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最上義光

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もがみよしあき

最上義光は戦国時代末期から江戸時代前期の有力な東北の大名で、伊達政宗の伯父にあたる。

概要

最上義光/もがみよしあき(1546年~1614年2月26日)

最上家十代当主最上義守の嫡男として生まれる。幼名は白寿、仮名は二郎太。

義姫伊達輝宗の正室で伊達政宗の母。

元服と同時に将軍・足利義輝の偏諱を得て、義光を名乗る。この時最上家は先代・最上義定伊達稙宗(政宗の曾祖父)に敗れて従属し、そこから独立を計って領土を拡大している最中であった。しかし義光の初陣でもある寒河江城攻めに敗れて領土拡張策は頓挫する。

やがて義守と義光の対立が起こる。これは一度は重臣・氏家定直の仲介で収まり、義守は隠居する。しかし義光が周辺豪族に対して強硬な態度に出たため、それに反発した国人・豪族らが義守を担ぎだし、更に義光の独立指向を危惧した伊達輝宗も義守を支援した。戦況は当初義守優位で進んだが、やがて義光が巧みな戦略で盛り返し、義光方の勝利で終わる。こうして最上家は伊達家から完全に独立し、義守と義光は和解する。

しかし未だにその支配は不安定であり、義光は自身に反抗する最上八楯という最上家分族(天童氏を盟主とする延沢、飯田、尾花沢、楯岡、長瀞、六田、成生の八家)を中心とした国人連合と戦うことになる。八楯側についた輝宗を交えて両陣営は一進一退の攻防を繰り広げる。しかし義姫が輝宗を説得して講和させ、伊達家はこの争いから手を引く。この後義光は天童氏分家の上山満兼を謀殺し、更には八楯の主力だった延沢満延を婚姻により懐柔。そして、遂には八楯盟主天童頼澄を陸奥国へ駆逐してこの争いに勝利。残りの八盾やその分家氏も義光に従うようになる。その後は周辺の小野寺家、伊達家、上杉家などと争いを繰り広げた。

やがて豊臣秀吉による小田原征伐が行われると、それに参陣する。この頃父・義守が死去し、その葬儀のために甥・政宗以上の遅参であったが、事前に徳川家康に交渉していたこともあり許される。

関ヶ原の戦いの際には、家康の会津征伐に東軍側として従軍。西軍側である上杉景勝の軍と対峙することになる。その直後石田三成が挙兵したため会津征伐は中止され、義光は景勝の牽制を命じられる。しかし同じ任務の政宗は形だけの援軍三千を送ったのみであり、援護にきた南部家は領内で一揆(実は領土拡大のために政宗が扇動したもの)が起きたため帰還してしまう。そのため、義光は実質単独で上杉家と戦うことになる。直江兼続率いる二万余に対して七千程度、しかも西軍についた横手城主・小野寺義道の抑えに半数を割いていた。圧倒的に不利な状況下であったが、最上方は激烈な抵抗をみせ、さらに関ヶ原本戦がすぐに決着がついたこともあって防衛に成功する。

戦後は庄内由利地方等57万石を安堵され、最上氏最大版図を築き上げる。その後は内政に励んで領内を大きく発展させた。

しかし徳川家康が次男・最上家親を可愛がっていたため家督を継がせたいと思うようになり、嫡男・最上義康を疎んじ「高野山に退去せよ」と命じた。義康は高野山へ向かう途中に暗殺され、義康派は粛清された。更には斎藤光則に背後関係を調査させたため、義光と義康の間の離反を図っていた里見民部加賀に逃れたが最上家へ引き渡され、山形へ護送中、山賊に襲撃され死亡した。

義光はこの事件以降病気がちになり、1603年、徳川秀忠との謁見の後山形城で病死する。享年69歳。家臣四人が殉死した。後継者・家親には里見一族の粛清を遺言した。

家族

2歳下の妹・義姫とは大変仲が良く、義が伊達輝宗の元に嫁いでからも手紙のやりとりをよくしていたという。最上家が伊達家と対立した際には義が戦場まで乗り込んで休戦を促し、その頼みを断りきれずに休戦した後に和睦した事もあった。その後も伊達家の最上家不信から、外交関係が中々うまくいかない事もあったが、義光は間に立って取り持ってくれる様に依頼した書状を義に送るなど妹には絶大の信頼を置いていた様で、外交とはまったく関係ないような私事を記したような手紙も結構残っている(彼の名前の読みが「よしあき」と分かったのも手紙に書かれていたから)。

