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鎌倉殿の13人

かまくらどののじゅうさんにん

鎌倉殿の13人とは、2022年放送のNHK大河ドラマ。鎌倉幕府第2代執権・北条義時を主人公として、幕府に仕える13人の御家人を物語の主軸とする。
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概要編集

NHK大河ドラマの通算61作目となる作品で、2022年1月9日から12月18日にかけて全48回が放送、総集編は12月29日に4本に分けて放送された。


鎌倉時代初期、鎌倉幕府初代将軍源頼朝亡き後、19歳で将軍職を継いだ頼家は政治経験の足らなさから祖父・北条時政に実権を取り上げられ、時政を始めとした13人の御家人による集団指導体制が成立した。いわゆる「十三人の合議制」である。

主人公はその13人の一人で、時政の次男である北条義時。鎌倉幕府草創期に繰り広げられた権力闘争の中で、野心とは無縁だった純朴な若者が如何にして武士の頂点に上り詰めていくのか、その過程と鎌倉を舞台に繰り広げられるパワーゲームを描く大河ドラマである。


大河ドラマで、鎌倉北条氏がメインとなるのは『草燃える』(1979年)・『北条時宗』(2001年)に続き3作目。また源平合戦を除いた鎌倉時代が描かれるのは『草燃える』以降では『太平記』(1990年)や『北条時宗』に続き3作目となる。


脚本は『新選組!』(2004年)、『真田丸』(2016年)に続いて3度目の登板となる三谷幸喜が、演出は『サラリーマンNEO』シリーズや『あまちゃん』などの朝ドラを手掛けてきた吉田照幸がそれぞれ担当。また時代考証には坂井孝一、呉座勇一(※1)、木下竜馬といった、鎌倉時代や日本中世史の研究において第一線で活躍する面々を起用。新説を積極的に取り入れ、舞台となった時代の価値観を尊重しつつも、登場人物が一人一人活き活きと動き回る群像劇が志向される。

三谷の話によると主要登場人物の一部はイギリスの劇作家・シェークスピアの舞台劇に登場する人物をモデルにしており、歴史の大きな謎となっている部分はアガサ・クリスティーのミステリー小説をモデルにストーリーを組み立てているそうである。


ナレーターは女優長澤まさみ(後述)。当初は作品内に登場する予定はなかったが、10月9日放送予定の第39話に出演(役名不明)することが、6月30日に発表された。


過去の大河ドラマでは、前半生が不明・活躍時期が比較的短く単独での主役としてはエピソードが足りない人物でも誕生時期からスタートし、その時期に起こった出来事を積極的に盛り込む形で堅実な脚本作りをすることが多いが(※2)、今回の主役である義時は鎌倉殿及び他の十二人+αのエピソードに深く関わっている上、新型コロナウイルスによって撮影スケジュールに影響が出ている為、通常時ならば描かれるような歴史の名場面が(脚本の影響が出ない範囲で)可能な限り削られている模様(※3)。


※1放送開始前に自身の不祥事もあり、降板となった

※2 例外は幼少期についての記録の乏しい真田信繁明智光秀など。

※3 「源義経」「新・平家物語」「炎立つ(第3部)」「義経」といった過去作に相当する内容をほぼ20話で終わらせる超駆け足。その他、義時の関わってない篠原、宇治川、屋島の戦いや勧進帳などは極力排除。特に子供は「出来た」と言った次の回ないし回の終盤には既に生まれていたなどの扱いで、前話で子供だった人物が次の回では著しい成長をしたテロップを流すなどして、時間の流れに関わるエピソードをとにかく削っている。

内容編集


上記の通り歴史上で実際に発生した血を血で洗う権力闘争が物語の主軸となっている。族滅、暗殺、粛清、謀略などの不穏なワードが全体で包み、中世日本の関東武士の残酷過ぎる倫理観日本史上類を見ない粛清に次ぐ粛清の権力闘争、親・兄弟・親戚・妻子で争い殺し合う残酷な結末といった今までの大河ドラマにもない新しい歴史ドラマが描かれた。


そのため三谷氏が脚本を手掛けた作品としては珍しく、シリアスで陰惨なエピソードの多い作風となっているのが特徴(もちろん三谷作品お馴染みのコミカルなシーンがないわけではない)。



しかも、場合によってはかなり惨い殺され方をするケースもある


また、中世日本ということ、など戦争自体が小競り合いが多いので、今までの大河ドラマのように戦闘が地味という批判は少なくなっている。



備考編集


第一話から伊東祐親の事を義時・義村が『じさま』(お爺さん)と呼んでいる。

過去作ではこのような内容はスルーされているが、遺伝子の事が解らなかった時代、財産の分散を防止するなどの意味合いで近しい親族間での婚姻は珍しくなく、結婚可能な相手が身近に集中する場合、同地域内で血縁が重複するのは常識であり、義時と八重の結婚の際に『二人は叔母と甥の関係だけど、こういうのは昔だとよくある事だった』と説明を入れた。(現代では一定親等内の結婚は法的に不可能である事に対する配慮)


また、作中の移動範囲は鎌倉及び坂東が中心である為、ゲストを含めた登場人物もほぼ血縁関係。

八重と義時との関係は叔母と甥(義時の母親の異母妹)。現代風で言えば、甥っ子が叔母さんの事を追いかけている構図である。なお、年齢的にはそれほど離れてなく、2人は幼馴染の間柄。

北条義時と三浦義村は母親同士が姉妹なので従兄弟


当時の家系図は男系で考えられていた為、女系での家系図は考慮されて居なかった(有名どころでは、孟子の子孫)。その為、義時と八重の関係にツッコミを入れる者はおらず、政子・義時・実衣の母方の従兄弟である曽我兄弟についても、「八重さんの甥っ子で、私達の遠い親戚」で済ませている。ちなみに義時達の母河津祐泰(曽我兄弟の父)八重は同じ父を持つきょうだい。


また、室町・戦国・江戸時代における武家の正室に比べ、鎌倉時代の武家の正室は発言力や政治的決定権を持っており、特に将軍正室である「御台所」である政子は頼朝亡き後に後継者を指名する権限を持つなど後の時代を題材にした大河ドラマに登場する女性たちとは異なる描写がなされているが、これは近年の歴史学における研究結果に則ったものである。(歴史探偵で政子について扱った放送回でも、当時の武家の正室の立ち位置について解説されている。)


登場人物編集

※印が付記された人物は「十三人の合議制」のメンバー。

北条家(詳細は子記事参照)編集

鎌倉殿らくがき義時


鎌倉殿の13人 北条時政


【鎌倉殿の13人】感想絵まとめ4


【鎌倉殿の13人】第5回『兄との約束』【大河ドラマ】


政子ォ!


鎌倉殿絵8


  • 北条政範(演:中川翼)

【似顔絵】堀田真由 ドラマ「鎌倉殿の13人」


金剛





【似顔絵】宮澤エマ ドラマ「鎌倉殿の13人」


  • 牧宗親(演:山崎一)

  • 鶴丸(平盛綱)(演:佐藤遙灯→きづき)


源氏編集

(詳細は子記事参照)

頼朝勢力編集

鎌倉殿の13人 放送前から現在までの3枚


万寿くん




  • 一幡(演:佐野仁音 → 白井悠人 → 相澤壮太)

騙されるものか


源実朝


  • 千世(演:加藤小夏)

千世



大姫


  • 三幡(演:太田結乃→東あさ美)

【鎌倉殿の13人】第24回『変わらぬ人』【大河ドラマ】


悪禅師全成 覚悟 〜鎌倉殿の13人〜



  • 阿野時元(演:松平将馬→森優作

  • 源義円(演:成河)

義円キャラ被り防止


まなざし


  • 千鶴丸(演:太田恵晴)



  • きく(演:八木莉可子)

義経一党及び奥州藤原氏編集

誰より頼もしくも可愛い我が弟



静御前



「藤原 秀衡」 田中 泯




  • 藤原頼衡(演:川並淳一)

  • 河田次郎(演:小林博)

非頼朝・反頼朝勢力編集


  • 源頼茂(演:井上ミョンジュ)



巴御前、去る!




