概要
東西に長い日本においては、しばしば全国規模の武力衝突が東と西に分かれて起こりやすいので、必然的にこのように呼ばれる事が多い。
一般的には、15世紀後半の応仁の乱や16世紀末の関ヶ原の戦いなどにおける軍の名称として主に使われ、Pixivにおいても後者そのものや、これを題材にした作品に関連するイラストが多数を占めるが、そう呼ばれなくても特に鎌倉幕府樹立以降の主な大規模武力衝突は東(関東)対西(関西以西、主に京)という図式になることが大半である(承久の乱、建武の親政、大坂の陣、明治維新まで)。
西軍(関ヶ原の戦い)
豊臣秀吉没後の政局を巡り、徳川家康と対立していた奉行衆や大名を中心に結集した勢力。総大将として毛利輝元を擁しているが、関ヶ原での本戦など実際の戦闘においては石田三成や宇喜多秀家などの諸将が中心的な働きを担った。
また地方でも上杉景勝や真田昌幸らのように、それまでの誼や利害関係から西軍と同調する大名もあったが、一方で吉川広家や小早川秀秋など東軍に内応した者や、島津義弘のように行きがかり上西軍に加わった者も存在する。
以下、※印の付記されている人物は関ヶ原本戦に参加していた者を指す。本戦に参加していた軍勢の総数は諸説あるものの8万に上るとされる。
主な参加勢
西軍(応仁の乱)
室町幕府の有力者であった山名宗全(持豊)を中心とした勢力で、かつて京都の中央を流れていた堀川・小川の西側にあった宗全邸や斯波義廉の屋敷を本陣としていたことが、「西軍」と呼ばれる由縁となっている。この西軍本陣と東軍が本陣を構える細川勝元邸、そして将軍の住まいたる「花の御所」とは前出の堀川・小川を挟んでわずかに5分ほどの距離であり、応仁の乱の主戦場もその周辺の極めて狭い範囲内となっている。
開戦当初、東軍が将軍や天皇を擁した事で「官軍」扱いになった事、また諸将の参集が遅れていた事もあってその形勢は不利なものであったが、やがて大内政弘らの援軍が到着するに至って勢力を回復、さらに東軍を出奔した足利義視を迎える事で「西幕府」を形成し、自陣営の正当性を主張。こうした流れを経て戦局は膠着状態のまま長期化・拡大化の一途を辿る事となる。乱の中期には天皇を擁する東軍に対抗し、後南朝の皇胤を「南帝」として擁立していた時期もあった。
西陣(や東陣)並びにその周辺一帯では乱の以前から織物生産が盛んであり、乱が終結すると疎開していた織物職人たちも諸国で習得した新技術を携え帰京、この地で京織物の再興に努めた。現在も西陣織として広く知られる、この地発祥の絹織物はこれにちなんでの命名である。
参戦諸将
西軍(戦国無双)
主なキャラクター
関連イラスト
関連タグ
西軍(戦国BASARA)
概要
石田三成を総大将とした軍であり、大谷吉継が彼の参謀となっている。
また史実で総大将であった毛利輝元に代わり、本来彼の祖父に当たる毛利元就が参戦している。
元就に限らず、お市や長曾我部元親など関ヶ原の戦い以前に死去している人物が作中に多い。
その他、史実では東軍方だった黒田官兵衛が本作では西軍に属している。
主なキャラクター
関連イラスト
関連タグ
西軍大騒音コンビ ▼▽ 西軍なりなりコンビ 前髪コンビ 黒幕コンビ