話が残るが、この時左近は義弘らと共に夜襲を献策としたとも、逆に「古来より夜襲で少勢が大軍に仕掛けて勝利した例が無い」として反対したとも伝わる。

この時、左近が「明日は久々に家康の敗走する姿が見られる」と口にしたのに対して、島津豊久から家康の敗走するを見たのは何時の事かと尋ねられ「若い頃は武田信玄に仕官し、山県昌景の下で家康が敗走するのを追った」と語ったという逸話もあり、これを典拠として左近が武田家臣であったとする俗説も存在するが、この逸話が記された『天元実記』の成立は関ヶ原から100年以上も経過した江戸後期の事で、なおかつ武田氏と徳川氏が抗争を繰り広げていた頃は前述の通り筒井氏に仕えていた事もあり、真偽は不明である。


ともあれ、翌日の本戦では左近も自ら陣頭に立ち奮戦、その果てに討死したという。享年61。その最期についても諸説あり、緒戦での黒田長政隊との交戦中に側面からの撃に遭って呆気なく戦死したとも、もしくは負傷しながらも一旦前線から退いた後、敗北が決定的となったのを見て取って再度出陣し最期を遂げたとも伝わっており、後者に関しては戸川達安(宇喜多秀家の旧臣)によって討ち取られたとも言われている。

いずれにせよ、この時の左近の奮戦は凄まじかったらしく、「誠に身の毛も立ちて汗の出るなり」と徳川方に言わしめるほどであったという。また左近と直接対峙した黒田長政の配下らは、左近の鬼気迫る壮絶な勢いに恐怖し、関ヶ原の戦いの後もこの合戦を思い出しては、迫りくる"左近の悪夢"にうなされたという。ある時彼らが若侍に対して、当時の左近の戦装束を語り合った際にも、各人とも恐怖の余りにその出で立ちを正確に思い出せなかったという逸話が残されている程である。


とはいえ、戦後左近の首並びに遺骸は発見されておらず、この事から辛くも関ヶ原から落ち延び、京都の立本寺に逃れた後寛永9年(1633年)に亡くなるまで同寺にて僧として余生を過ごしたという説もある。


創作作品における島左近

創作作品における島左近

影武者徳川家康

諱は勝猛となっている。

関ヶ原の戦いにおいて、配下の忍・甲斐の六郎を差し向けて徳川家康を暗殺させた張本人。

しかし、家康の影武者である世良田二郎三郎の機転により東軍の指揮は下がらず、小早川秀秋らの裏切りもあり戦況は一変し、西軍は敗走する。


自身も銃弾により瀕死の重傷を負うが、六郎の救出と介抱により一命をとりとめる。

その後、六条河原で斬首刑を執行するため護送中だった主君・三成と再会し、影武者とともに豊臣秀頼を守る使命を託される。


なお、原哲夫によって漫画化もされた本作だが、『SAKON(左近)-影武者徳川家康外伝-』では、墨炎という頑強な戦場刀を愛用したり、背中に「義(羊に死を合わせた造漢字)」と書いた陣羽織を着用するなど様々な脚色が追加された。

徳川家康(大河ドラマ)

演:川津祐介

関ヶ原緒戦で田中吉政隊と交戦中に黒田長政の鉄砲隊の銃撃で呆気なく戦死を遂げる。


葵徳川三代

演:夏八木勲

関ヶ原緒戦で黒田長政、細川忠興隊と交戦し奮戦。石田三成が最前線に自ら参入し、そこを黒田の鉄砲隊に狙われているのを察知し、相手に強引に突撃して被弾。三成の腕の中で「一命、捧げ奉る」と言い残し絶命した。

夏八木氏の左近は一部では三船氏以来のベストな配役だったとも評された。


関ケ原(映画)