  • 海野幸氏(演:加部亜門)





坂東武士(源氏方)編集

比企能員

比企家棟梁。比企尼の甥であり養子。

性格は温厚で、押しの強い比企尼と妻に振り回される不憫な人…と思いきや頼朝側に付きつつも、彼に不満を持った坂東武者側にもつけるような準備もしたり、娘と姪達を源氏一門に送り込んで関係の強化や派閥作りに励むなど、養母や妻にも劣らぬしたたかな人物。

平家を恐れて頼朝の挙兵への協力を渋っていたものの、頼朝側が有利になった途端にあっさり転向。比企尼が頼朝に資金援助していた縁を足がかりとして取り入り、様々な政治工作や接待工作で比企家を北条家に並ぶ一大派閥へと育て上げた。

表向きはぼんやりとした人当たりのいいような態度をとっている優男であるが、頼朝への憎悪を激らせる曽我兄弟を表向きは「お前たち若造に何ができるというんだ!」と一喝しながらも、時政失脚の策に使えると踏んで襲撃計画を敢えて黙って放置しておくなど、北条家を追い落とすために妻の道と共にあの手この手で暗躍する策士。だが、目先の利害に踊らされがちで、微妙に詰めが甘いところも。

幕府内の主導権で北条家とは対立関係にある一方、小四郎(義時)の手腕と才覚については早い段階から高く評価しており、本当に困った時は彼に相談事を持ちかけたりすることも少なくなかった。この頃は小四郎も嫌な顔一つせず相談に乗っている。

当初は保身的で強い方・有利な方に味方する日和見主義者であったが、頼朝の死後は本格的に北条家潰しに動き出し、頼家や一幡を利用して自らが武士の頂点に立つ野望に取り憑かれた権力欲の怪物へと化していく。

曽我兄弟の頼朝襲撃事件の際には範頼を鎌倉殿に据えるため詰め寄るが、頼朝が生還すると一転して無関係を装った(とはいえ、無関係を装ったのは本意ではなく道の入れ知恵であったため、能員自身はかなり後ろめたさを覚えていたようで、道からの願いで見捨てることになった際には「蒲殿すまぬ」と呟いている)。

頼家の二代鎌倉殿就任では、という立場から優遇されると思っていたら家柄にとらわれない実力主義を打ち出されたことに不満を抱き、そのことから梶原景時+文官4名からなる五人衆に自分も加えるように義時に要求する。また、北条に対抗するため八田知家・安達盛長にも参加するよう要請したほか、北条と姻戚関係を持つ畠山重忠にも釘を刺しておくなど暗躍する。

阿野全成による頼家への呪詛騒動では、この背後にいるのが時政達であることを察し、北条家潰しのために全成を激しく弾劾した。だが、頼家をもはやコントロールできないと見るや、今度は全成に頼家を呪詛にかけるよう教唆、それが頼家に露見すると自分の関与が漏れる前に即座に全成を切り捨てた。この一件が北条氏の怒りの炎を点火。さらに全成の子・頼全も全成の謀反に加担したとして、源仲章らに指示して誅殺させたことで義時とも完全に決裂する。

頼家の昏倒後、鎌倉殿後継者に一幡を据えることを頑なに主張し、義時が提示した「一幡と千幡で守護地頭の補任権を二分割する」という最後の妥協案(そして最後通牒)を完全却下。しかし、これによって北条に「比企は政権内部に不和を齎す謀反人である」という攻撃の大義名分を与えてしまい、さらに時政の最後の説得も蹴って決別したことで比企の粛清が最終確定する。

決別した後、時政からの和議の申込みに「丸腰の人間を騙し討ちするような恥知らずな真似はしまい」と考えて単身時政の元へ向かうが、武装した北条派の武士たちに囲まれてしまう。

自らの味方と信じていた義村も北条と通じていた事を知らされ、進退窮まった事を悟り、能員はいつもの余裕そうな態度とは打って変わって激しい怒りを見せ、自分を卑怯な手段で謀った北条を「北条は策を選ばぬだけの事。そのおぞましい悪名は永劫消えまいぞ」と罵ったが、時政は「お前さんは坂東の生まれじゃねえから知らねえかもわからねえが、坂東武者ってのは勝つためには何でもするんだ。名前に傷がつくぐれえ屁でもねえさ」と一蹴され、直後、謀反の罪によって背中を斬られてしまう。保険として用意していた鎧のおかげで致命傷を避け、「斬りおった!斬りおった!」と情けない声で叫びながら外へ飛び出し逃げようとするが呆気なく捕らえられ、時政から追い打ちをかけるように、「比企は(初登場の時から)全ての事に保険を掛けて二の足を踏んでしまう癖があり、大事な時に思い切った決断のできる北条とはそこで差がついてしまった」旨の発言で嘲られるが、能員は多少自棄気味になりながらも不遜な態度を崩す事はなく、頼朝の旗揚げの際に、二の足を踏んで出陣しなかったことに対し「お前たちのような北条の小者どもとは、守るものが違ったのだ」と負け惜しみを言うが、完全にキレた時政に「ガタガタほざくな!」と横っ面を張られ、最後は仁田忠常の手で首を刎ねられた。

鎌倉殿紀行によると生き残った末子の能本はのち僧として日蓮の弟子となり文永・弘安の役をも経験し9代執権・北条貞時の時代まで生きた。

脚本家の三谷幸喜から話を聞いた演者の佐藤二朗曰く、「人のいい仮面を被ったマクベス的な人物とのこと。

佐藤は『平清盛』で藤原家成を演じている。


比企能員の義母。頼朝に乳母として仕え、時には母代わりに愛情をもって彼を叱ることのできる数少ない人物。配流されて生活基盤の無かった頼朝に、成人後も含めて20年に渡って仕送りを続けていた(平家全盛期の当時、平家方にバレれば謀反を疑われかねない非常に危険な行為)こともあり、さすがの頼朝も彼女だけには頭が上がらない。

頼朝が範頼の処刑を決めた際は「あの頃の優しい佐殿はどこへ行ってしまわれた」と嘆き、昔頼朝にあげた小さな観音像の行方を聞いたところ頼朝に「武家の棟梁として侮られてはならぬと思い、捨てました」と返され、今にも泣きそうな顔で頼朝に平手打ちする(実際はその小さな観音像は第26回で、頼朝の臨終出家の際に、頼朝が髻の中に隠していたことがわかった)。しかし、この一件で頼朝への愛情が消えたわけではなく、第25回では落馬する直前の頼朝が、頼家に子供が生まれたことを報告するために比企館を訪れたものの、高齢による体質の変化から、座りながら寝てしまっていたため、頼朝が訪ねに来たことに気づかず、能員からそのことを知らされ「お話したかったのに」と残念そうな様子を見せた。

皮肉にも、第24回での対話が頼朝と彼女の最後のものとなってしまったのだった。

温厚で達観した人物であったが、北条による比企一族襲撃の時には怒りを露わにした。尚、その後に、せつと一幡を逃がそうとした道が「(館の)裏手に御祖母様が待っている」と言っていたが、この時生死は不明で、公式サイトでも相関図では「故人」マークがつけられていなかったため、ネット上でさまざまな推測を呼んだ。

32話の終盤で、庭で遊んでいる善哉の前にみすぼらしい敝衣蓬髪の姿で現れ、北条家討伐の未来を託しているが、生き残っているのか、怨霊であるのかは不明。

史実では曾孫にあたる範頼の次男・範圓(吉見氏の祖)と三男・源昭の命乞いを成功させたが後の消息は不明。

演者の草笛は真田丸で大泉が演じた真田信之の祖母であるとりを演じており、どこか掴めないながらも周囲に流されない人物という共通点がある。ただし大泉が演じる役との関係は対照的。第二十四回ではとりの不満げな時に使う「あぁ?」という返答を再現する場面があった。また『草燃える』では丹後局を、1955年公開の映画『修善寺物語』では若狭局を演じている。


能員の妻、頼朝の嫡男・万寿(後の源頼家)の乳母。里や比奈の叔母。頼朝挙兵当時は頼朝に肩入れする比企尼とは反対に家の安寧を願い頼朝への協力は控えるよう主張していた。鎌倉の全権を握ろうと頼朝の嫡男・万寿の養育に力を入れ、里や比奈たちを使い範頼・義経・義時と縁戚関係構築を狙うなどある意味夫以上に強かな人物。