父義守との不仲の原因として弟・中野義時の存在がある。両者の対立の原因は義守が次男最上義時を溺愛し、嫡男義光ではなく義時に家督を譲ろうとしたことにあり、そのため義光は弟を殺し父を隠居させたというのである。しかしこの中野義時という人物は一次資料に名前がなく、実在がかなり疑わしい人物であるため、後世の創作ではないかと言われている。余談だが、甥の政宗も弟・小次郎を跡目争いから処断している。

息子

嫡男・義康は文武に優れ将来を期待されていたが、義光とは仲が悪く、やがて高野山への退去を命じられ、その道中で何者かに暗殺されてしまう。これは義康が豊臣家に近いことを義光が危惧したこと、次男・家親を気に入った家康の意向、それを利用しようとした家臣の讒言が原因とされる。

義光はこれを悲しみ、更に遺品の中から父の武運を祈る日記が見つかるとよりいっそう悲しみ、犯人を探し出して粛清した。しかしこの一連の事件は諸説あって真相は不明。この件並びにその後の最上家衰退には伊達政宗およびその腹心の片倉小十郎(景綱)の暗躍があったという説もあるが、伊達家がそんな証拠を残すわけがなく、最上家側の文書が散逸しており、憶測の域を出ない。

駒姫

豊臣秀次に見初められ側室となるが、秀次事件で誅殺されてしまう。のち、生母・大崎御前も愛娘を殺された悲しみでこの世を去ってしまう(秀吉に自害を命じられたという説もある)。

その後、義光自身も秀次との結託を疑われて謹慎処分を言い渡されるのみでなく、最上家も一時期は改易の危機に立たされ、更には上杉家との揉め事が起こっても何かと上杉家有利の裁定を下される事が多い等、とことん冷遇に次ぐ冷遇を受けてしまう事態となる。

ここまでの仕打ちを受けたのは、今後の徳川家の牽制にていずれ最上家が邪魔になるからという説もあるが、娘だけでなく妻まで失い、更には家の取潰しまでされ掛かった事で堪忍袋の緒が切れた義光は、会津征伐の頃から関ヶ原の戦いへ移行するまで、早い段階で反豊臣・親徳川路線を明確にしている。

関ケ原の合戦後に義光が死去した後も、家督を引き継いだ最上家親が中心となった最上家は、反豊臣姿勢を断固として崩さない姿勢を取っており、大坂の陣が勃発した時期には、親豊臣派であった弟・最上義親を誅殺してまでその姿勢を貫いていた(ただし、戦においては江戸で留守役を担う形で参戦しなかった)事からも、理不尽な形で駒姫を殺された最上家全体の豊臣家への恨みつらみは根強かった事がうかがえる。

創作における汚名

孫の最上義俊の代に起きたお家騒動が元で最上家は改易し山形他57万石から近江1万石の知行となってしまう。その際、最上家側の文書が散逸してしまったことや後に山形に入った鳥居忠政やその子孫が義光を称賛することを嫌ったの事項に関して調べる際には主に伊達家に都合のいいように捏造された文書や軍記物を引用するケースが多く、ドラマや小説等の創作物では極めて悪い扱いをされることがほとんどである。(典型的な例が大河ドラマ「独眼竜政宗」での義光(後述)と戦国BASARAでの義光。後者に至っては最早史実の義光とはえらくかけ離れたギャグキャラである。)

一般にそう流布させた最大の原因とされるのは『山形市史』の存在であり、編纂当時に山形県で絶大な権力を誇り「服部天皇」とまで呼ばれた服部敬雄が自らの息のかかった史学者佐々木銀弥に義光を貶めるような編纂をさせたことである。服部が義光を嫌いだったかどうかは定かでは無い。が、服部は義光を湛えるべく続いていた祭り「義光祭(ぎこうさい)」を中止させ「花笠まつり」に変更までさせている。

