佐竹義重(四代目)
生没:1186年-1152年
鎌倉時代前期の武将。佐竹秀義の長男。名は義繁とも。
祖父・隆義は源頼朝が挙兵した際に平清盛に味方して頼朝と戦ったが敗れ、降伏したのち病死したが、長男の義政は上総広常に暗殺されており、次男・稲木義清は庶子だったため三男だった秀義が跡を継いだ。
義重は秀義ともに承久の乱で手柄を上げ鎌倉御家人としての地位を固めている。しかし、鎌倉時代の佐竹氏は祖父の件もあり不遇な立場であった。
佐竹義重(十八代目)
生没:1547年3月7日 - 1612年5月19日
常陸の戦国大名。佐竹義昭の長男。幼名は徳寿丸。通称は次郎。あだ名は鬼義重・坂東太郎。正室は伊達晴宗の五女宝寿院で母方の従姉妹にあたる。宝寿院の兄が伊達政宗の父である伊達輝宗。
父・義昭の隠居により家督を継ぐが、存命の間は義昭が実権を握っていた。
家督継承より三年後に父が死去し、これを機と見た反佐竹勢力の反攻を受ける。しかし父の代から友好関係にあった上杉謙信との連携を強めて勢力を拡大し、周辺の諸大名を次々に勢力下に組み入れる。
しかし、その勢いを警戒されて南の北条氏政と北の蘆名盛氏に二面作戦を強いられる。これに対し義重は結城氏や宇都宮氏と同盟を結んだり、羽柴秀吉と懇意になったりして対抗したが、結局北条相手に不利な講和を結ばされてしまう。
しかし盛氏の死後弱体化した蘆名氏に代わって伊達政宗が台頭してくると、伊達氏に攻められた二本松畠山氏救援を名目に諸国連合を結成し、人取橋の戦い(1586年)では圧倒的な兵力で政宗を追い詰める。しかし、叔父の小野崎義昌が陣中で暗殺され、常陸国では江戸・小田ら反佐竹勢力と北条・里見が連携して常陸南部を窺うなど不穏な状況になり、止めを刺せないまま撤退する。
その後、次男の義広を蘆名家の養子に送り込んで後を継がせ、息子を支援する形で相馬義胤らと共に諸国連合を結成。再度伊達領に侵攻する。この時は政宗が最上義光・大崎義隆と戦い苦戦していたこともあってまたも優位に立つが、義重は秀吉に伊達氏と蘆名氏の停戦仲介を命じられてしまい、自ら兵を動かすことができなくなる。更に連合軍内の利害が対立して機能が麻痺し、決定打を与えられずにいた。
政宗と義光の戦いも、義光の妹で政宗の母であるお東の方が停戦を懇願したため、両者は和議を結んで講和となった。
郡山合戦を経て形勢が伊達に傾き、相馬氏は新地城や駒ヶ嶺城を奪われ本拠地の小高城まで脅かされて脱落。義重は政宗と講和した。
翌年には蘆名氏が摺上原の戦いで滅ぼされて義広は実家に逃げ帰り、佐竹氏は滅亡の危機を迎える。なおこの年に義重は嫡男義宣に家督を譲るが実権は保持した。
しかし秀吉による小田原城包囲、奥州仕置が行われると状況が一変する。義重はその両方に従って秀吉から常陸の領有権を認められ、それを後ろ盾に一気に不利を挽回。常陸の統一を成し遂げて佐竹氏の最盛期を現出する。この頃に義宣に明け渡す一方、関東に赴任してきた徳川家康と懇意になる。
関ヶ原の戦いで東軍に与する義重と西軍に与する義宣は対立し、佐竹氏の態度は曖昧なままだった。戦後その態度を咎められるが、義重が家康と秀忠に嘆願した結果、出羽国久保田への転封・減封で済んだ。
久保田では新領主への反発を抑えるべく領内を監視していたが、狩猟中に落馬して死去した。享年66歳。
余談
- 領内の金山の技術革新により豊富な資金力を誇った。
- 1564年より愛洲小七郎宗通(愛洲元香斎)は太田城で義重の剣術師範として仕え、陰流の奥義を伝えた。宗通は義重から平澤村を所領として賜り、平澤姓に改めた。
- 「鬼義重」という異名は江戸時代の軍記物や記録類にも無く、出所不明である。
ゲーム・フィクション
佐竹義重(戦国BASARA3)
佐竹義重(戦国無双)
武器:2では刀剣 激・戦国無双と3以降は槍 4Empiresでは大太刀 声:高塚正也(2) 宮坂俊蔵(3) 岡本寛志(4)
「暑い布団は嫌いだが熱い男は大好きだぜ…いくぞ!」(3Empの特殊対峙セリフ)
戦国無双2では智将モブグラで登場。戦国無双2Empiresでは父の義昭も同じく智将モブグラであったので2代揃って老顔であった。(義宣は師将モブグラで若いとは言い難く、2Empの佐竹一門で比較的まともだったのは東家の佐竹義久の豪将モブグラだけだった。)
流石に3では父親共々若返っており、特に何も無い普通のモブだった。が…。
…どうしてこうなった・・・。3Empでは史実の蘆名盛隆との一目惚れされて手紙を貰ったエピソードのおかげで熱い男好きのいい男という設定となってしまった。
イベントは蘆名盛隆に加えて上杉謙信から長刀を授与された事やその授与された長刀を息子・義宣に譲るが義宣は「その刀は重いので短くしておきました」という逸話「布団授与」など多数のイベントがある。(布団を嫌がる父を真似る義宣など笑えるものもある)
このイベントはモブ時代の松永久秀に次いで多い。
イベントでは「火照ってきたぜ…」「熱くていい男」など意味深なセリフが多い。しかしその言動とは裏腹に性能面はモブ武将の中で最強の1人である。(その他に足利義輝、長野業盛等)
4では金飾後立兜を被ったモブとして登場。(子・義宣も金飾後立兜を被ったモブとして登場しているが、父の義昭と義久は無し。)流浪演武で佐竹一門で唯一使用可能。
4Empiresでは父・義昭や子・義宣と揃って固有のデザインで登場し、それに伴い武器が大太刀に変更された。
戦国大戦
Ver.2.0「日輪、本能寺より出ずる」より他家東で参戦。
レアリティは最高のSRであり、3,5コストの騎馬で信玄や宗滴と互角のスペック。武力10、統率8と上記の2人とやや劣るように感じるが、受けたダメージの1部が回復する「気合」を特技としてもつのが義重の強み。
計略は超絶強化の『鬼義重の咆哮』。士気8と必要が重いが効果終了時に義重が生存していれば、士気が4,5カムバックされる為、上手くやれば2連続で超絶強化状態の義重を戦場に居座らせることが出来る。