比企の乱の際には、比企館を北条勢に取り囲まれた事を知らされ、能員の死や自分達が北条にしてやられた事を悟り、嘆きながらも娘のせつと孫の一幡を逃がすべく、自ら身を挺して迫り来る敵兵を前に怒気迫る表情で足止めに打って出た。(直接の描写はないが)その後、比企一族を根絶やしにした旨の報告が上がった事から、彼女も殺害されたものと思われる。公式サイトでも、故人の扱いをされている。


  • 比企宗朝(演:Kaito

能員の弟。通称は三郎。頼家の側近の一人。

直接の描写はないが、比企の乱の際に殺害されている。


宗朝の弟。通称は弥四郎。兄同様、頼家の側近の一人。阿野全成の私室を頼家の命で捜索し更には実衣をも捕らえようとした。なお妻は足立遠元の妹であることが遠元を演じる大野がトークショーで明かした。比企館が北条家に攻め込まれた際、必死に戦うも敗れた。公式サイトでも、故人の扱いをされている。


  • 比企朝宗

比奈の父。比企尼の実子で能員の義兄(道の兄)とされるが謎が多い。史実では源義仲の滅亡後、北陸道勧農使(守護の前身)を務めた。比奈も頼朝に出仕する前は北陸道に居住していたものと思われる。建久5年(1194年)の『吾妻鏡』に載った記事を最後に歴史上から姿を消しており頼朝より先んじて亡くなった可能性が高い。


【鎌倉殿の13人】第28回『名刀の主』【大河ドラマ】

大庭景親の一族。通称は平三。景親に従った石橋山の戦いで洞窟内に隠れていた頼朝を見逃した(本人曰く「頼朝の強運を目の当たりにして、こいつ手にかけたら神罰食うと思ったから」(超要約)らしい)かと思えば、広常を平家方にスカウトするなど不可解な行動を起こしている。広常以下坂東武者を傘下に入れた頼朝の軍勢が鎌倉に迫るなか、無茶な戦を仕掛けようとする景親を見限り、自分は家人ではない、と言い放ち袂を分つ。頼朝陣営に加わって以降は間者のような働きを見せ、義経の謀や鎌倉殿周辺の危機などを見破ったりしている。盆栽や和歌を嗜み、報告書の作成にも優れた手腕を見せる教養人であり、粗暴な人物は好まない。

平家物語」等後世の作品では何かと義経を敵視する憎まれ役として描かれることが多い中、本作では一流の戦略・戦術をもつ軍奉行として平家追討に参加、突飛な義経の行動を諌めることはあれど、義経の策の合理性を理解し、自分には思いつかない奇策の数々に密かに嫉妬さえするという非常に人間臭い描写がなされている。また、義経の鬼神のような活躍には「八幡菩薩の化身だ」と最大級の賞賛を送っていた。義経も真正面から意見してくれる景時のことを信頼しており、軍議の場では対立することはあれど2人きりの時には「私のことを一番わかってくれるのはお主だ」と景時にこぼすほどだった。しかし、義経のことを一番理解しているが故に、義経と頼朝という天に選ばれた者2人は並び立てないということをも理解してしまい、義経への猜疑心に傾きつつある頼朝に対して義経のことを弁護はしなかった。

義経の死後は彼の遺した鎌倉攻めの構想をもとに鎌倉防衛網をさらに盤石にするよう努めているが、御家人たちからは義経を弁護しなかったことで後ろ指を刺されがち。景時自身も「兵法に優れた義経に対し、兵法を知らない景時」として自分が後世に残されることを予感している。また、巻狩りで思うように獲物が仕留められない万寿に対し「戦に作法などござらん。某は九郎義経殿からそれを学び申した」と語り、毒餌を用いることを勧めるなど今までにない一面を見せた。

また、頼朝には配下に刺客にできる人間がいることを知られているようで、謀略だけでなく(頼朝の利益にならない人物の)殺害に関することも任されているもよう。現に、範頼暗殺を決心した頼朝は景時を呼び出している。

頼朝存命時から頼家に接近しており、彼からも絶大な信頼を受けていたが、十三人の評定衆の一件で急激に関係が冷え込み、御家人の一人として彼から敵視されることになる。また、史実同様に和田義盛からは侍所別当の役職を返さなかったことから恨まれている。そして安達親子の一件で政子を頼家の前に呼び叱責させたことで逆恨みを受ける。

結城朝光の失言をもとに幕府の内部統制のために彼の粛清を訴え出るが、それを防ぐために義時たちは景時弾劾の訴状を出すことを考案する。しかし、本来4~5人程度の連名で朝光粛清の訴状と相殺するだけの計画の予定が、特に景時を嫌っている義盛に三浦義村を介して話が渡り、彼らが多くの反梶原派の御家人達を扇動したことで千葉・畠山ら67人もの連名が集まってしまい、頼家からは先の安達親子の一件での悪感情もあり、「解任のうえ謹慎」という事実上の失脚を言い渡される。

その後、復帰が叶うよう義時が政治工作を始めるが、内輪揉めの風聞を聞いた後鳥羽上皇から朝廷に支えることを誘われ、鎌倉にもはや自分の居場所がないと感じていた景時はこれを密かに受諾。しかしそれすらも義時を通じて頼家にリークされたことで、完全に頼家の信頼を失う。奥州への流罪を言い渡されるも、比企の館にいる一幡を人質に鎌倉を離れようとする。結局、一幡が泣き出したことで連れ出しには失敗し、駆けつけた義時に「刀は斬り手により名刀にも鈍にもなる。某は鈍で終わりたくなかった」と胸中を吐露、暗に頼家を見限ると、「お前になら使いこなせる」と善児を義時に譲渡した。

その後、「配流先に向かう」として出立したが、義時には「梶原殿は西(都)に向かわれた」「武士らしく戦で死ぬおつもりだ」と真意を気づき、はなむけとして兵を差し向けられ長男・景季たちと共に戦死。その首は鎌倉に送られた。

演者の獅童は歌舞伎でも景時を演じており、NHKEテレでは清盛・頼朝・義経・政子も演じたことがある


景時の嫡男。通称は源太。『義経』では小栗旬が演じた。最後は描かれていなかったが父や弟たちと一緒に戦死し、首を鎌倉に送られた描写がある。

残念ながら佐々木高綱との宇治川の先陣争いや生田の森での奮戦も描かれなかった。


最後の従者としての藤九郎

通称は藤九郎。チョビ髭が特徴。比企尼の娘婿の1人。後述の足立遠元の叔父(ただし遠元が年上)。頼朝の伊豆流人時代からの側近。大変温厚で穏やかな人柄であり、頼朝に心からの忠義を尽くし、彼からの信頼も厚い。

第十一回では八重に失恋して嘆き悲しみ、大泣きした義時を慰める心優しい一面を見せた。また頼朝から御家人たちの心が離れていることを憂慮しており、義高の一件ではそれとなく義高逃亡を手助けしていた。また、第23話では比奈のもとに夜這いに行こうとした頼朝を、断固とした態度で「なりませぬ!」と一喝し、一度は断念させた(結局頼朝はこっそり比奈のもとに出向いたが)。

相模川での供養から鎌倉に戻る道すがら、頼朝の乗馬の轡をとったことで懐かしい日々を思い出し、「いざ語ろうとすると思い出せないものです」と穏やかに話していたが、突如頼朝の体調が急変し落馬。彼に駆け寄り、思わず「佐殿ー!!」とかつての呼び名で呼んだところで25回は幕を閉じた。自分が付き添っていながら頼朝を守れなかったことを悔やんで塞ぎ込んでいたところ、義時の頼みで荼毘に臥された頼朝の遺骨を運ぶ役割を任じられる。その後、出家をして頼朝の霊を慰めることに余生を費やすことを決心するが、能員から「難しいことは考えんでもよろしいから、あぐらをかいて餅でも食ってなさい」と説得され、強引に評定衆に加わることを勧められる。(尚、この後会議に参加した盛長は案の定堂々と寝ており、しかも起こされた時には白々しく「難しい所ですなぁ」と発言している)

頼家が嫡男・景盛の妻女を奪おうとすることに激怒、頼朝でさえしなかったことを親子で諫めたため首をはねられそうになるが、景時に止められただけでなく母・政子、叔父・義時に叱責されたことによりかろうじて死罪を免れる。