一方の佐々木は、自信の著作に於いて悉く義光を貶めるような記述をし続けた。

この意図的に曲解された内容は、NHKの大河ドラマ独眼竜政宗」の内容にも反映される。

ドラマでは原田芳雄氏が義光を演じたが、そのあまりにも酷い扱いから、最上の地元、地元の英雄ともいえる山形の各所からクレームが入ったほど。このことは原田も反省していた模様。(とは言っても悪いのは演者ではなくこの設定を描いた脚本家であるが)

実際には上記の通り政宗などとは比べ物にならないほどの戦国屈指の常識人、英雄であり、その人柄から人気の武将でもあるのだが・・・

つまるところ義光は、服部敬雄・佐々木銀弥という史学に対する大冒涜者の被害者だと言える。

なお、最上家の血筋自体は存続した。

2006年の「天地人」では義光は直接登場せず、「慶長出羽合戦で直江兼続を攻める最上軍にそれっぽい武将がいる」程度で終わってしまった。政宗の時のクレームを見て、怒られるのが怖くて外したとのこと。

トークショーの記事

「独眼竜政宗」の放送から2年後の1989年12月1日に、山形市は義光及び最上家を顕彰する施設・最上義光歴史館を開館した。

橋口たかしの漫画『最上の命医』、『最上の明医 ~ザ・キング・オブ・ニート~』の登場キャラクター、最上一尊・義明親子は、義光の子孫という設定である。

人物・逸話

人物

  • 体格:幼少の頃からこの時代の人にしては背が高く、5,6歳の時には既に12,3歳程度に見えたらしい。
  • 文武:怪力で武術も得意な義光だったが、文化人としての方も優れていた。義光が残した連歌の数は現存33巻・248句にのぼり、これは同時代諸侯の中では細川幽斎に次ぐ多さである。
  • 信仰:最上家は代々宗教の保護に取り組んでおり、義光もまた信仰心があつかった。愛用の鉄製指揮棒に「清和天皇末葉山形出羽守有髪僧義光」と刻していたことからもそのことがよくわかる。
  • 知略:戦では謀略・調略・説得と言った戦わずして勝つ知略を駆使した。そのため「羽州の狐」「虎将」「出羽の驍将」の異名を取る。

逸話

  • 力持ち:力が大変強く、戦場では鉄製の重さが約1.8kgある指揮棒(現存)を持っていたらしい。他にも、家臣と力比べをした際に、木にしがみついた義光を強力な家臣が引っ張ったところ、木が抜けてしまったという逸話もある。
  • 好き:最上義光は大宝寺義氏を家臣を裏切らせて自刃させ、後を継いだ弟・大宝寺義興も攻撃して自刃させ、養子の大宝寺義勝を追放。海につながる庄内を手に入れ、大好物の塩鮭が自由に食べられることを喜んだ。後に大宝寺義勝の実父・本庄繁長に庄内を奪われた際は、豊臣秀吉と交渉してまで取り替えそうとしたほどである。豊臣秀吉の時代には、上杉景勝が秀吉のお気に入りだった為に取り返す事が出来なかったが、秀吉が没すると、関ヶ原の戦いで旧知の徳川家康について戦った功績により取り戻せた。
  • 猪武者:戦場に出ると突進癖が顔を出し、氏家守棟(定直の子)や志村光安ら家臣に怒られたり諌められたりすること度々であった。このためか慶長出羽合戦の直江兼続追撃戦の時のようにしばしばあわやの目に遭っている。

創作

『信長の野望』での最上義光

中期~後期のシナリオで登場する。

どの能力も高い。かつては知略が最も優秀だったが現在では怪力キャラ定着のせいで武力も知略並みになっている。

1570年以降のシナリオでは最上家の当主、難易度は難しくはないが作品によっては

上杉家に隣接しているいるのでそれに注意しつつ勢力を拡大すべし。ちなみに作品によっては

義光が父義守から最上家の当主を継ぐ経緯のイベントが発生する。

『戦国BASARA』での最上義光

詳細はこちらを参照。

アニメ『戦国コレクション』での最上義光

声・上坂すみれ

花火も打ち出せる身の丈ほどもある大筒を武器とする少女。お化けが苦手。

伊達政宗の伯母にあたり、戦国世界では政宗と家督を争っていた。現代では中学生として楽しく生活している。

殲滅姫・最上義光

『戦国無双』での最上義光

武器:刀剣(2) 槍(3以降) 大太刀(4Emp) 声:山田真一(chronicle2まで) 金本涼輔?(4以降)

