蘆名義広
あしなよしひろ
佐竹義重の次男。母は伊達晴宗の五女・宝寿院。同母兄に佐竹義宣、同母弟に岩城貞隆がいる。
父・義重は北条氏政や小田氏治らと対立し関東で鎬を削る一方、彼らと結び南下して来た政宗とも敵対し、蘆名氏・相馬氏・二階堂氏といった勢力と結びついて、政宗の南下を抑えていた。
そのよう中、蘆名家では盛隆に亀王丸と若年の当主が相次いで亡くなると、佐竹と伊達どちらから養子を迎えるかで家中が対立した。
当時の義広は陸奥小峰城主・白河義親の養子として陸奥白河家の当主になっていた。金上盛備ら佐竹派はその義広を支持し、蘆名一門の猪苗代盛国ら伊逹派は伊達小次郎を支持していた。最終的には盛備ら佐竹派が策謀により伊達派の重臣を失脚させ、義広は蘆名家に養子入りした。なお、陸奥白河家は義親が当主に再任している。
しかし、幼い義広が上手く家中をまとめられるはずがなく、しかも義広と共ににやって来た大縄義辰らが伊達派の家臣達を失脚させた為、家中はさらに不安定な状態になる。その隙を政宗に浸かれ、盛国が調略で寝返ってしまう。さらに1589年の摺上原の戦いで大敗した上に執政の盛備らの重臣を失い、義広は常陸に逃亡して蘆名氏は滅亡した。
その後、義広は豊臣秀吉から龍ヶ崎のち江戸崎に所領を与えられ佐竹家の与力大名として蘆名家は存続した。この時に諱を盛重と改めている。しかし、佐竹家は当主の義宣が関ヶ原の戦いでの西軍寄りの動きをしていたことから盛重は兄に連座して所領を徳川家康に没収された。のち義宣は出羽国久保田(秋田)に転封されたが盛重も義宣に同行して出羽に移りかつて戸沢盛安が本拠にしていた角館を与えられ諱も義勝に変えた。1631年没、享年57歳。
義勝の後、角館蘆名氏は義勝の遺腹の子である盛俊が継いだが20歳で早逝。その後は盛俊の子の千鶴丸が継ぐも1歳で没し断絶した。
なお、地元の角館では治水事業や防火対策を行った名君として知られている。
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コメント
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『戦国★男士』9閃を見て、とっさに出てきた妄想を綴った、即席の短編 この二人は本当にヤバいですね 鼻血ものです 蘆名さんが顕現を無くしたときの佐竹の表情、『義広っ……』って呼ぶ声の切ないこと そんな感じから発展し、喧嘩の後の帰り道の妄想 もしかしたらあの続きあるかもだけど、今書かずにはいられなかったのよっ(`ω´) ちょーシリアスですが、いかがですか?←561文字pixiv小説作品The night of rebirth
第9閃直後。 公式サイトで蘆名の紹介に「再顕現」の文字を見つけた時に思いつきましたが、DVDを見て、書き上げるまでが難産でした。 「距離感」と同一時間軸の話として書いてあります。順番としてはこっちが先ですね。 そして相変わらず、これ需要あります……?3,792文字pixiv小説作品僕とあの人との関係性
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