概要
伊達氏は藤原山蔭の子孫と称しているが明確ではなく桓武平氏或いは下毛野氏(崇神天皇の子孫)という説がある。
歴史
鎌倉時代から室町時代
伊達氏の祖朝宗は源頼朝の奥州征伐に参加し戦功により頼朝から伊達郡を領したことから始まった、以降伊達氏は駿河国や出雲国の一部地域の地頭となった、南北朝時代の当主行宗は建武の親政では奥州式評定衆となる、当時の伊達氏は南朝側であったが後に北朝側に移った、室町時代には幕府と鎌倉公方が対立し当主政宗は鎌倉方と戦った、後の当主成宗は足利義政に太刀23振、馬95頭、砂金380両、銭5万7000疋を献上した。
戦国時代から江戸時代以降
成宗の孫稙宗は陸奥守護となり奥州地方に勢力を拡大した、さらに塵芥集を制定するが稙宗は子の晴宗と争い最終的に稙宗が降伏し隠居、晴宗が当主となる、安土桃山時代に晴宗の孫政宗が当主となり会津などを平定するが豊臣秀吉に属したが会津などの領地を没収された、関ヶ原の戦い後は仙台藩主として62万石の大名となる、他にも伊予宇和島藩主や吉田藩主などの分家を興した、戊辰戦争では仙台藩は会津藩と共に新政府軍と戦ったため28万石に減封、宇和島藩は宗城が議定となり外国事務総督となる、華族令施行後は仙台藩は伯爵、宇和島藩は伯爵(後に侯爵)、吉田藩は子爵に叙爵された。
またお笑いコンビサンドイッチマンの伊達みきおは伊達氏の分家大條氏の出身である。