演:平岳大

豊臣秀次の愛妾が処刑される刑場で秀吉を大っぴらに非難したことがきっかけで三成と出逢う。関ヶ原の戦いでは、西軍の敗北後迫りくる徳川軍を道連れに壮絶な爆死を遂げた。


戦国無双シリーズ

CV:山田真一

武器:斬馬刀

石田三成の腹心の将。剛毅な性格。口調は軽く、遊び人のような雰囲気だが本質は真摯。


さらに詳しくは島左近(戦国無双)を参照。


戦国BASARAシリーズ

CV:中村悠一


石田三成の側近。賭け事を何より好む。

身軽なスピード型で、「斬り」と「蹴り」を駆使したアクロバティックな攻撃を得意とする。

発売前情報で「”豊臣秀吉腕”である三成の傍ら(く)に居る」ことから「左近」と名乗るシーンが公開されている。


さらに詳しくは島左近(戦国BASARA)を参照。


采配のゆくえ


石田三成の家臣であり、天下に名を知られる名軍師。

君主である三成を遠慮なしにバカ呼ばわりしているが、その実敬愛し、非常に気に掛けている。

三成の理想論を真摯に受け止め、実現のために命を懸ける、頼れる父親的存在。


戦国大戦


Ver1.1で織田家として参戦。Ver1.20では主君の石田三成を差し置いて参戦している。


ラヴヘブン

乙女パズルゲームの攻略キャラクター。初期レアリティはHRでの登場。

異世界の危機を救うため、主人公により召喚された。


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    続・お前の声が聞きたくて ⑤

    ※獣化注意!…… 元親が犬、家康が狸、政宗様が猫と言う設定です。 ■獣医学生の石田三成がアルバイトをしている大谷動物病院のお話です。 ■今回『も』三左要素が御座いますが、仲の良い大学の先輩と後輩による友情話です。 ■獣医学に疎い専門卒の『にわか』が書いております。診察手順等でおかしい箇所があっても笑って許してやってください。 ■少々キャラが崩壊していると思われます。そこはごめんなさい。 <あらすじ> 生まれつき動物の声が人の言葉になって聞こえる特殊な耳を持つ石田三成は、東京の獣医大学に合格しました。 地元高校を卒業と同時に故郷の滋賀を出まして、はとこに当たる竹中半兵衛を頼った上京先の豊臣家にて、楽しくもドタバタな下宿生活を送っております。 ■そのクッソ長い前シリーズの1話がこちら →→ http://www.pixiv.net/novel/show.php?id=3753573 『お前の声が聞きたくて』全25話 (※番外編含む) ■戦BASAオリジナルシリーズ……左近が下宿をしている筒井家(下宿父母・祖母・家政婦)、真裏に住む三浦家。 <簡単な登場人物説明> ■→人間 □→動物 主人公■石田三成……生まれつき動物の鳴き声が人間の言葉になって聞こえてしまう獣医学部2年生。 下宿父■豊臣秀吉……三成が下宿をしている豊臣家のお父さん。蜂須賀製薬会社課長。 下宿母■竹中半兵衛……秀吉の嫁(♂だが超美人)専業主婦・三成とは親族ではとこ同士。 下宿兄■毛利元就……人気絵本作家・サンデー毛利。秀吉夫妻とは義兄弟。愛犬家。 下宿犬□元親……元就の愛犬 ホワイトシェパード・雄・4歳 アニキ犬。飼い主様が大好き。 子狸 □家康……三成が拾ったホンドタヌキ・雄・1歳。抱っこが好きであまり歩きたくない。 ■島左近……獣医学部1年生の三成の後輩。大谷動物病院向かいの大豪邸・筒井家で下宿する御坊ちゃま。 ■大谷吉継(刑部)……三成と左近がアルバイトをしている同町内・大谷動物病院の獣医師。元就とは親友。 ■片倉小十郎……伊達出版社で働くサンデー毛利の専属担当者。 □伊達政宗……小十郎のマンションで飼われている高貴な黒猫。ボンベイ・雄・2歳。黒猫プリンス。 ■雑賀孫市(サヤカ)……三成の女友達。同じ大学だが医学部2年生。モデルのアルバイトをしている。
    26,947文字pixiv小説作品
  • ありえない交差

    トライアングル⑤

    前回に引き続きいいねや、ブクマ、フォローありがとうございます。相変わらずの模造の限りですが、ようやく世界が交差します(笑)
  • BSR4連作

    月下天壌 (4)花と擾乱

    小田原戦。二兵衛捏造、過去を克服しきれてない左近、VS伊達主従、例の人ログイン等その他諸々書きたいものを詰め詰めしてます。 基本的に史実・公式バイバイですが半兵衛と秀吉の出会いは2のドラマCD参考。伊達周り含め所々2要素強め。次話かその次に歯抜けしていく豊臣と家三過去回想 前話(http://www.pixiv.net/novel/show.php?id=4344988) 1話(http://www.pixiv.net/novel/show.php?id=3542613) 【追記】今さらですが、未だにこんなに読んでもらえると本当に思ってなかったんですとても嬉しい。ありがとうございます。今もわりと楽しんで続き書いてます。
    61,350文字pixiv小説作品
  • これだから小僧ってのは【官吉&フライングさこん】

    ◆若いツバメの出現に、大人げなくイラっとする穴熊さんの話 ◆島くんは、官兵衛さんのことをどう思っているのかなぁ、上司たちを見習って『安定の官兵衛さん』な扱いなのか、あるいは……? という妄想がナナメ上に炸裂しました ◆今できる妄想を全力でする主義! ここぞとばかりにフライング妄想をドヤ顔であげていますが、発売されてフタをあけたら死にたくなる気がします。それなんてカツイエ ◆いつかマンダラモヨウのガシャドクロ……とか言い出したら、そのときはどうぞ、そっと見なかったことにする慈悲を垂れてください…… ◆妖怪はスネコスリが好きです ◆素敵な表紙はこちらからお借りしました→http://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=32993552 ◆閲覧・評価・ブクマコメなどありがとうございます。はげみにさせてもらってます!
  • のすたるじぃ

