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蘆名盛氏

あしなもりうじ

蘆名盛氏とは蘆名家第16代目当主で、15代目当主・盛舜の次男。(1521年-1580年)
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出生~家督相続編集

1521年、蘆名盛舜の次男として誕生。

幼名は四郎丸、仮名は平四郎。

蘆名家中興の英主とされる。


盛氏には5年年上の兄・蘆名氏方がいたが、氏方の母が遊女だったのに対し、盛氏の母は蘆名家臣の子であったため嫡子として扱われ後継者になる。


1537年に伊達稙宗の娘(盛氏の従姉妹で、伊達晴宗の同母姉)を正室に迎えて、4年後に父・盛舜から家督を譲られて第16代目当主に就任した。


天文の乱における動向編集

翌1538年には山内氏を討って会津における勢力を拡大しながらも同年に起こった天文の乱では、稙宗を支援した。しかし1547年に同じく稙宗を支援していた田村隆顕と意見の違いから対立し、盛氏は晴宗方に寝返った。これを機に稙宗に従っていた一部の諸将は一挙に晴宗方に寝返った事で、天文の乱は晴宗方の勝利に終わった。


同年には正室との間に実子・蘆名盛興が誕生した。


田村家との抗争・兄の謀反編集

1550年からは本格的に田村隆顕と戦うが、田村家を支援する佐竹家の妨害もあって容易には進まなかった。そこで盛氏は相模の北条氏康や甲斐の武田晴信と結んでこれに対抗した。


内政の際には簗田氏を商人司に起用する事で流通支配の強化を更に高めるなど政策を強めた。また人材発掘の為に家中の幼児を集めて不断衆と称させ、不断衆の中に見込みがある人物の場合は武将として取り立てている。


1561年には長沼実国を攻め黒川を留守にした際に、兄の氏方が謀反を起こした。しかし盛氏は数日でこれを鎮圧し、氏方とその家臣を自害に追い込んでいる。同年、家督を盛興に譲り止々斎と号した。


盛興当主時代編集

1563年には須賀川城主・二階堂盛義との抗争に明け暮れる事となるが、この時に盛義は晴宗の長女・阿南姫を娶っていたので、伊達軍が二階堂救援の為に何度も攻撃を仕掛けてきたが、盛氏は穴沢信徳に銘じてこれを撃退させた。


1566年には盛義が嫡男・平四郎を人質に出して降伏。更に盛興の正室に晴宗の四女・彦姫を迎える条件で蘆名・伊達間でも講和が成立した事で抗争は終結した。8年後の1574年には伊達実元(成実の父)と共に二本松義国(義継の父)・大内義綱(定綱の父)を破って田村隆顕の子・清顕(愛姫の父)を従属させる事に成功する。

だが同年に実子・盛興が27歳で死亡した。盛興には男子がおらず、更には止々斎には他に息子はいなかった。これが蘆名家凋落の始まりとなる。


盛隆当主時代編集

そこで止々斎は二階堂平四郎を養子に迎えて、蘆名盛隆に改名させて後継者に据え、自身は盛興時代同様に後見人として活動する。

1575年には白河晴綱没後の白河結城家で白河義親白河義顕の後継者争いが起こり、止々斎は女婿である義親を支援した。また1578年には上杉謙信死後の御館の乱に乗じて、越後に出兵して積極的に攻勢を続けた。

1580年6月17日(7月28日)に59歳で死去。


権力強化の影編集

1560年から1576年にかけて6度も徳政令を出せるほど権力は強化された蘆名家ではあったが、その裏では新当主・盛隆に反発する重臣たちとの不和や長年にわたる田村・佐竹との抗争の結果、戦の費用が不足するなど盛氏晩年の蘆名家は衰退の道を辿ろうとしていた。


その後の蘆名家は盛隆も含め伊達晴宗の外孫三人が続けて当主となり、家臣団の心は離れていったが、伊達家と関係も悪化しはじめ晴宗の内孫の伊達政宗が伊達家当主を継ぐと手切れ。さらに伊達輝宗の死や蘆名義広佐竹義重次男)の蘆名家家督継承もあり伊達との抗争に突入。一時は佐竹義重・義宣父子や相馬義胤と連携し伊達に対して優勢に立ったがこれに大崎義隆最上義光上杉景勝本庄繁長らの動向も複雑に絡んだ結果、大崎合戦・十五里ヶ原合戦・郡山合戦を経て、形勢が伊達家有利に傾きだし、1589年の「摺上原の戦い」で政宗によって滅ぼされてしまった。


創作物における蘆名盛氏編集

戦国無双

武器:槍 声:高塚正也(2) 山田真一(3Empires) 藤本たかひろ(3Empiresでの特殊台詞時の声と4以降)


「老骨に鞭打って、この家、わしが支えてみせるわ!」(3Empiresでの特殊台詞)


2Empiresより登場しており、3Empiresでは遭遇すると上記の特殊台詞を喋る。4Empiresでは養子・盛隆と同じく固有武将として登場したが特殊台詞は無くなった。

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