概要
西園寺氏勢力下において「丸串城」と命名された。
1596年には藤堂高虎によって近代城郭として築城が開始される。
1601年に完成しここで「宇和島城」と名付けられた。
1614年に伊達政宗の庶子、伊達秀宗が入城し幕末まで伊達宇和島藩として運営される。
縄張の設計は藤堂高虎によるものであり、中でも「空角の経始」と呼ばれる五角形の平面縄張は正面から見た限りでは「四角形」と錯覚させる効果があったとされる。
幕府の隠密の密書にも「四方の間、合わせて十四町」と完全に誤認させていたほどである。
他にも隠し通路、抜け道など多数の工夫が凝らしてある。
現在の天守は伊達氏によって築かれたものであり、現存天守のひとつでもある。
日本百名城にも選定されている。