「出羽の驍将の力、今こそ見せてくれよう!」(2猛将伝 前田利家外伝 天正御前試合の邂逅台詞)

羽州の狐?虎将と呼ばねば掴み潰そうぞ!」(特殊台詞)

出羽の戦国大名。

伊達政宗の母・義姫の兄で伯父にあたる。激・戦国無双から一般武将として登場しており、2での長谷堂の戦いでは、政宗から義姫や確執について語られているが、上杉を前に共闘する。

また2empiresでは、伊達軍のカラーである緑から青にカラーが変更されている。

4では固有のデザインで登場。東北の章に登場し、史実と同じく政宗と争うが後に和睦する。

100万人の戦国無双ではオリジナルの武将で武器が二挺拳銃となっている。

鼻に付く言い方が特徴で妹思いの政宗の伯父として登場している。

殿といっしょ』での最上義光

常に白狐の仮面を被り、伴天連じみた衣装を着用した怪紳士。相手を化かすことに常軌を逸した熱意を傾ける詐欺師であるが、領民に対しては善政を敷いている。あまりに他人を化かすことに本気を出すあまり、「伊達軍に負けまくって主君である私もビンボー暮らしをおこなっている」という主君としてそれはどうかというような嘘をついて援軍を要請したこともあるほど。

妹・義姫を伊達家への間者として送り込んだは良いものの、心より夫・伊達輝宗を愛してしまった義姫(お東の方)からは逆に化かされ、輿で突撃されたりするなどゾンザイな扱いを受けている。

政宗さまと景綱くん』での最上義光

甘党の信長ビビリ家康などわりかし「一般的イメージ」より「史実」に基づいたキャラ付けがなされている本シリーズにおいては、堂々たる筋骨隆々の体躯に加え右目と額に傷を持つ猛将として登場している。治世に長け、稀代の謀将でありながら武勇にも長けている文武両道の名君なのだがやはり鮭が大好きな美食家であり、妹の土産にはの死体プレゼントするほどのグルメでもある。

『独眼竜政宗(FCソフト)』での最上義光

作中に登場する敵武将の中で最強の能力を持ち、また領地である山形も最高の国力と兵力を有するラスボスポジションで登場。イージーモードですら積極的に伊達家の領土へと攻め入ってくる好戦度の高さにも拘わらず、よりによって山形は政宗の本拠米沢の隣に在り常にプレイヤーへプレッシャーを与えてくる。なお政宗の東北統一が遅々として進まないと最上家が次代に引き継がれるのだが、これが義康と家親のどちらであるか(はたまた更に別の子か)は作中では敵武将は苗字しか書かれていないので不明である。

花の慶次』での最上義光

最終巻で登場。作中の戦は慶長出羽合戦が最後のため、ある意味ラスボスとなる。

撤退する直江兼続軍を二万の兵で追い詰めるものの、慶次たち八騎が義光の首を取るべく死の壁となって突撃。

勝ち戦だからこそ死にたくない兵士たちが逃げ出し、義光は歯噛みして退くこととなった。

額から頬にかけて斜めに大きな傷がある。

ネット上の愛称

「鮭様」「陰陽師」「もがみん」「シスコン」「FOX」等。

コメント

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  • 呼吸をそこに

    ただ衝動に流されてあげるには歳をとりすぎた
  • 戦国幻想BASARAマーチ

    戦国幻想BASARAマーチ 3

    連続投稿失礼します! 隊長!もがみんが格好良く書けません!という話です。 伊達語?山羊が食べたよ。(笑) 久々にガンパレの曲を聞いたら滾ったでござるの巻。
  • メリッサ