梶原景時失脚後、病に斃れるが、主君・頼朝の側近くに葬ってほしいと願い、聞き入れられる。その後、病死したものと思われる。


通称は弥九郎。盛長の嫡男。丸顔が特徴。鶴丸に対し暴言を吐いたことで金剛と喧嘩になり、頬を殴られていた。義時親子がお詫びに持ってきたお菓子(?)の箱を開けようとして、父親に手をぺちっと叩かれた。北条時頼の生母・松下禅尼の父で時頼・時宗父子の側近として力を奮った安達泰盛の祖父。頼朝の落胤説があるが、のち平頼綱に悪用され霜月騒動で安達氏が滅びる一因になった。

妻を頼家に奪われそうになったことを父・盛長と涙ながらに諌止したため、親子ともども死罪になるところを、頼家の補佐役の景時、頼家の母・政子、頼家の叔父・義時に止められたことにより一命をとりとめる。史実でも頼家とかなり折り合いが悪く、頼家は修善寺に幽閉された後でも景盛の処刑を政子に訴えたほど憎んでいたとされる。劇中でも第33話にてこの一件が取り上げられ、身柄を修善寺に引き渡すよう要求されている。


武蔵の豪族。盛長の甥。文武の才に長け、頼朝の下で文官の役割も担う。娘が畠山重忠や北条時房に嫁いでおり畠山重秀(重保の庶兄)や佐介時盛(時房の長男)を生んでいるが母子二組とも登場しなかった。一応、十三人の評定衆に加えられたが、武蔵に所領を持ってる割には比企からの圧力は全くなかった模様。かといって比企方というわけではなく、本人も不思議がっていた(つまり、誰からも期待されていない)。義時はその場で「一徹なところを知ってたからではないか」と執りなし、遠元本人も「よく言われます」と簡単に乗せられていた。

比企の乱にはかかわらなかったが、その報告を受けている政子や義時らに頼家回復の報を届けた。その後も幕府に仕え続けるが、時政に所領の武蔵国を譲るよう畠山親子とともに強請られ、この時ばかりは温厚な遠元も政子に「執権殿は恐ろしい!」と悲痛な面持ちで訴えている。その意を汲んだ政子は、遠元の両目がピクピクと痙攣している(恐らくは精神的なもの)ことに気がつき、所領に戻ることを薦めた。遠元役の大野泰広氏は、これが最後の出演であることを示唆するツイートを残しており、公式サイトの相関図からも第37回を最後に姿を消している。その後、10月9日放映の特番では「in Memoriam」という物語から退場していった者たちを偲ぶスペシャル動画の中に遠元の姿もあった

史実においては、劇中の数年後にあたる1207年の記録を最後に姿を消しているため、所領に戻ったうえでそこで没したと考えられる。


通称は次郎。義明の次男。時政と同じく伊東祐親の娘婿で盟友。和田義盛は甥。父の死後、三浦介を称し三浦党の頭領になる。

盟友・時政や息子の義村とちがって鎌倉を掌握しようとの野心はない。頼朝が意識不明の重体になったときには時政と巻き添えにした時政の息子・時連と水垢離を行い、あまりの寒さに5分ももたずに中止、「年寄りの冷や水」を体現するハメになった。

時政の要請により評定衆に加わるが、梶原景時失脚後、義村や時政に看取られて病死する。その時、ふざけて時政に「お前も一緒に(あの世に)来い」と時政の襟首をつかんで揺さぶったが、突き飛ばされ、そのまま事切れた。


通称は三浦大介。義澄の父。義村や和田義盛の祖父。頼朝が石橋山で敗北した際、末弟義実、嫡子義澄、嫡孫義村たちを海路房総へ逃したが自身は衣笠城にて外孫の畠山重忠に討たれた。上総広常からは「三浦のじいさん」と言われていた。『平清盛』では菅田俊が壮年期の義明を演じ源義平外孫説を採用している。


無題

通称は平六。駿河守退任後は駿河前司とも呼ばれる。義澄の嫡子。義時とは従兄弟同士であり盟友でもある。しかし考え方は必ずしも一致せず、また情にとらわれることなく損得を冷静に判断するため時として北条を裏切ってしまう行動に出ることもある。その時は若干の後ろめたさを覚え「悪いな小四郎」と謝罪している。だがクールで理知的な一方、義時曰く「女(おなご)とみるとちょっかいをかけずにいられない」性格なため以下のように散々やらかしている。おい。

  • 義時と八重を取り合った際にはあまりにもあからさまに迫りすぎて堂々とフラれ、しかもやけ食いした古い草餅で食中毒を起こして戦に不参加になった。
  • 亀の前を匿った際にもちょっかいをかけ「頼朝の女を俺のものにし、俺は頼朝を超える!」とキメ顔で断言し、「理解できん!」と義時に呆れられた。
  • 義仲の下へ使者として派遣された際には巴御前にちょっかいかけて顰蹙を買って斬り殺されかけた(義時の取りなしでなんとかなった)。
  • 静御前が鎌倉に連行された際には、静御前をこの目で見たいという野次馬根性から雅楽隊に立候補。おい。なお義村当人は音曲の心得は全くなく、「テキトーに鳴らしておけばいいんだろ?」と抜かした結果、音曲に長けた重忠に「音曲を侮るな!」とマジギレされてしまった。そりゃそうだ。
  • 鎌倉殿に就任した実朝に「処世の術」を教えるはずが、なぜか後腐れない女子との別れ方をレクチャーしている。しかも「女子の前では誠意を尽くす」というようなことを言って深く頭を下げ、その後ろにはでかでかと「天命」の二文字が書かれていた。おい。
  • 侍女に扮してりくを刺殺しようとしたトウ(恐らく義時の命令)の正体を見破り、よりにもよって格闘していた最中に「俺の女になれ」とプロポーズしていた(トウは受け入れるふりをして当て身を喰らわして逃走した)。
  • (女関係ではないが、)唐船進水の際、奮起した八田知家が上半身を脱ぎ捨てたことに触発されたのか、遠い観覧席にいて自分は船を引くつもりもないのに上半身を脱いでムッキムキの肉体を披露。これには視聴者たちからも「なんで脱いだし」のツッコミの嵐だった...いやホントなぜ脱いだし。
    • ※後日、演者の山本へのインタビューで「平六が脱いだのは台本通り」「逆に知家がアドリブで脱いだ」ことが判明。山本は「脚本通り演じたのに『なぜ脱いだ』とか言われるのは心外」と冗談めかして言っていた。つまり脚本書いたこの方も確信犯だった。マジか。

10話では伊東祐清から「妹の八重が頼朝様のもとで働いている」と報告を受けたが、それが父の祐親が観ている前でのことで、『二度と佐殿には会わ(せ)ない』と祐親を説き伏せた義時と八重の立場が悪くなることを考えたため「あなた、何でもしゃべりゃいいってもんじゃないですよ」と祐清をたしなめている。

24話では金剛に自らの娘である初を嫁がせようとする反面、「もう裏切ったり裏切られたりするのはうんざりだ」として隠居を言い出す。だが、義時から「もう少し付き合え」と慰留させることとなる。

26話では頼朝の死が近いことを知り、今後の鎌倉幕府の在り方について義時と話し合う。その際、頼家の次男・善哉の乳母父になってほしいと義時から要請され、「頼朝の命としてほしい」という条件の下承諾した。

27話では父・義澄とともに評定衆に加わることを時政から勧められるが「三浦が2人いるとまずい」ことを理由に断る。一方で、結城朝光粛清未遂の際には粛清させないために景時を止める訴状の署名を集めることを義時に任されるが、そもそもことの発端の朝光が実衣に話したこと自体義村の策略だったことが判明。独自に暗躍し始めたことが描かれた。

比企の乱では比企に付くと見せかけて北条側に付き、北条の比企討伐に協力する。

「三浦を舐めてもらっちゃ困るな。こっちは二代の刎頸の交わりよ」

32話では義盛から頼家による時政追討の指示を重忠と共に聞き、時政へ密告した。

33話では頼家に「北条を滅ぼす」と言われ「おやりなさい」と返すが、自身が協力を求められた際には「お断りいたします」と言っている。

36話では時政の命により畠山重保捕縛に動く。義時には「板挟みになるから」と黙っていた。その後、二俣川の戦いにも参戦、義時と重忠の一騎打ちを見守った。そして重保の件の意趣返しとして稲毛重成の処刑を命じられ、このとき始めて義時に「下がれ」と言われた。(なおこのときの義村の表情は笑っていた。)