    郷愁 其の漆

    此処は所謂夢小説といわれる、二次創作を扱っています。 相容れない方は可及的速やかにお戻り下さい。 読んでからのクレーム等はお控えください。 ※ ・今回は通常版+番外編となります。 番外編は戦国無双3のばらえてぃCD(ドラマCD)の『関ケ原異聞』がベースとなっておりますのでご注意ください。 また、主人公(コナン)側に対し塩対応風味になっています。 オリ主の沖矢昴(赤井秀一)に対する好感度はマイナスです。 (ヾノ・ω・`)ムリムリ という方は回避してください。 ※ オリ主:桜綺(さき) 現代→戦/国/無/双の世界→名/探/偵/コ/ナ/ンの世界にトリップ。 コナンの原作知識は大雑把ながらに把握している程度。コナン世界の自分と入れ替わった?らしく、周囲には記憶喪失だと思われている。遠縁の諸伏高明が後見人。現在沖矢昴に交際を申し込まれており、どう逃げようかと奮闘中。本人曰く『モブでいたい』 降谷零:過去に何度か(幼馴染に便乗して)オリ主に会っている。幼馴染が妹のように大切にしていたオリ主を(主に赤井秀一から)守りたいのだが、安室透として接しているので色々と儘ならないのがもどかしい。
  • 相思華

    戦国BASARA『貴方と再び出会う』Ⅰ

     今回から腐に入るよ!『想うは貴方ただひとりだけ』の続編です。  今回は三成視点です。  つい少し前に投稿したばかりですが、すいません。出来上がっちゃったもんでww  そういえば、作中で三成が左近に「お前」と言っています。ゲームでは大体「貴様」なんですが、「三成も生まれ変わって丸くなったんだよ」的な意味で「お前」にしています。そこの辺りはご了承ください!    今回はⅠとⅡに分かれます。  では、お楽しみください!
  • ありえない交差

    トライアングル③

    前作に引き続き、いいねやブクマ、フォローありがとうございます。今回も前作に引き続き、模造が多数含まれておりますので、ご注意ください。
  • 短編

    【左+谷】ARMS・2

    吉継に宛てた毛利家の書状に気付いた左近は、吉継の離反を警戒する。左近にとって三成の傍にいられる現在は、やっと手に入れた生き甲斐ある人生で…。 書きかけで放置してあった初期設定の左近(大谷さんを警戒している)の習作です。後編。不穏ですが、安心してください、ブルーレーベルですよ。 ※左近の過去、筒井氏の存在を捏造しています。
    11,535文字pixiv小説作品
  • 俺と守護霊とお狐様

    現代転生モノ。小説家の左近と、その守護霊の伏犠と、妖狐の三成のほのぼの。
    11,490文字pixiv小説作品
  • 遅れましてハロウィン(サコマサ)

    ツイッターでアイコン絵で妄想したSSを書かせてください!という無茶ぶりをして、出流さんに許可をいただきまして描いたサコマサSS・現代パラレルになります。プラスして、出流さんのハロウィン絵(http://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=39548348)をネタにさせていただいております。出流さん、御許可ありがとうございました!
  • #同題ssBSR

    キツネノカミソリとタヌキノカミソリ(同題ssBSR)

    さこにゃんが呑んだくれの訳をようやく知った…
  • あにまるあぱーと

    くろたぬ物語第二弾 前に書いたやつがバグって水の泡と消えたので またそれは後日出せたら出したいです。 今回はくろたぬ目線と左近目線がございます。
  • 『チェス盤上の血統』で12のお題

    戦国BASARA(左又)「縦横無尽に駆け巡る」

    「無限のム」様(http://mugennomu.web.fc2.com/)の「『チェス盤上の血統』で12のお題」に挑戦中です。 又兵衛に思いを打ち明けた左近が、受け入れてもらう為に奔走します。 元気いっぱいな左近に、又兵衛は振り回され気味です。
  • BSR4連作

    月下天壌 (2)豊の双色 【前】

    前話(http://www.pixiv.net/novel/show.php?id=3542613)の続き。左近の豊臣ライフ開始&刑部・半兵衛顔見せ回。 CP表現は極薄ですが念のためタグ追加。厳密には左三は未発生で、はっきりするのは数話後の予定。 後編→(http://www.pixiv.net/novel/show.php?id=3903395)
    24,105文字pixiv小説作品
  • 博打ちと、イカサマ

    「弱味を見せる家康さんと、それを「しょうがないっすねぇ」と両手を広げて優しく受け入れる左近ちゃん」 斜め下くらいの解釈をしました。流血表現がありまして大変申し訳ないです。 ステキな企画に参加させていただきまして有難う御座います。 遅くなり大変申し訳ございません。
  • 豊臣の日常~悲劇~

    最初に言っておく!!!← これはか~な~り、続かない!!!(いみふ えっとですねはい続きません。 あと秀吉存命の日常パロ?です。 最近もうなんかいろいろ無理。 tensionがくっそ崩壊しててヤバス。 この作品って、家庭科の授業さぼってノートに書いてたやつなんだよね←

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