    最上さんと筆頭の本気な戦闘シーンが書きたかったところから始まっています。ゲームでいうと、最上さんのバサラゲージが溜まって「おしまいだよ」って言う時の、あんな感じの真剣さが欲しかった。普段おちゃらけてる人が本気モードになる時のギャップが好きです。しかし文章力が足りなくて…。しかもその戦闘理由を後からむりやり付けたので、矛盾やら説明不足やら、不甲斐ないところが多々あります。自分でも、こんなのBASARAの筆頭じゃないってなってて反省の極み。 政宗はぐだぐだ悩んだりしないタイプだろうし、好きなら好きでガンガン押してくるんだろうなと思いつつも、今回は若者らしく悩ませて必死にさせてみたかったのでした。幸村だって落ち込んで悩んでたんだもの、筆頭も悩むが良いわ! つまり安定のよく分からない甥→伯父でもうどうしようもない。親戚萌え末期です。需要がないとかそんなことは知りません!むしろどういうのを書いたら他の甥伯父クラスタさんと萌えの波長が合うのかなっていうかそれ以前に私の他に甥伯父クラスタなどいな…い…だと…?そんなことは信じない!! (表紙はフリー配布のものをお借りしております
  • いぬぼくパロ【伊最】

    やってみたかったいぬぼくパロ。最上が政宗のSSです。一応妖怪の設定もありますが、あまり活かされてない。政宗=龍神、最上=天狐です。思うがまま書いたので、背景がしっかりしてないいつものクオリティイイ。いぬぼく知らない人には分かりづらいと思いますすみません。■伊最と言うわりにはまーくん片想いで、もがみんは親戚愛の域を出てないです。
  • それはまるで水のような

    ぴくしぶで見つけた、髪をほどいてたり結ってる最中だったりする最上さんのイラストを燃料にしながら一心不乱に書きました 幸村みたいな髪形でなくて全部の髪を集めて後ろで結ってるというのなら伯父さんの髪はとっても細くてさらさらなんだと思います 普段結んでる人がほどいた時のギャップ半端ねぇです イラスト上げてくださった方々ありがとうございます!!!(表紙はフリー配布のものをお借りしています)
  • 【腐向け】フィリア【黒最】

    なぜ当日アップしなかったというと、昨日、ネットにアクセス出来なかったからです。あと、実は出来あがってなくてですね……(ごにょごにょ)当初、バレンタインだからとことんあまあまにするぞーっ!キャラが違っててもやるぞーっ!!と意気込みましたが、結果がこれです。……うん、なんか違う。ギャグもどきもといノベルゲームもどき。そして誰かBASARA高校の生徒数とか校内構造とか教えてくれ、先生の数とかも。アンソロでは四人しか出ていないし、織田家離れてしまったし。日本の学校はよく分かりませんのでもし間違いがあれば無視してください。そして読後そっと教えてください。1/8:復活させました。3/9:いつの間にタグが。続きませんって。
  • 戦国BASARA-健全

    戦国BASARA】ジェントルでエンジェル【最上・金吾・天海・黒官

    最近、シリアス多いなーと思って。 最上さんを主役にしたら、ゆるーい感じになるんじゃないかと…… そんな、安易な考えで、先にタイトルを浮かべて、そっから書きはじめた話です。
  • 願わくば

    リクエストくださったフォロワーのDさんへ。先の謹言で出した本の中に、政宗が最上さんのお屋敷に遊びに行く話があったので、それの続きということで、今度は最上さんが政宗のところに遊びに行くお話を書いてみました。せっかくリクエストしていただいたのに全く続き感がしなくて申し訳ない感じになりました…。ゲーム3の最上さんが超真空流星隼号を扱うムービー、かっこよくって優雅で大好きです。リクエストありがとうございました!
  • 戦国BASARA-子ぎつね佐助

    【戦国BASARA】子ぎつね佐助と羽州の狐【真田主従】

    ひさびさ「子ぎつね佐助」シリーズです。 ……もがみん、何しに甲斐に来たの(笑) -----------  寒い時期。やはり温かな汁がいいだろうと、干していた野菜や季節のものを使い、野菜の甘味が引き立つ味噌汁が出来るころに、幸村は『素敵紳士である狐殿』を伴って帰宅した。 「帰ったぞ」 「おかえり、旦那。あと、いらっしゃいませ」  出迎えに出た佐助は、足をぬぐう桶に湯を入れて運んだ。にこにこと嬉しそうな主は鼻をひくつかせ、佐助を見る。 「良い香りがするな」 「寒いし。おなか空いてるかなと思ってさ」  佐助が返すと、幸村は温かな手のひらを佐助の頭に乗せ、労った。照れくさくて嬉しくて、佐助は肩をすくめる。それを見ていた『素敵紳士である狐殿』が、ナマズのような形をしたヒゲを摘んで、感心感心と頷いた。 「よく出来た子どもじゃないかね。山田君。すすぎ桶の湯も、なんとも良い湯加減だ」 「真田でござる。最上殿」 「細かい事は、気にしないでもらいたいね。さて、少年。お礼に、この素敵紳士、最上義光の特性玄米茶を進ぜよう。いやいや、礼には及ばないよ」
  • 【黒最】あなたの反応【腐向け?】