また、時政から実朝出家の策への協力を要請された際には「朝雅殿のあとは善哉様に」という時政の言葉を受け「悪くない」と条件を受け入れ...たように見せかけて「朝雅が鎌倉殿になったら善哉様に跡目はない」と読んで時政を裏切り、義時に密告。義時から「よくまた裏切ってくれた」と礼を言われ、時政・りく夫妻を泳がせるため、ぎりぎりまで時政邸にとどまる。

時政にも義村が義時に内通していることは気づかれており、時政邸に仕える家人や下女とともに投降、実朝の解放とともに自害しようとした時政が生け捕られ、伊豆に追放されると、実権を握った義時に御家人の不満を並べ立てるが、「この事態を収められる北条殿のみ」と正反対のことを述べており、これすらも義時と申し合わせた芝居のようである。

一方で、「各地の守護を2年おきに交代させることで御家人の力を削ぐ」という義時の策には、「俺も相模の守護なんだぜ?」と釘を刺すも「だからこそ真っ先に賛成してほしい」と言われ、表面上は唯々諾々とこれに応じたものの、義時が三浦館を去ったあと、扇を床に叩きつけて明かな苛立ちを見せるなど不穏な空気を醸した。そりゃ相模は三浦一族代々の土地なので、2年ごとに他所に移れと言われたら嫌がるのが普通かもしれないが。この頃から義時の姿勢に含むところを表出させ始めるようになる。

和田合戦では最初は義盛に味方するものち義時に寝返り、義盛の謀殺に協力した。とはいえ、これは義村本人の意志ではなく、義盛が義村の立場を気遣って義時側につくよう勧めたのであった。

一応、基本的には北条寄りな姿勢を見せてきた義村であるが、第43回にて公暁が鎌倉殿になれる可能性がなくなったことを知ってからはさらに義時の姿勢に含むところを加速させた。

このことから頼家の死の真相を知らなかった公暁に対し、「義時は無二の友。売るような真似はできない」と前置きしつつ「北条によってあなたの父親とその側室の一族、本来鎌倉殿になれるはずだったあなたの兄まで殺された」と、何も聞かれていないのに煽るように告げ、公暁に対して暗に復讐を唆している。

もっとも、その公暁の立てた企ては早々に北条に察知されており、これを悟った義村はなおも実朝と義時の暗殺を強行しようとする公暁に見切りを付け、実朝暗殺後に追われる身となった彼を自邸に迎え入れた後に殺害、その首を義時らに差し出すことで「忠臣」としての立場を強調し、三浦の家を守ってみせた。この一連の流れの中で、幼馴染である義時には「(平六は)信用ならないという一点では信用できる(超要約)」と評されており、「心のうちと言葉が相反するときは襟を触る」という癖も見抜かれているのだが・・・皮肉なことにその「癖」により、義時に自分を殺そうとしていたのではないかという疑念を抱かせることとなる。

以降も第46回の阿野時元謀反の件では、実衣からその計画を打ち明けられ謀反を起こす方策を教授する裏で義時に密告し、引き続き微妙な協調関係を維持していた。一方では大番役として上京していた弟・胤義経由で後鳥羽院側とも気脈を通じ、いざという時にはこれと連携する算段も付けていた。しかしいざ後鳥羽院から義時追討の院宣が下された際、自分のみに院宣が下されたわけではなく、しかも自分が真っ先に声をかけられたわけではないことを知るや、立腹と同時にこのまま朝廷側についても三浦が重んじられる訳でないと判断。朝廷側をあっさり見限って真っ先に、義時・政子に院宣の実物を提出・密告した。とはいえ鎌倉側と朝廷側との武力衝突が決定的になっても、なお虎視眈々と寝返る機会を度々窺ってもおり、乱後に病床にいる義時と酒を酌み交わした際には、「昔から俺はお前より勝っていた。知力、武力、見栄え、全てにおいてだ。それが今じゃお前は天下の執権よ、俺は一介の御家人にすぎん。世の中、不公平だよなあ!俺はいつかお前を超えてやる!」と、これまで胸中に燻っていた思いをぶちまけた。しかしここで義時に一泡吹かされたのを経て、最終的には泰時を支えるように彼から頼まれ、義村もまた「これから先も北条は三浦が支える」と承諾する。

この後、義村はその言の通り御家人の重鎮として泰時の政権を支えながらも、一方で義時没後の家督を巡る伊賀氏の変では政村側として関与が疑われたこともある。もっとも、この一件はあくまで「北条氏の内輪もめ」であるので、少なくとも形の上では前述の言を反故にした訳でないことにも留意されたい(詳細は当該記事を参照)。

演者は当時45歳だが、初登場時の史実での義村は当時8歳であった。また山本は『平清盛』では九条兼実の叔父・藤原頼長を演じている。


義村の娘。史実の矢部禅尼。詳細は北条家参照。


  • 三浦泰村

義村の次男。本編未登場。享年は64歳説と44歳説があり矢部禅尼の兄または弟で光村の兄。最終回における鎌倉殿紀行で紹介された三浦一族のやぐら(横穴式の墳墓)に非常に関連があり、1247年に発生した宝治合戦に敗れ頼朝の法華堂で自刃した泰村や光村たちを祀ったものである。『北条時宗』では津嘉山正種が演じた。


  • 駒若丸(演:込江大牙)

義村の四男。初や泰村の弟。のちの三浦光村。公暁に稚児として仕え父との連絡役を務め、実朝暗殺の際も公暁のいる八幡宮に蓑を運び入れる形で手引きしている。史実では公暁の死から28年後、宝治合戦に敗れ凄絶な自刃をする。

『草燃える』含め他作品では公暁とは衆道の関係だった事が描写されていたが、本作品ではその描写はなく、単なる主君と従者の関係であると思われる。

なお『草燃える』では京本政樹、『北条時宗』では遠藤憲一が演じている。


通称は九郎。義澄の末子。義村の弟。史実では姪の矢部禅尼よりわずか2歳上。

第36話では、畠山勢との合戦を前に何度も血気はやるところを義村にいさめられている。兄と共に畠山重保や稲毛重成の誅殺に関与する。一方で和田合戦直前の言動や公暁を保護した時の行動からも分かるように生き残りのためとはいえ策謀を弄する兄の姿勢をあまり好ましくは思っていないようでもある。実朝暗殺事件後は上洛し大番役を務め、任期終了後も兄の命で京に留まっていた。のち藤原秀康の説得に応じ朝廷方に付き、承久の乱では一方の大将として鎌倉勢と戦うが大敗し、秀康共々後鳥羽院に見捨てられる。史実ではのち義村にも見捨てられ自害している。実は義村との東寺での再会シーンや最期などは撮られていたが尺の都合上カットされた模様。



カワイイ坂東武者

通称は小太郎。史実では三浦義明の長男・杉本義宗の子。義澄の甥で義村や畠山重忠の従兄。髭もじゃの暑苦しい顔に常に袖まくりというワイルドな格好をしている。その見た目に違わぬ熱血漢で、言葉よりも行動が先に出るという直情径行な振る舞いが目立つ。そのせいで周囲を振り回したり、騙されたりするなど作中でもコミカルな役回りが多い。厳つい容貌に似合わず素手でヒヨドリを捕まえてきてはしゃいだり、顔が怖いと泣きじゃくる子供(万寿、後の頼家)を必死にあやしたり、手柄を説明するために思わず吹き出してしまうほどのゆるゆるなイラストを描いたりとやっぱりコミカル。子孫に佐久間信盛盛政らがいる。

木曽義仲敗死後、落ち延びようとする巴御前と遭遇、ひと目見て気に入ったため配下に生け捕るように命じる。敗兵であるからといって巴に対して粗野な扱いをしなかったため、巴もどっかの平六さんのときとは違っておとなしい態度であった。第24、25話では巴御前と結婚しており、仲睦まじい様子を見せる。

