大久保忠世
おおくぼただよ
戦国時代末期、のちに260年におよぶ天下泰平の世を開いた徳川家康に仕えた武将。
通称は新十郎、あるいは七郎右衞門。
三河大久保氏の分家筋である大久保忠員の長男として生まれ、家康の祖父・松平清康から3代に渡って仕えた父同様松平家(徳川家)譜代の家臣として終生仕え続けた。
徳川家臣団においても指折りの猛将として知られており、次弟・忠佐とともに徳川十六神将に数えられている。また、「三河物語」の著者として知られる大久保彦左衛門(忠教)は同父弟(忠世が長男、忠教は八男)。
主な戦功として長篠の戦いにおいて忠佐とともにあえて武田の騎馬隊の侵入を阻む柵の前に陣取り、武田軍に対して果敢に戦いを挑んだことが知られる。なお、この活躍を見た織田信長から「敵にピッタリと張り付いて離れぬ、まさに膏薬(塗り薬)のようだ」と讃えられたと伝わる。
また、忠世以下兄弟たちは揃って法華宗を信じていたため、若き日の家康最大の窮地とも言われる三河一向一揆では一貫して徳川方として戦い続けた。
一方で、1585年の第一次上田合戦では、家康の信任篤い鳥居元忠、平岩親吉とともに真田昌幸守る上田城を攻めているが惨敗している。
その後、1590年の後北条氏滅亡をきっかけとした家康の関東転封に伴い、豊臣秀吉直々に後北条氏の根拠地だった小田原城城主に据えられた。ゆえに後世では小田原藩藩祖として扱われる。
その4年後に病没。家督は長男の忠隣が継いだ。
忠世の長男である忠隣は徳川秀忠付きとなり、江戸幕府黎明期における老中を任されるなど徴用されたが、嫡男の忠常を若くして亡くしたことで覇気を失い政務を疎かにするようになった。その後、同僚の山口重政が自らの嫡男・重信と忠隣の養女の縁組を幕府に無断で行ったことの関連を疑われ改易、その直後に配下が関わった大久保長安事件が起きたこともあり、忠隣は死ぬまで幕府に許されることはなかった。この際、忠世の居城だった小田原城も本丸を残して破却された。
その後、若くして死んだ忠常の嫡男・忠職でようやく幕府から許され、美濃国加納藩の大名として復帰。その跡を継いだ忠朝の代で悲願の小田原藩への復帰を迎え、幕末まで藩主の座を繋いだ。また忠朝は老中を務めるなど、幕政に深く関わった。
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友について 『参州一向一揆異聞』
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