    2作品目の黒最です。 両片想い的なあまあまな2人が書きたいなぁと思いつつ、相変わらずの偽者臭さに泣きそうです。 誰か上手く書ける方法を教えてください。 前作閲覧・ブクマしてくださった神様みたいな皆様には感謝感激です!◆やっと編集の仕方覚えました◆滾る…だと!?こ、光栄です!
  • おもてなし(最上+土居)

    お客さんが来るとあれこれ出してくれちゃったりする田舎のおばあちゃんみたいなきよらさんだと可愛いなと思いましたまる
  • 赤い糸

    伯父と甥と松永さんが赤い糸に繋がれて、ワチャワチャしてます。ほんのり伊最+最松風味。■後半は信久です。話の雰囲気が少し変わります。両想いなのに片恋が好きです。■MDO(最上はダメなおじさん)からMDO(最上は出来る伯父さん)に政宗君の意識が変われば良い。■松永さんの最上さんの呼び方がわからないので「虎将」と呼んでます。ちょっと史実調べてみました。羽州の狐だと長いと思ったのと、どうしても漢字で呼ばせたかった。でも、名前だけ見たら、先に赤い虎の彼が浮かびますね;
  • さびしい大人のための諧謔曲

    三成を最初に『裏切った』のは、家康でも金吾さんでもなく、官兵衛だったのだろうな…という妄想と、東北の甥伯父に夢見て書いた、短い寂しげなおはなしです。BASARAでも無双でも、官兵衛は『孤立する長男』なイメージです。半兵衛は、秀吉に対する思いとはまた別のベクトルで、官兵衛を大事に思い、心配していただろうなあと思っています。半兵衛→官兵衛の呼びかけは、『黒田君』でもなく『官兵衛君』でもなく、『孝高君』だったら嬉しいなと。/追記:閲覧、評価、ブックマーク、タグの追加、コメントありがとうございました!下のコメント欄にてお返事しております。
  • 甥と伯父の争い・戦国BASARA

    「甥と伯父のあの木の実の食べ方についての争い」

    久しぶりにアケビの皮の料理を食べたんですよ、苦かったんですよ(笑)山形県以外ではあんまり食べられない食材ですので、ちょっとこの二人に代弁してもらいました。最近は栽培されたものが販売されてます。ほぼ山形県産です。果肉はあまくて美味しいのですが、種が多くて邪魔です。ブドウみたいに種なしとかできないもんかねぇと思う今日この頃。作中の犬は秋田犬みたいな犬だと思ってください。 伊達政宗毒殺説に一石を投じようとしたわけじゃないけど、こんなことがあったかもね~と思っていただければ(笑)実際の真相は全くの不明なのでね。 ゲームはしたことありません、アニメもちょろっと見ただけなので口調とかおかしかったらごめんなさい。最上さまの逸話などはこちらから”戦国ちょっといい話・悪い話まとめ”( http://iiwarui.blog90.fc2.com/)お暇でしたらアンケートお願いしまーす。
  • 水曜日(最上×綱元/現パロ)

    もがおにへの3つの恋のお題:泣いたり笑ったり/一人で舞い上がってバカみたいだ/鳴らない電話 http://shindanmaker.com/125562 最上×小十郎から派生したCPなんですが、診断やったら現パロ風味だったのでふつうにラブラブさせてみましたフッフー。
  • いつかの言の葉

