生涯
須賀川二階堂氏の第18代当主二階堂盛義の長男として生まれる。母親は伊達晴宗の娘で伊達政宗の従兄にあたる。父が蘆名家に降伏すると、当時の蘆名家当主盛氏の人質になる。しかし、盛氏の嫡男で後を継いだ盛興が酒の飲み過ぎで死亡。すると、母方の叔母である盛興の未亡人と結婚、盛氏と養子縁組と次々に蘆名家での立場を固め、1580年の盛氏の死で正式に蘆名氏の家督を継承‥‥と言った具合に、人質から、まさかのサクセスストーリーをたどる。蘆名家との血縁は盛氏と晴宗の祖父にあたる蘆名盛高の玄孫という遠いもので、自身と長男の亀王丸、後述の義広の三人は晴宗の外孫という共通点があり、家臣の人望をつかむことが難しかった。
義父盛氏は上杉謙信死後の越後で起きた御館の乱では母方の叔父である伊達輝宗と共に上杉景虎を支援したが、盛隆もまた景虎死後に発生した新発田重家の乱で輝宗と共に重家を支援し上杉景勝を牽制した。また、南奥州の諸大名と結んで北進してきた佐竹義重に対抗したりしている。さらに既に武田勝頼を圧迫して強大化していた織田信長と誼を通じかつて三浦義明・義澄・義村ら本家三浦氏の当主が名乗った「三浦介」の称号を許されている。
また、蘆名氏の力を使って実家の二階堂氏を支援していたが、そのせいで彼の出自や行動に反発する家臣たちが度々反乱を起こした。一時は本拠地・黒川城を占拠されたこともあったが、これらの反乱は全て鎮圧に成功している。
しかし、反乱鎮圧直後の1584年10月6日、黒川城内で鷹にえさをやっていたところを家臣・大庭三左衛門に背後から斬られて死亡した。享年23歳。
その後の蘆名氏はまだ生後一ヶ月だった長男亀王丸が継いだ。盛隆の治世後期に佐竹義重と和睦してから、佐竹が伊達以上に強く介入したこともあり伊達との関係は悪化しだしていた。そこへ持ってきて伊達氏の当主が温厚な輝宗から佐竹氏に敵対的な政宗に代わると事態は急変。政宗はそれまでの外交方針を転換し上杉との和親路線を取り蘆名との同盟を破棄。この最中、当主亀王丸が3歳で病死。跡継ぎがいない蘆名家中は当然混乱し、どこから養子を迎えるかで迷走。結局義重の次男で、自身同様伊達晴宗の外孫である佐竹義広を養子として当主としたが、その後の衰退は止まらず最後は政宗に滅ぼされた。
人物
決断力や行動力に富んで武勇に秀でていたとされる。ただし知性や徳はあまりなく、他家出身の養子ということもあって家中での人望はあまりなかったようである。とは言え、優れた人物であったことには変わりなく、盛隆の早世が後の蘆名氏の衰退を早めたとの評もある。
ちなみに父は某ゲームのせいで小島よしお似と専ら噂だが、息子の彼はそんなことは全くないどころか、かなりのイケメンだったらしい。なんと当時敵対していた佐竹義重に一目惚れされてラブレターを貰った、というエピソードがある(おまけにこの手紙のやり取りがきっかけで両家は和睦)。佐竹義重は実母と正室の従兄弟で、義重の正室も伊達晴宗の娘である。
また、盛隆を殺した大庭三左衛門は元々彼の寵臣であったが、その寵が他に移り、ひどく冷遇されるようになったため犯行に及んだと言われている。このためアッー!扱いされるようになった。
創作物における蘆名盛隆
武将風雲録シナリオ2から初登場。
武器:刀剣(2、3) 槍(4) 声:山田真一(2Empires) 宮坂俊蔵(3Empires) 岡本寛志(4Empires)
「俺っていい男だろ? 俺と一戦、交えてみないか?」(Empiresでの特殊台詞)
2Empiresより登場しており、3Empiresでは上記の逸話からまさかのいい男という扱いで登場した。ある人物を思わせる喋り方も特徴的でイベントもその佐竹義重とのイベントがある。
4Empriesでは義父・盛氏に似た鎧姿の固有武将として登場した。