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戦国時代から安土桃山時代江戸時代初期の戦国武将。右近は通称で洗礼名はジュスト。諱は重友などが伝わっているが正確な諱は不明。


プロフィール

生没年:天文21年(1552年)〜慶長20年1月8日(1615年2月4日)

幼名:彦五郎

通称:右近、右近允、右近助、右近亮

官途名:大蔵少輔

号:南坊、等伯

洗礼名:ジュスト


諱は友祥(ともなが)→重友→長房と変遷したとの説もあったが現在では不明とされている。はっきりしているのは署名に若年期は幼名の彦五郎、成人してからは洗礼名のジュストや号の等伯を用いていたこと、右近や大蔵少輔などと宛名された書状も遺っていること、「利休居士百会記」では茶人としての号である南坊と記されていることである。


ちなみに洗礼名ダリヨこと父の飛騨守も諱は友照とされるがこちらも正確な諱は不明である。


生涯

天文21年(1552年)、摂津(大阪)で高山飛騨守の嫡男として生まれ、キリシタンだった父により洗礼を受け、「ユスト(ジェスト)」の名を授かった。

飛騨守は三好長慶松永久秀に従っていたが、永禄11年(1568年)に織田信長足利義昭を奉じて上洛し義昭が征夷大将軍になると、摂津は池田家や和田家などの地元豪族が争い、さらに荒木村重が侵攻して和田家は破れたが、和田家と高山家が対立関係となり、高山家が和田家を滅ぼし、高山家は村重に従い、1573年(天正元年)に摂津高槻城主となった。

天正6年(1578年)、村重が信長に反旗を翻し、高山家もどっちに付くか城内で分かれたが、右近は信長の下へ出頭し、高山家とその領地さらに父の命は安堵された。

その後は中川清秀と共に明智光秀の与力武将となっていたが、本能寺の変後では清秀と共に光秀から離反し羽柴秀吉に味方し、山崎の戦いでは二人して羽柴軍の先鋒として戦う。賤ヶ岳の戦いの序盤では岩崎山の守将として佐久間盛政と対戦し苦戦を強いられた。小牧・長久手の戦い四国征伐にも参戦。

天正13年(1585年)に播磨明石6万石を与えられ枝吉城のち船上城主となったが、豊臣秀吉がバテレン追放令を出し、各地のキリシタン大名は棄教したが、右近だけは棄教せず、それまでの地位や財産を投げ捨てて出奔してしまった。その後は小西行長前田利家の庇護を受け、小田原城攻めでは前田勢に従軍した。文禄4年(1595年)に京で父が病死。利家死後も嫡男の前田利長に仕え関ヶ原の戦いでは東軍に与した利長に従軍し丹羽長重(長秀の嫡子)と戦った。

その後も加賀藩に留まり利長の弟・前田利光(後の利常)に引き続き仕えていた右近だったが、慶長19年(1614年)に徳川家康のキリスト禁教令を受け、加賀を去って内藤如安(松永長頼の子で松永久秀の甥)とともにフィリピンのマニラへ向け国外退去した。現地ではスペイン人のフィリピン総督であるファン・デ・シルバ達から厚い歓迎を受けたが船旅の疲労や慣れない気候の為、間も無く病気に罹患して慶長20年1月8日(1615年2月4日)に客死した。享年64歳。


世俗に惑わされずただひたすらに信仰に生きたその姿勢から、死後程なくして列福運動(聖人候補である「福者」への選抜)がマニラで始まったが、様々な歴史的事情で長らく列福に至っていなかった。20世紀後半に管轄を日本へ移して調査が進められていたが、2000年代後半にようやく動きが本格化し、「殉教者」扱い可能とのバチカンからの見解提示もあり、2012年夏に殉教者として列聖省に申請された。2015年6月に神学審査委員会の審査を通過、2016年1月19日に枢機卿会議の承認を経て、2日後の1月21日に教皇フランシスコの裁可が降り、福者となることが確定した。列福式は2017年2月7日に大阪城ホールで行われた。


人物

  • 非常に真面目で誠実、簡単に志を曲げない性格だったと言われ、領民や各武将から高く評価された。
  • キリスト教にさらに傾倒したのは和田家との合戦で首を大怪我したものの奇跡的な九死に一生を得てからだとされる。
  • 自らキリスト教徒として領内で熱心に布教していたことでキリスト教徒が領内で多くなりすぎたことに伴って神社寺院の破壊も多く、寺社の数も減ってしまった。ただし右近は神社仏閣に対する所領安堵を行った形跡があり、大友宗麟などと違い神社仏閣への迫害は好まなかったと思われる。
  • 藤堂高虎加藤清正などと同じく築城の名手として有名であったとされる。
  • 茶人としても茶道に傾倒し、千利休の高弟の一人にも数えられる。ちなみに茶人としての号である「南坊」は南蛮坊主(宣教師)を意味するとされる。

フィクションでの高山右近

ゲーム

【戦国大戦】重友+α

クソッ、服に泥がっ!!」(撤退時の台詞)

CV:小野大輔


「戦国大戦 1570魔王上洛す」より父・高山友照と共に織田家の武将として参戦。但し、登録名が通称で著名な「高山右近」ではなく、諱とされてきた「高山重友」であり、キリシタン大名という事が相俟って、時代の最先端として南蛮文化に傾倒している印象のイラストとなっている。


スペックはコスト1.5の武力4、統率6(「15XX 五畿七道の雄」にバージョンアップする前は統率7)と、一見するとやや力不足に見えるが、特技として「伏兵」を所持しており、開幕時に相手の出鼻を挫かせる可能性を秘めている上、兵種が数少ない織田家の騎馬隊でもある為、案外貴重な存在とも言える。計略は汎用的な「正兵の構え」(武力・統率を3上げる計略)であり、使う機会というものは全くと言って良い程に無いが、この計略を所持している武将の中では実は最も統率が高い為、ここぞという時の大筒の奪い合いや虎口への突入での活躍を見出す可能性は有り得る。


戦国群雄伝から登場。名前は重友表記になっていたが現在は右近表記。ルックスは風雲録から創世まで角張った輪郭に口髭と一貫していた。能力は政治が高めであるため基本的には内政要員。戦闘も一応出来る。


ドラマなど

演:鹿賀丈史

演:沢村一樹

演:生田斗真


CV:荻野晴朗

キリシタン大名の一人。作中では「高山ドン・ジュスト」呼称。

ルイズ・フロイスからの依頼を受け、松永軍に追い詰められていた織田信奈に加勢した。


関連タグ

日本史 戦国時代 戦国武将 キリスト教 キリシタン 茶の湯 茶道 へうげもの 戦国大戦

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