    BASARA3にて、お市さんで長谷堂城の戦いに出向いた時の「出羽守さま…にいさまがあなたを呼んで…」という台詞に何かを感じて書いたもの。妄想捏造満載。お市さんは最上さんのことをきちんと認識できてるんだなーとか、じゃあ昔に面識があったのかな?とか、最上さんと信長様の昔の交流のあれこれが知りたい…とか思ってしまったせいです。プラス、ちょっとかっこいい羽州の狐様が書きたかった。 今回は信長様と最上さんのあれこれについては書けてません。他の最上クラスタさんは二人の交流をどんな感じに捉えてたり想像したりしてらっしゃるのかな…?考察がある方は是非私に教えてくださると嬉しいです。最上さんの供給が少ないから特に。彼のアンソロとか出ないかなっていつも願っています。もがみん中心オールキャラアンソロジー「玄米茶っ!」みたいな。言い値で買います。ください。ください。 (表紙はフリー配布のものをお借りしております) ■追記:言い出しっぺの法則タグwww これはアンソロに関してということで宜しいでしょうか…w 当方まだ個人誌も出したことないのでアンソロはどうかご勘弁…いつか最上さんの薄い本出したいです(大いなる野望
  • 彼女が遠くへ行くと言うので

    最上さんが好きだ好きだと言っていたら、とうとう無双の方の最上さんにはまりました。というかグ○ーで無双ができると知って始めてみたらちょうどやっていたイベントで義光と義姫の会話スチルが出て、それのあまりの萌えに頭がパーンしました。何この兄妹…おいしい…。 兄の台詞では「可愛い」と「お義」がセットでした。枕詞か。 最上さんは史実・BASARA・殿いつと、あらゆるところで好きになってしまっているので、あとは戦国大戦ですかね…(苦笑) とりあえずビジュアルは知っています。あっ、あと武将隊の最上さんも好きです。 100万人の戦国無双において、鮭様はものすごくシスコンなわけですが、じゃあ義姫様が嫁ぐ時ってどういう反応をしたんだろうと考えると胸熱ですね…?なんて言っても「戦国時代」ですから、さすがのお兄ちゃんも覚悟はできていたと思います。ですので、現代人の価値観をねじ込む無理矢理フィクション仕様のものを書きました。まぁぶっちゃけボロ泣きする鮭様が見たいのです。私が。 そういえば、鮭様の呼び方をどうするかで迷いました。個人的に「あにうえ!」って言うとぴしっとした響きを感じるので、ひとまず兄様(にいさま)にしておきました。無双の義姫様、息子が生まれてヤンデレるまではふわふわした感じだったんじゃないかなって予想しているのですがどうでしょう。 もちろんお兄ちゃんに対しては今も昔もそれなり(多分人並み以上)の愛情は持っていると思っています。 (表紙はフリー配布のものをお借りしております) ■追記:閲覧・評価などありがとうございますー!ブクマコメのお返事はコメント欄に(`・ω・´)
  • 骨まで溶けるような

    最上さん視点で義さまの描写をしていると、時々きもちわるくなってきます(笑)。しかしこれだけ綺麗とか可愛いとか並び立てられる機会もそうそうないので、これはこれでとても楽しい。下手なカップルよりべたべたに甘いなぁといつも思います。これだけ愛が重いのに、どこまでいってもあくまでも身内への感情というのがイイネ! などと考えていたら、政宗が正室を迎える時にすでに義姫がヤンデレている前提にしてしまったという致命的ミスを犯しました。確かまだ輝宗様も小次郎も生きてる頃だよ…!とは言え、それに気付いた時には文章が8割方完成していたのでこのままアップしますごめんなさい。  ■100ムソサービス終了とのことで悲しみに打ち震える毎日を送っています。最上兄妹、ほんとに好きなので…無双4で出てくれないかと願うばかりです…。 (表紙はフリー配布のものをお借りしています)
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    bsrはいろんなCPにときめいてるんですけど、伊最は少ないなぁと思い、ネタが思い付いたから書いてみた。BL的には甥×伯父ってマイナーではない気がするのに、bsrでは何故こうも少ない!?だてもが、増えてほしいです切実に。
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    はじめましてです。 戦国BASARAのもがみん小説書きたいなーっと思って書いたらなぜか若い信長公と若もがみんになってしまいました。拙い作品ですので、暇潰し程度になれば良いのですが…。 しかし、夜中のテンションって怖いですね!

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