歴史
14世紀半ばに赤松氏により始めて築城され、その後黒田氏(黒田孝高ほか)、羽柴氏(羽柴秀吉)、池田氏(池田輝政ほか)、酒井氏などが居城とした。現在残る天守を始めとした建築物は江戸時代初めの城主である池田輝政により造営されたものである。
設計上は天守閣までのルートなど、戦闘に対する様々な備えが施されていた。しかし赤松氏→黒田氏は城代任命、黒田氏→羽柴氏は献上、その後は転封による交代と、姫路城は戦乱に巻き込まれることなくその歴史を重ねていく。
戊辰戦争時には、幕府側の酒井氏を新政府側の池田氏(岡山藩主)他が包囲したものの、ギリギリで戦闘回避し開城。
明治維新後に発布された廃城令の際は、現代の金額にして僅か10万円程度で地元の金物商に売却されてしまうが、その後姫路城の文化的価値を知った陸軍が買い上げて事なきを得た。
第二次世界大戦末期の昭和20年7月3日、陸軍の拠点かつ軍事産業都市であった姫路市は米軍の大空襲を受け、死者341人、被災者10,220人という甚大な被害を受けることとなる。
以前より空襲からなんとかお城を守ろうと、目立たぬよう天守閣に黒色のネットをかぶせるなど涙ぐましい努力が行われていたが、実は上空からではお城も小さな点にしか過ぎず、残念ながら全く意味のない行為だった。しかし爆撃機のパイロットはレーダーの反応からお濠を沼と誤認したため目標とせず、姫路城は奇跡的に被害を免れた。
あたり一面が焼け野原となった中、それでもすっくと立つ姫路城を見た人々は「どんなことになっても、お城さえ無事なら姫路は大丈夫。立ち直ることができる」と勇気づけられたという。
こうした歴史的な経緯やエピソードから、姫路城は本来軍事拠点であるにもかかわらず「不戦の城、平和の象徴」とされている。
1951年に天守ほかが国宝に、1956年に城跡が特別史跡に指定。1993年12月にユネスコにより城跡中心部が世界遺産(文化遺産)として登録された。日本国内での登録第一号(「法隆寺地域の仏教建造物」と同時)である。
余談
東に傾く姫路の城は
姫路城には築城直後から「城が東に傾いてる」という噂が流れ、築城の指揮者であった大工の棟梁が、これを悔いて自殺したという伝説があった(あくまでも伝説で、史実ではない)。江戸時代終わりごろには、「花のお江戸が恋しいか」と俗謡に詠まれてもいる。
そして時は昭和に下って修理をしようとしたら、本当に巽(東南)の方向に傾いていたことが発覚。
ただし原因は設計上のミスにあらず、もともと建築された地盤が弱く、城を支える心柱の礎石が沈下したためであると判明した。
姫路城が白すぎる(?)
2009年から2015年にかけて行われた「平成の大修理」では、大天守の塗り替えを中心とした工事が行われた。カビによる黒ずみなどをすっかり落とし、防カビ剤を含んだ純白の漆喰に塗り替えられた姫路城は、白鷺と呼ばれた本来の美しさを取り戻した。
……が、あまりにも真っ白になり過ぎて、地元民には違和感を覚える人が続出。戦前からすでに汚れやカビが広がっており、みんな灰色の城壁をもともとの姿だと思い込んでいたのである。慣れって怖いね。
怪異伝説
姫路城には様々な伝承・伝説があるが、中でも有名なのが天守に棲むという妖怪『刑部姫』と『皿屋敷』のお菊さん。長壁姫は泉鏡花の戯曲『天守物語』の題材になったことで特によく知られており、天守閣内には池田輝政が大改修中に病死したことを祟りだと恐れた親族と家臣たちによって建てられた『刑部神社』がある。
本丸上山里内にある『お菊井戸』は、お家乗っ取りを企んだ悪家臣の姦計に巻き込まれ、殺された女中、お菊さんの遺体が捨てられたとされる。お菊さんはその後、十二所神社に大明神として祀られたが、300年の後に蝶(ジャコウアゲハ)の蛹の姿を取って姫路城下に戻ってきたという。
姫路市はこの伝説と初代藩主池田氏の家紋(揚羽紋)にちなみ、ジャコウアゲハを市蝶に定めている。
擬人化
その他
ハロウィン・ストライク!魔のビルドクライマー/姫路城大決戦
『Fate/GrandOrder』の2017年ハロウィンイベント。姫路城が出てくるが普通に地面に建っているわけではなく、チェイテ城(洋風の城)の上からピラミッドが上下逆さに突き刺さり、そのピラミッドの更に上から姫路城が建って(乗って?)いる。その名もチェイテピラミッド姫路城。
キン肉星王位争奪編
『キン肉マン』の(週刊少年ジャンプ連載時における)最終章。姫路城内にリングが設置され超人レスリングが行われた…所まではまだ無事だったが、突然浮上して関ヶ原まで移動した挙げ句、同様に飛んできた名古屋城と合体して関ヶ原格闘城と化した。
……繰り返すが、姫路城は世界文化遺産である。