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最上義守

もがみよしもり

最上義守とは最上家第10代目当主。最上義光、義姫の父。(1521年-1590年)
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1歳で家督継承

1520年、最上家第9代目当主の最上義定が子が無いまま28歳で死去すると義定の妻の兄・伊達稙宗は最上家を傀儡化しようと企てた。

しかし最上家臣団や豪族達はこれに反抗し、後継者指名は難航した事で稙宗は妥協。そこで義定の弟・中野義建の孫で次男の長松丸を最上家10代目当主に指名。長松丸は1歳で家督を継ぐ事となった。

元服した義守は天童氏の焼き討ちにより荒廃した立石寺を1535年に再建させるなど、最上家領内の復興に努め、1543年には立石寺に対して比叡山延暦寺の分燈を得た。しかし未だに伊達家に従わされていたので独立していなかった。

伊達からの独立

1542年に伊達家の内紛が起こると義守は稙宗方に従ったが、実際は上長井・下長井の全域を制圧する事で独立を果たそうとした。

1546年には長男・白寿が誕生しており、その2年後には娘・が誕生した。同年、義守は晴宗方に寝返っており、同時に天分の乱は終了に終わった。

1560年には寒河江氏を攻めたが大敗した。翌年には長男の白寿が元服し、義光と名乗っている。1563年には息子・義光と共に上洛して室町幕府将軍・足利義輝に馬や太刀を献上する為に京都に行った。翌年には伊達家に娘・義を伊達輝宗に嫁がせて、伊達家との関係を強化させた。

義光との対立

しかし義守は次第に長男・義光の能力を恐れて次男・義時を後継者にしようと画策。(ただし義時は大正時代の書物から名が出てきたが、最上家の資料には一切乗っていないので架空の人物かと思われる。)

結果的に親子の対決が始まった。が、すぐに氏家定直に一喝されて家督を最上義光に譲って隠居した。隠居からまもなく義守は病に倒れてしまった。

義守は義光と義の兄妹と娘婿の輝宗を呼び、こう言った。

儂が亡くなったら、最上と伊達が合戦を行う事だけが心残りなのだ。両家が争ったら、他国の大名が得するだけで、両家とも佐竹や上杉等に討たれてしまう。両家が仲良くしているならば、佐竹・上杉が連合して攻めて来ようが、奥州は安泰となる。」(意訳)

こうして2家との間に不可侵協定を結ばせた・・・かに見えた。しかし後日、病から復活してしまった事で両家は再び争う羽目となってしまった。

結果的に最上家と伊達家の関係を更に悪化にさせた義守は、1590年に69歳で死去した。義守の死により、義光は父の葬儀を盛大に執り行った為に小田原征伐の参加が遅れてしまった。


創作物における最上義守


信長の野望
初登場時は標準型のステータスだったが、シリーズを追う事に徐々に能力がダウン。嵐世紀からは最早大名としては使えないレベルにダウンしてしまった。

戦国無双
武器:槍(2) 刀剣(3以降) 声:高塚正也(2) 草尾毅(3Empires) 藤本たかひろ(3Empiresでの特殊台詞時の声と4以降)

「息子にも娘にも困ったモンじゃ…ああ、戦だったな」(3Empiresでの特殊台詞)

2Empiresより登場しており、3Empiresでは遭遇すると上記の特殊台詞を喋る。4Empiresでは固有のデザインで登場したが、その代わり上記の特殊台詞は無くなった。

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最上義光 義姫

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