26話では落馬が原因で死去した頼朝のことを「情けない」と酷評、「あの方が亡くなったことを心の底から嘆くものなど身内のものしかおるまい」と畠山重忠と語り、義盛自身、決して頼朝に心酔していなかったことが描写されている。

史実同様、侍所別当を返さない一件で梶原景時とは仲が悪い。また比企に対抗する数合わせとして時政から評定衆就任を要請され、「オレは難しいことは苦手なんだよ」と一度は難渋を示すも「和田殿の勢いが欲しいのです」の一言を受け快諾するが、阿野全成の呪詛に連座して欠席する時政とちがい、「オレは難しいことは苦手だよ」の前言通りサボりつづける不良議員っぷりを見せる。

比企の乱の際には、平家討伐のために一緒に戦ってきた仲間を討つということになるため、最初はなかなか気がすすまないようであったが、義時に「この世は力のある者が生き残るのです」と諭され協力した。

32話では比企の乱の仔細を(ある程度ごまかしつつ)頼家に伝え、時政追討の命令を下されるも、指示に従わずに、義村・重忠経由で時政へ報告する。ちなみに当人は何故、自分と忠常に北条追討の命が下されたのか疑問に思っていたが、義村はその理由を「二人とも戦に強く、忠義者で、バカ…(義盛「ば…?」)…場数を踏んでいる」からと納得していた。

33話では頼家暗殺の苦悩を紛らわすため義盛邸を訪れていた義時を当初は「なんでオレ(の館)なの?」と嬉しそうな様子を見せつつも少しいぶかるが、「和田殿のところにいると落ち着くのです」という言葉を聞いて満面の笑顔で義時を暖かく迎え、一緒に酒を酌み交わす。このとき、たまたま運慶に頼んで、運慶が京に戻る前に巴が峠道で拾った仏像のすり減っている顔を直してもらい(運慶本人曰く「普通はこういうことするわけじゃないからね」)、ワクワクしながら「ひょっとして由緒があったりしねえか?」と聞いたものの「由緒はない」と返されて残念がり、巴に「何かうまいもんを作れ」と言うが「手伝って!」と返され、そして渋々ながらも手伝っていた

34話では自身の家に実朝、義時、知家らを招待し、鹿鍋を御馳走していた。また、この時彼は自身の捕った鹿に「鹿之助」と名付けていた。なお、この一件により実朝からは「そなた(義盛)の家にいると落ち着くな」と評され、執務を抜け出してお忍びで訪問を受けることもあった。その際には、「面白いところに連れて行きましょう!」と誘い、馴染みの歩き巫女の下に連れて行き、遠回しながら実朝の悩みを軽くする助けとなった

これらのことから、「十三人衆随一の癒しキャラ」「今年は和田合戦なしにしよう...」と視聴者から懇願されているが、実朝が屋敷を訪問した際に「最近息子たちが屋敷に寄り付かなくなってまして」と無慈悲な伏線が張られてしまった。

36話では畠山重忠に対し、犬猿の仲であったはずが、いつのまにか情が移っていたことを明かし、その息子、重保捕縛にも乗り気ではなく、最後まで彼を生かそうとしていた。重忠討伐に出陣し、重忠説得に志願して向かうも、意思は固く翻意ならず、二人は正々堂々戦うことを誓った・・・・・・のだが、戦いになると義盛は不意を突いて横から急襲を仕掛けた・・・・・・のだが、重忠には全て読まれていた(重忠曰く、「あいつはなんとかの一つ覚えで横から奇襲を仕掛けてくる」)。

37話では、自邸を訪れた実朝に、かつて上総広常が参戦時の振舞いを頼朝から叱責された逸話を披露する。ただし、さも自分に起きたかの如く語り上げており、同席していた八田知家に「違う」だの巴御前に「全部ウソじゃないの」だのとツッコまれた。「(ホントのことを実朝様に)言っちまうなよぉ」と巴の顔を軽くつねるが、巴に「おなごの顔をつねるとは何事か!」と反撃を食らって背負い投げされた。本人は武衛という呼称を気に入っていたらしく、「オレに武衛と呼ばせてください」と実朝にねだっていた。なお、その後武衛の本来の意味を実朝に教えられたうえで、「去年までは『武衛』だったのだが、今はもう昇進して『羽林』だ」と明かされたことで、彼のことを「ウリン」と呼ぶようになるなど相変わらず素直なところを見せた。なお、時政から強いられた起請文を実朝が拒否しているのを見て「かぁーいちゃいなさぁーい!!」「そんなもん後から破いちまえばいいんです!」とぶっちゃけ、起請文を破った際に下される仏罰を恐れる実朝に「そんな死に方したやつ見たことないです!」と断言するなど、坂東武者らしいリアリストな一面も見せた。

時政が追放された後は「変わっちまったな、お前も、鎌倉も」と義時の専制に反発し、義時と広元も「数少なくなった坂東武者」「御家人にも人気がある」、「最も頼りになる者が、最も恐ろしい」と見做し、次のターゲットとして見据えらた。

義時と義盛の対立に心を痛めた実朝の仲介により一時は和解するが、御所からの帰りが遅かったため義秀たちが蜂起、自身も北条氏の排除を決意する。

当初、戦いは一進一退の攻防に終始するが、頼みの援軍が来ずに追い込まれ、実朝に対する忠誠心を利用した義時の策謀により全身に矢を浴び、実朝との対話が義時の策謀であったことを察知し、鬼の形相で「小四郎ぉおおお!」と叫んで息絶えた

脚本を担当する三谷は実朝と義盛をシェイクスピアの『ヘンリー4世』に登場するハル王子(後のヘンリー5世)と彼に仕える狡猾でありながら好色で機知にあふれた性格の老騎士・フォルスタッフをイメージしているとのことである。


  • 朝比奈義秀(演:栄信

義盛の三男。通称は三郎。義盛と巴の子との説もある。義盛の息子のなかで最も武勇に秀でる。

父・義盛と一族がことごとく討ち取られたのち、辛うじて落ち延び、巴に父と一族が幕府軍の罠に落ちたことを知らせて事切れる。

が、さらに落ち延びて天寿を全うしたとの説もある。伝承や諸説あるものの今川義元氏真酒井忠次に仕えた朝比奈泰朝の先祖とも言われている。


  • 和田義直(演:内藤正記)/和田義重(演:林雄大)

義直は義盛の四男。通称は四郎。義重は義盛の五男。ともに泉親衡の乱に関与し不問に付されるが、直後に起きた和田合戦で討死する。


  • 和田胤長(演:細川岳)

義盛の甥。通称は平太。史実では義盛の末弟・義長の子。泉親衡の乱に深く関与したためか義直・義重と違い赦免されず陸奥国に流罪となる。この時、6歳の娘・荒鵑がいたが元々病気がちで胤長が配流された頃に亡くなっており、その最期を看取った義盛ら和田一族の決起を後押しする要因の一つともなった。史実では和田合戦終結後、処刑された。


詳細は北条家参照。


詳細は北条家参照


詳細は北条家参照


詳細は北条家参照


詳細は北条家参照


通称は次郎。温泉郷の領主であり、義時とも顔見知り。地元の領主として石橋山の戦いで敗れた頼朝の脱出の手筈を整える。実直すぎる人柄で、一度は謀反に肩入れするも義時の詰問には嘘をつくことができなかった。また、御家人たちの不満が噴出すると「仲良く!仲良くじゃ!」と仲裁に奔走するなど、調和型の人物。(彼だけに限った話ではないが)かなりの悪筆。小早川家の遠祖でもあり血こそ繋がっていないが小早川隆景(後述する大江広元の子孫の1人である毛利元就の三男)や秀秋豊臣秀吉の正室・北政所の甥)らを輩出する。

十三人の評定衆の一件では「誰もワシに声をかけてくれなかった...」「せめて声をかけられてから断りたかった」と義時に漏らす。その後、梶原景時弾劾の訴状に67人の御家人が署名した際には御家人たちが集まる侍所で「身内で争っている場合か!」と悲痛な声で仲裁に入るが、和田義盛の「あんたの訴状を作ってもいいんだぜ」という脅しに屈し、「これから鎌倉はどうなるんじゃ...」と将来を憂う言葉を呟いた。

