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留守政景

るすまさかげ

奥州の武将の一人、伊達政宗の家臣
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概要

奥州(陸奥国)の大名・伊達晴宗の三男。父の従兄弟である、留守顕宗の養子となる。この養子縁組は晴宗と対立した顕宗を留守家から排除するための押し付け養子であり、顕宗の実子及び兄弟達は他家に養子に出されるなどして留守家にとどまることを許されなかった。政景は、顕宗の外祖父留守郡宗と父の景宗に続く、伊達家からの3人目の養子となる。
伊達家の家督は次兄・輝宗が継ぎ、留守家に養子に入った政景、石川家に養子に入った昭光、国分家に養子に入った盛重ら弟と宿老として輝宗・政宗父子を支える。
晴宗の孫である政宗は甥にあたる
関が原では傍観ながら最上義光(政宗の伯父)の援護に行ったり(ただし途中で参戦し、兼続隊と交戦)
同年には自身の父方のいとこかつ甥であり出奔(逃走)した伊達成実を伊達家に戻したりとしており
伊達の姓を名乗ることを許される。(もともと伊達だろと突っ込んじゃいけない、臣下の家に養子に出された者が実家に復姓することは名誉である。伊達家は分家がたくさんあって一族の中でも限られた者だけしか伊達を名乗ることを許されないばかりか、前述の国分盛重に至っては理由がわからないにもかかわらず出奔の憂き目にあい子孫は一門の列に入ることを許されなかった。)
ただし、天正18年(1590年)の小田原討伐及び奥州仕置きでは領地を没収されている。
子孫は政宗に一関2万石を与えられ水沢伊達氏となって続いた。男系は断絶し現在は女系で血統が続いている。
慶長12年(1607年)2月に死去。

余談

1590年に岳父が裏切った際にはその許しを政宗から得ている。
兄弟順で言えば三男に当たる。有名な石川昭光はすぐ下の弟(四男)伊達晴宗の子は伊達成実母を含め、皆、同腹であり、兄・輝宗の存命中は輝宗を中心に仲良くまとまっていた。
政宗は父方の叔父の何人かとは父の死後に敵対したが、謀反人として一門の列から外した国分盛重の末子・古内重広を重臣として取り立てており、仙台藩中興の祖で現在まで続く伊達宗家の始祖である英主・伊達吉村は母方から盛重の血を受け継いでいる。元総理の細川護煕は父方の祖母から伊達吉村の血を受け継いでいる。
伊達みきおの男系祖先、大條宗家は留守景宗の三男で顕宗の弟である。

1987年度NHK大河ドラマ独眼竜政宗

長塚京三が政景を演じ、兄・輝宗亡き後も伊達家の重鎮として甥・政宗に重んじられている。

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