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プロフィール

生没:1539年~1600年
雌伏期の松平氏を支えた鳥居忠吉の三男。
通称は彦右衛門。

概要

徳川家康が今川家に人質に出された時から付き従っていた。
成人してからは各地で戦功を立て、甲州平定後は小山田信茂の居城だった岩殿山城を与えられ郡内を治めた。
家康が関東に国替えされた時、佐竹義宣や里見忠義(義堯の孫)の抑えとして下総矢作に封じられた。
石田三成らが家康に対して挙兵した際、伏見城に籠城。降伏勧告の使者を斬り玉砕覚悟の決死の戦いを繰り広げたが最後は鈴木重朝(重兼の甥、重秀の子)に討たれた。

死後の鳥居家

その忠節は深溝松平家忠と共に三河武士の鑑と称された。長男・康忠は早世していたため次男・忠政が取り立てられ、関ヶ原の戦い後に磐城平藩主となるなど厚遇された。
最終的に忠政は最上義俊(義光の孫)改易後の羽前山形藩主となり伊達政宗や上杉定勝(景勝の子)らの監視にあたった。
忠政の長男・忠恒が病死した際に末期養子の禁に触れ一度は改易されたが、忠恒の弟・忠春が保科正之と事実上領地交換する形で信濃高遠藩主となる。しかし忠春は暴政を繰り広げ最後は暗殺され、後を継いだ忠則は不始末を起こし再度改易される。
しかし、またも元忠の功績を考慮され忠則の子・忠英が大名として再復活し、最終的には下総壬生藩主として幕末まで命脈を保った。

ちなみに幕末期の鳥居耀蔵忠耀は血は繋がっていないが系譜上の子孫に当たる。

関連タグ

武将 鳥居忠政 三河武士

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