義時の伊豆時代からの知り合いの武士のうち、彼のみナレ死も劇中で死の描写もないが、公式サイトの相関図からは第29話を最後に姿を消しており、前述の景時弾劾の一件が最後の出番となった模様。その後、10月9日放映の特番では「in Memoriam」という物語から退場していった者たちを偲ぶスペシャル動画の中に実平の姿もあったため、29話が最後の出演となったことがほぼ確定した。義時の伊豆時代からの知り合いかつ頼朝決起時から支えた功臣の中にあって主だった政争に巻き込まれることも粛清されることもなかったというのがせめてもの幸運だろうか...。

史実における没年には諸説あり、1191年に亡くなったとする記述がある一方、1220年(承久2年・承久の乱の前年)まで生存していたとする史料も存在する。


ほぼ上総介の鎌倉殿

通称は上総介、介八郎。房総最大の勢力を有す豪族で、配下は二万騎とも言われる。奥州とも繋がりがあり、そこからもたらされた砂金を「こういうときは遠慮せずにもらっとくもんだ」と躊躇なく義時にくれてやるなど豪快な振る舞いが目立つ。領地・富ともに手に入れた男であり、彼をなんとか自陣営に引き入れるため源平両陣営はあの手この手の工作を行うこととなる。史実かは不明だが千葉常胤や三浦義明と共に玉藻前退治を行い自らとどめを刺したことでも知られている。

頼朝の強運を信じて源氏方に付くが、それでも頼朝が大将の器ではなかった場合暗殺するつもりでいた。味方になった後もプライドが高く尊大な態度は変わらず、周囲はやや扱いに困っている。頼朝のことは「佐殿」「鎌倉坂東武者殿」とは呼ばずに「武衛」(義村に教えられた呼名で、佐殿よりも敬う呼び方だが広常はこのことを知らない)と呼んでおり、時折タメ口になる。

坂東武者が木曽義仲の討伐に反対して反乱を起こそうとしたときは、大江広元から入れ知恵を受けた義時の助言であえて坂東武者側について反乱を抑える活躍を見せた。騒動が一段落した晩には頼朝と二人で杯を交わしたが、実はこれは源氏方で一際目立つ勢力であった広常を取り除くための頼朝と広元の策で、密命を受けた梶原景時によって双六の最中に殺害された。文字の読み書きに疎く、上洛までにまともな文筆ができるよう稽古をしていた(義時に「お孫さんの手習いですか?」と聞かれた際に「都に行ったとき、字も書けねえようじゃ笑われちまうだろう?……誰かに言ったら殺す」と冗談交じりで義時に釘を刺している)が、その中には頼朝を非常に信頼していたととれる内容が記されていた。その書を読んだあと、頼朝は「あやつは謀反人じゃ」と言いながらその場を離れたが、どこか後悔するような素振りを見せていた。

彼の死の直後義時は子(泰時)を授かるが、彼の産声が広常の口癖であった「ぶえい(武衛)」に聞こえるという演出がなされている。

力・富・そして豪胆さを併せ持った坂東武者としてのその生き様は、和田義盛に特に憧れを抱かせたらしく、37話において義盛は広常が頼朝に謁見しにいった際の話を、自分のエピソードのように脚色して実朝に披露していた(八田知家から速攻で「話と違うな」とツッコまれたが)。

なお、佐藤は『武蔵坊弁慶』では木曽義仲を、『炎立つ』では源義家を演じている。また、公暁を演じた寛一郎は、佐藤の実子(長男)である。


  • 岡崎義実(演:たかお鷹)

通称は平四郎。三浦義明の末弟。義澄の叔父で義村や義盛の大叔父。

曾我兄弟の一件では、彼らの養父である曽我祐信が幼馴染だった関係で彼らの仇討ちに賛同した。

その後、曽我事件への関与を疑われたことで出家させられ、沙汰を伝えにきた景時に「あんたが来たってことはそういうことか」と覚悟を決めるも、息子義忠の忠誠心に免じて死罪は免れたことを伝えられ、その沙汰に驚くと同時に「そんなこともあったな…」と呟き作中から退場した。その後も存命で梶原景時糾弾の連判状に名を連ねている。史実では義澄と同年の1200年に死去。


  • 佐奈田義忠(演:なし)

石橋山の戦いで戦死した岡崎義実の嫡男。佐奈田与一の名乗りでも知られ那須与一浅利与一と共に「源氏の三与一」と言われる。ドラマにこそ出ていないが大河紀行で石橋山山頂にある佐奈田霊社を紹介された。のち義実が義忠が戦死したことを政子に回顧する場面がある。また彼の忠勤を頼朝は忘れておらず、彼のおかげで父義実は死罪を免れた。なお、三与一は本ドラマには全員登場していない。


頼朝の側近。歌舞音曲特に鼓を得意する教養人。自身も伊東祐親に所領を奪われた上に妻を離縁させられた恨みがあり祐親暗殺を狙うが失敗し息子の河津祐泰を誤殺してしたり、一条忠頼暗殺をしくじるなど武芸の腕前はイマイチ。源義高を討ち取った藤内光澄が政子の逆鱗に触れて処刑されたことも重なり、義時に「鎌倉は怖いところ」と伝え、一時所領に帰ることも考え鎌倉を去った。しかし、静御前が鎌倉に送られた頃には鎌倉に戻ったらしく静が舞を舞った時には鼓を叩いている。

頼朝が鎌倉殿になってから所領を取り戻したが、頼朝が将軍になった頃にかなり出世したがそれに比例して驕漫になった。八重には祐泰の件で嫌われ彼女の甥でもある曽我兄弟からは恨まれていた。特に曾我兄弟は子供時代、祐経を見るや石を投げつけていたほどである。

冨士の巻狩りでの頼朝襲撃では頼朝の身代わりとなる形で曽我兄弟に討ち取られ、彼の遺体が一時頼朝のものと誤認されていた。

史実では離別させられた前妻が土肥実平の息子・小早川遠平に再嫁し、後妻の子の伊東祐時が日向伊東家の祖となり子孫には天正遣欧少年使節の主席正使を務めた伊東マンショ、『伊東氏中興の祖』と呼ばれた伊東祐兵がいる。


来るなら来い!

義時と知り合いの坂東武者。通称は四郎。朗らかで実直な性格だが、腕は確かな武辺者で一条忠頼を斬っている。最初、名字の読みが同じであるため新田義貞の先祖と勘違いする視聴者が続出した。ちなみに忠常の本姓は藤原姓。また、演者である高岸の芸人時のトレードマークにあやかってか、着物は橙色になっている。なお、第22話ではついに義時のところにいる孤児たちを「できるよ、大丈夫!やれば、できる!と励まし、視聴者の腹筋を破壊した。が、その後すぐに普段の芸風とは真逆の「無理ですぅ~」と切実な表情で嘆いた。お疲れ様です。

史実では妻・菊子を水難事故で亡くしており、そのことを踏まえたのか八重が水死したことを政子に伝えに来た時は泣いていた。

富士野の巻狩りでは工藤祐経仇討ちに向かう曽我兄弟の軍勢に加わるも、頼朝の寝所に向かおうとしていることに気づき、曽我十郎と刃を交えてこれを討ち取った。

北条時連・比企時員らが阿野全成の呪詛の一件に関係すると頼家に疑われた実衣を捕らえに来た時には、政子の命で完全武装して彼らの前に立ちはだかり、北条泰時と共に死守する構えを見せた。ちなみにこの時の装備は二刀流で、野球とも関わりが深い(撮影より後ではあろうが、本当に野球選手になっている。詳細は演者の記事参照)演者だったためか「スタッフが大谷翔平(+本人が芸人と役者の二刀流)をイメージしたのでは」という憶測がたてられている。比企の乱では、比企能員を騙して北条館に招き入れ、義時の指示で能員のとどめを刺した。このときばかりはいつもの優しげな表情はすっかり消え、無表情で一瞬のことであった。

しかし、頼家が息を吹き返して忠義心のある仁田と和田に、北条を討つように命じられる。仁田は比企にとどめを刺したのは紛れもなく自分であったこと、そして鎌倉殿を守るという信念と昔なじみの中である北条を討つ命令との矛盾で深く悩み、義時にも相談しようとするがそれも叶わず、最後は自害して果てた。この事をきっかけに、時政・義時は頼家追放を決意する。なお、史実では時政に闇討ちされている。

皮肉なことに、出番を終えた後、かまコメにて高岸が言うように「ひとりで思いを抱えずに周りに頼っていくことが大事」というのは奇しくも現代の社会問題でも通じる内容だった。なお義時は「急ぎ館に戻らなければならないので...」と言い、忠常も「承知しました!」といつもの調子で承諾してしまったことが彼の命運を分けたといえよう。実際、急ぎ館に帰ったら泰時から一幡生存を伝えられるわ、比奈から離縁を切り出されるわとマジの火急の事態ばかりだったのだが...ここで忠常が「そこを曲げてお願いします」と言ったらどうなっていたのだろうか?


