概要
諱は忠耀(ただてる)
林羅山を祖とする儒家・林家中興の祖とされる林述斎の三男。鳥居元忠の子孫である旗本鳥居家に養子入りして家督を継いだ。
ちなみに述斎は十八松平の一つ大給松平氏から林家に養子に入った人物であり、著名な弟子に佐藤一斎がいる。
幕臣としては長らく目立たない役職を務めていたが、老中・水野忠邦の知己を得て一気に出世し、天保の改革が始まるとその腹心として活躍。名門儒家出身のためか蘭学を異常に嫌い、蛮社の獄を始めとして蘭学者の弾圧を行っている。
また前任者を讒言して南町奉行になってからは囮捜査を用いた苛烈な綱紀粛正を行ったために江戸の住民から恐怖と共に憎悪されたため「マムシの耀蔵」と陰口を叩かれ、また名前の「『耀(よう)』蔵」と、官位である「『甲斐(かい)』守」をもじって「妖怪」と恐れられた。改革反対派である北町奉行遠山景元がこれに対抗して寛容策を取ると、忠邦と共謀して景元を閑職に追い込んでいる。また、同じく改革反対派の矢部定謙に対しても密偵に身辺調査させても本人から不祥事が出ないと見るや部下の不祥事に対して減刑した件を「身内を庇った」と批判し解任。無実を主張したことを理由に「反逆者」と言いがかりをつけて蟄居させた。
その後上知令の失敗で、忠邦の立場が危うくなるとすかさず裏切り、進んで忠邦を失脚に追い込むことで保身を図る。しかし後任者・土井利位の不手際から急遽忠邦が復帰、先の裏切り行為が許されず全財産没収の上、丸亀藩京極氏にお預かりの身となった。
丸亀藩での生活は当初は昼夜監視が付き、周囲の者に私物を盗まれたり、一切無視されるなど散々な日々を過ごした(彼の日記にはほぼ一年誰とも会話が無かった事を愚痴る記述がある)。
しかし、儒学だけでなく漢方の知識もあり、軟禁生活中はそれを活かし薬師として薬草の栽培や領民の治療などを行って過ごした事から徐々に周囲からの信頼を勝ち取り、監視も緩められるなど待遇は改善。また、父譲りと言える学識の豊富さから丸亀藩士から教えを請う者が訪れるなど、尊敬されるようになっていく。
この頃になると、かつての「妖怪」という仇名が嘘のように丸亀藩の藩士や領民からは強く慕われていたようである。
勝海舟は「鳥居が食べたビワの種を窓から投げ捨てていたら、彼が去る際に立派な大木に育っていた」、と記述。権力と欲望から切り離された丸亀藩での生活が鳥居を大成させたと好意的に見ていた事をうかがわせる。
(実際の宗家でもある)徳川家への忠誠心は本物であり明治になって釈放されるも「おれは将軍家によって配流されたのだから、上様の赦免が無ければ幽閉は解かれない」と頑なに動かず新政府や丸亀藩を困らせた。
様変わりした東京(江戸)の街を見て回り、昔の友人に面会し幕府が消滅したことについて「おれの言うことをまともに聞き入れず、提言した通りにしなかった結果こうなったのだから、もうどうしようもない」と嘆いたといわれている。以降は旧知の者に会い思い出話をするような穏やかな余生を過ごし、明治6年に多くの子や孫に看取られながら死去。数十年前には江戸中から憎悪された男とは思えない程に穏やかな最期を迎える事になった。
創作の鳥居耀蔵
大江戸ロケット
『大江戸ロケット』の登場人物。
CV: 若本規夫
おりくの玉屋への敵愾心を利用して、鍵屋に青い獣が乗ってきた宇宙船の脱出艇の破片を提供し、伊豆の下田に外国船を沈めるためのミサイルを作らせた。ロケット計画に対しては遠山と違い、攘夷派対策として純粋にソラに帰って欲しいと考えている。
史実では水野忠邦が失脚した際に裏切っているが、本作では水野屋敷を襲撃する町人たちを追い払おうとするなど、最後まで水野に忠実だった。
基本的に真面目なキャラクターであるのだが「癪ってなんだろうな?」という言葉に「遠山殿の番組でもしばしば耳にしますな」と返すなど、時折メタ発言やボケをかましてくる。
なお、妖奇士にも登場しており、中の人まで同じと言う別の意味でも……。
名残の花
澤田瞳子氏による時代小説では、明治以降の姿が描かれている。東京と化した江戸を舞台に、かつて自身が弾圧した能楽の役者である豊太郎と共に様々な事件と立ち向かっていく。
余談
同時期の江戸町奉行を務め、同時に一種のライバルでもあった遠山景元とは色んな意味で対照的であった。
遠山は幕命には従いながらも行き過ぎた規制を諫めたり、自身の権限内で規制の緩和を行うなど庶民目線で江戸市民の人気を集め、「正義の奉行」と讃えられた。
鳥居は正反対に天保の改革であまりにも行き過ぎた規制を更に苛烈に実施して江戸市民の憎悪を集めていた程だった。
結果的に、水野の命令を受けて芝居小屋を全廃しようとした鳥居に対して、遠山は浅草猿若町への移転だけに留めた結果、関係者たちは遠山に深く感謝し、彼を称える意味で演目「遠山の金さん」が上映されることになる。これは当時における一種の時事ネタでもあり、その演目では市民から憎悪されていた鳥居は金さんとは正反対である「庶民の苦しみを歯牙にもかけない天下御免の悪奉行」という立ち位置が定着してしまった。
関連タグ
妖怪:あだ名
遠山景元︰事あるごとに対立したのは本文の記事の通り。
ただし、鳥居の実父・林述斎と景元の父・景晋は、漢詩文のやりとりをしたり、景晋の墓碑銘を述斎が撰文したりと交流があった。