二本松義継
にほんまつよしつぐ
二本松畠山氏は源姓畠山氏初代の泰国(畠山重忠の妻が重忠死後に再婚した足利義純との子)の曾孫で足利尊氏の時代に奥州管領を務めた国氏を祖とする名門。
しかし、戦国時代になると伊達氏や蘆名氏などの強豪に押され奥州二本松を拠点とする土豪に零落していた。
義継は1552年、二本松畠山家第8代目当主・義国の嫡男として誕生した。
1574年に父が隠居すると二本松畠山家第9代目当主に就任し、以降11年間も伊達家との対立や中立を繰り返したとされる。それでも伊達輝宗が伊達家当主の時代は相馬盛胤・義胤父子との戦いに援軍を出したりするなどしていた。
1585年、新たに伊達家当主となった輝宗の嫡子・伊達政宗が大内定綱を攻めた際に定綱と婚姻関係にあった義継も伊達家に攻められてしまう。義継は伊達家との講和を図ろうとするが、政宗は輝宗と違い義継の経歴から不信感を持っており「今は乱世である以上、貴様を許すわけにはいかぬのだ。貴様の領地から二本松領以外の領地はすべて没収という処置と致す。」(意訳)と言われてしまう。
この処遇に不満を持った義継は隠居していた輝宗と会見し、処遇の取り成しを何とかしてもらおうとするが、政宗の怒りをさらに買う。
進退窮まった義継は宮森城を訪れ輝宗を拉致し二本松城に連れ去ろうとする。しかし二本松領を目前とした粟ノ巣で政宗率いる伊達軍に追い付かれ人質の輝宗を斬ろうとしたが、輝宗は政宗に対して「わし諸共義継めを撃て!」(意訳)と叫んだ。
さずかに政宗は躊躇するも最終的に父の輝宗共々義継を射撃。こうして義継は伊達軍の攻撃を受けて戦死した。享年33歳。(粟ノ巣の変)
家督はまだ11歳の長男・国王丸(二本松義綱)が継ぎ人取橋の戦いでも蘆名氏や佐竹氏らと共に伊達軍と戦ったがのちに二本松城を開城。その後は蘆名義広(佐竹義重の次男)に属したが摺上原の合戦で義広が政宗に敗れ滅亡した際、義綱も討たれ二本松畠山氏は滅亡した。
演:石田太郎(当時の名義は石田弦太郎)
進退極まり輝宗を殺害した後、怒り狂って突撃してきた政宗や成実たちに斬られた。妻の綾御前は市毛良枝が演じた。
覇王伝から登場。烈風伝までは智謀は高めで使い方次第では使えた武将だった。しかしそれ以降の作品では能力は全てにおいて著しく下落し全く使えなくなった。一部の作品ではイベントのみでの登場に留まる事が多い。
武器:刀剣 声:江川央生(2Empires) 宮坂俊蔵(3Empires以降)
一般武将として登場。
3Empiresの伊達家の戦史演武では史実通りに輝宗を拉致し、最後は輝宗共々死亡する。イベントでは特徴的な声で喋っており、戦史演武以外では息子の本名と同名である能登畠山氏の畠山義綱とのイベントが存在する。