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松平清康

まつだいらきよやす

戦国時代(室町後期)の武将の一人。徳川家康の祖父。世良田次郎三郎を称した、隠れた名将。
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概要編集


三河国(愛知県)の領主で松平氏6代目の松平信忠の嫡子。幼名は竹千代。通称は次郎三郎で孫の徳川家康と同じ。初名は清孝。


1523年、祖父の道閲(長親)や一門衆が父・信忠を隠居させて、清孝に安祥松平氏の家督を継承させた。時に清孝13歳。のち名は清康と改めている。


1525年に足助城に鈴木氏を、1526年、(旧)岡崎城の岡崎松平家を攻撃して分家の西郷信貞(松平昌安)を屈服させた。龍頭山に(新)岡崎城を築城し、安祥から岡崎に松平氏の拠点を移し孫・家康の代に浜松城へ移転するまで岡崎城は松平氏の本拠地であり続けた。


1529年、尾島城を攻略。同年5月には東三河にも進出して三河牧野氏の今橋(のち吉田→豊橋)城を攻め落とし、更に南方の渥美郡田原に進軍すると戸田氏は戦わずに降服した。この間に北方・設楽郡の山家三方衆の田峯と長篠の菅沼氏、奥平氏、牧野氏等の東三河国人衆の多くを従属させた。


1529年には西三河の次に東へ進み11月には遂に三河を統一した。


こうして快進撃を続け、尾張の織田信秀と対決すべく守山城へ侵攻した矢先の1535年、陣中にて家臣の阿部正豊に斬られ暗殺される。享年は25という若さであった(守山崩れ)。


暗殺された理由編集

  • 阿部正豊の父・定吉が謀反を起こすとうわさされ、父は正豊に遺言を言っていた。

数日後になって陣中で馬の鳴き声が聞こえ父が斬られたと誤解した正豊は清康を切り殺してしまったという。正豊も近くにいた植村氏明に斬られ

事情を知った定吉も自害しようとするが広忠に止められたという。

(植村はその後の広忠暗殺現場にもおり暗殺者を成敗している何気にすごい人。)

  • 叔父の桜井松平信定とは関係が悪かったが宇利城攻略戦において、信定が後詰めを怠り信定の次兄・福釜松平親盛とその子を討ち死にさせたことでますます悪化。このため、信定は父の長親に可愛がられていたがために宗家を乗っ取ろうと画策していたともされる。

また、清康暗殺も親盛父子見殺しも信定の策略だったとも。


一方で、近年の新説として、阿部定吉が謀反を疑われてから、息子が主君を殺害するまで清康の誤解を解こうとする行動を何も見せていないことは不可解として、清康を殺害して広忠を擁立する計画が実際にあったとする説も出されている。


新田氏流世良田姓を名乗る編集

清康が西三河の実質的な支配権を得るなかで、従来の支配層である三河吉良氏に対抗出来る権威性の確立が求められていた。このため清康は新田氏一門である得川氏の庶流・世良田姓に着目して世良田次郎三郎と名乗った。これが後に孫の家康が松平から徳川改姓を行うことにもつながっており、ひいては徳川家が正当な征夷大将軍継承者として江戸幕府を開く大義名分のもととなった。


余談編集

  • 10代の頃から数多くの武功を挙げており、善政をしいていたため歴史家たちからの評価は非常に高く、「あと5年生きていれば尾張を征服できた」「あと10年生きていれば天下を統一していた」と言われるが、諸行無常である
  • 身長は当時の平均よりも低かったが鷹の目にも似た勇姿ある姿と身分を隔てない性格で家臣からの信頼は厚かったという。
  • 早熟・早世の英傑だったが、あまりにも急激に勢力を盛り上げたツケもまた大きく子の広忠さらに孫の家康に苦労を背負わせることになってしまい、1562年に今川家から独立を果たすまで松平家は清康死後30年近くも苦難の時期を送ることになった。
  • 孫の徳川家康は元服後、松平元信と名乗っていたが祖父の武勇から「康」の一字を取り元康に改めたとされる。

系図編集

  • 祖父:松平長親

この頃は耄碌していたが、全盛期はかの伊勢宗端(北条早雲)すら撃退した名将。ちなみに子や孫より長く生きており、清康・広忠・家康の三代に渡り代々竹千代という幼名を名乗らせた。

  • 父:松平信忠

威厳がなかったという理由で隠居させられたという。

  • 嫡男:松平広忠

父の死去で力を失ったり大叔父に殺されかけたり、最終的には暗殺された悲劇の当主。

  • 嫡孫:徳川家康

のちの征夷大将軍。

信定を祖とする桜井松平氏を完全に屈服させた。

功績については該当記事を参照。

  • 叔父:松平信定とその子孫(桜井松平家)

長親の三男。父に溺愛されていたためか長兄の信忠、甥の清康、また大甥の広忠に度々反旗を翻した。

これに長親が介入しなかったため信定は増長することになる。信定死後も子・清定、孫・家次、曾孫・忠正らも織田信秀・信長父子や三河一向一揆に通じ宗家に逆らい続けたが忠正の代にようやく家康に従った。ちなみに忠正は武田信玄最後の戦いになった野田城攻防戦で奮戦するが、水の手を絶たれ降伏して捕虜になる。しかし武田臣下になることは拒み続け信玄死後の人質交換で菅沼定盈共々徳川家に帰参した。

関連作品編集

信長の野望シリーズ編集

  • 信長誕生の1533年シナリオがある場合、独立大名として登場。織田と今川に挟まれる苦しい状況ながらも清康自身はシリーズ通して高い能力を持ち、非業の最期を覆すプレイが可能。寿命も若く死んだせいかそれなりにある為、家康と共に戦うプレイもできる。

関連タグ編集

孫策…二十代半ばで没した早世早熟の英傑という共通点がある。

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