伊豆の在郷武士。恐ろしいまでのフトッチョで、頼朝からもその体型を心配されたほど。宗時同様、善児の魔手に倒れる。史実では祐親や祐経の叔父。なお、その恵体ぶりも史実通りで、石橋山の戦いでは自分の肥満体型のせいで味方の足手まといになることを憂いて自害している。通称は狩野介など。日本画の狩野派を興した狩野正信の先祖に当たる。


通称は千葉介。広常の又従兄弟。広常を「介八郎」呼ばわり出来る唯一の人物。年齢は頼朝挙兵時点で当時としてはもう老人である60過ぎの身でありながら、参陣ついでに平家方の国司の首級を挙げてくるなど血気盛んなおじいちゃん武将。義経死後、さらに老け込み酔っ払うと「それにしても九郎殿(義経)は強かった!」botと化すようになった。25回では久しぶりに登場し、自分達の訴訟を公平に裁いてくれた頼朝に感謝を述べに御所に参上するなど九郎殿botじゃない姿を久々に見せた

80歳を過ぎた十三人の評定衆の一件では北条方の御家人として時政から声をかけられそうになるが、義村の「もうすぐ死にます!」の一声で候補から外された...のだが、梶原景時糾弾の連判状に署名を募る際に再び登場。再び大戦が起きるのではないかと気炎を吐いていた。なお、これが本当の最後の出番であった(史実では梶原景時の変の翌年に病死)。

子孫には相馬盛胤義胤父子に江藤新平新渡戸稲造らがいる。岡本は『草燃える』で藤原定家を、『平清盛』で藤原邦綱を演じている。


通称は源三。時政からは「佐々木のじいさん」と呼ばれている。近江の住人だが平治の乱に敗れて関東に落ち延び、大庭景親の元にいたが定綱・経高・盛綱・高綱の四兄弟を引き連れ頼朝の元に参陣。最初の妻の父は源為義(つまり秀義は頼朝の義伯父にあたる)で母の伯父に安倍貞任、従兄弟に藤原秀衡がいる。高齢(史実では68歳)のため耳が遠く、歯がほとんど抜けているため何を言ってるかよくわからない。劇中では4兄弟が援軍として到着する日時がわからなかったため、頼朝の「援軍の4兄弟はいつ来る?」という質問に関して「いつ来るかわからない」という意味で「さあ?」と言ったつもりが「朝(に援軍が来る)」と言ったと誤解され、夕方になっても4兄弟が到着する様子がなかったことで頼朝をやきもきさせてしまった。一応実の叔父よりは信用されていたようだが…

史実では一ノ谷の戦いの直後、伊藤忠清らが起こした「第一次三日平氏の乱」で戦死しており、第18回の時点では既に故人。一応、第27回にて義村から「もう死にました」と言及された。佐々木道誉尼子経久らの祖。

しかし、演じた康すおん氏はこれで出番終了ではなく、なんと秀義の孫で頼家に仕える医者・善住(クレジットでは「医者」とのみ表記)として登場するという予想外の再出演を果たす(後述)。


【鎌倉殿の13人】第34回『理想の結婚』【大河ドラマ】

常陸の住人で頼朝の乳母・寒河尼の弟。源義朝の落胤説もある。

襟を大きく開いて胸元を出した、和田義盛にも劣らないワイルドな風貌をしており、演者の市原の鍛え上げられた精悍な肉体も相まって、一部視聴者からは鎌倉のセクシー担当とも評される。第42回では既に70を越えた年齢の筈だが、その若々しさと肉体は健在であった。

頼朝からは道路の普請などの土木工事を任されており、頼朝が死去するまでは登場する場面の大半は土木関係の描写を伴っていた。また頼朝の死去に際しては彼を荼毘に臥す火葬場の設計や普請を主導した。

誰に対しても常にクールな態度を崩さず、当時としては非常に珍しく神仏を信じない現実主義的な性格。幕府内では警護や普請から諜報活動、謀反人の処刑といった汚れ仕事に至るまで、様々な実務を担当し、任された仕事はきっちりとやり遂げる有能な人物。十三人の評定衆の一件では能員の要請で比企方として評定衆に就任するが、賄賂をしっかりと懐に収めたうえで「俺は俺だ」と嘯くなど一筋縄ではいかない様子を見せる。

阿野全成の一件では配流先が自身の所領であったこともあり、2度目の呪詛発覚後に全成処刑を自らの手で行った。

頼家が病床に伏した際には、再度火葬場の設計や普請を請け負う。この際、義時から北条と比企のどちらに付くか尋ねられた際には、やはり「俺は俺だ」と述べ、どちらの側にも付かない考えを伝えた。

34話では義時にのえを陰から見定めるようにお願いし、「裏表のない女子」「裏をも照らす女子」と評したが、実際は裏ありまくりな女性であったため、視聴者からは女子を見る目は節穴なのではないかとも言われている。

38話では北条時政の館を包囲する陣営に参加し、「父上のやり方は間違っている」と言い続ける泰時を「いい加減(父親の真意に)気づいてやれよ」とたしなめ、実朝を解放したあと、自責の念に駆られた時政が自刎しようとしたときには「息子(義時)でなくて、悪かったな」と優しい言葉をかけ、自殺を思いとどまらせる。

史実では頼朝より3~5歳年長とされ、行家と同じぐらいの年で保元の乱にも参戦。子孫に小田氏治がいる。演者の市原は頼朝役の大泉より14歳も年下である。

なお、年齢について42話で三善康信に隠居の意思を切り出し「まだお若いではありませぬか」と言われた際に「若く見えるが、実はあなた(康信)とそう変わらない」自分の年齢をカミングアウトした。史実では唐船進水の際の康信の年齢は74歳なので知家も70代前半ということになる(ちなみに大江広元は69歳、進水2年前に亡くなった北条時政は78歳)。

史実においては没年は明確ではないが、1221年の承久の乱時点で健在とする史料の記述がある。


下野の大豪族・小山(太田)政光の嫡子。通称は小四郎、左衛門尉。子孫には南北朝時代に「小山氏の乱」を起こした小山義政若犬丸父子がいる。弟の長沼宗政・結城朝光と合わせて「小山三兄弟」と言われるが、劇中で3人揃って登場したことはない。

作中では第12回にて万寿の乳母夫を決める際に他の御家人らと列席しており、その際に朝政の継母(寒川尼)も頼朝の乳母であったことが言及され、広常からそれを当てこすられもしている。本人の出番はここのみと、他の兄弟に比べると極めて限定的ではあるが、後の第47回では後鳥羽院の発した院宣が、朝政にも下されていたことが明らかにされている。


小山朝政の弟で結城朝光の兄。通称は五郎。独特のもみあげが特徴。子孫に松平忠輝徳川家康六男、伊達政宗の娘婿)の付家老を務めた皆川広照がいる。演者の清水によると「鎌倉の暴言王」とのことで、物語後半の準レギュラーの一人でもあり(史実における)兄と弟の役割も兼ねた。

初登場となった第36回では、義理の伯父に当たる八田知家による流言を信じ、稲毛重成の捕縛に当たった。第38回では義時に「自分が執権になりたいから父親を追い出したのではないか?」と詰問した。史実でも、畠山家の残党との争いの件で実朝に暴言を吐いており、謹慎させられている。

その後も知家や三浦義村らと共に、有力な御家人の代表格として度々登場し、第47回では内裏再建の件で朝廷と揉めたくないと陳情に及んだ後、朝廷側が挙兵に及ぶと義村と共にこれに乗っかろうとするが、その義村から義時追討の院宣を示された際、自分も彼に先んじて院宣を下されていたことを告げ、彼が朝廷を見限るきっかけとなる。その後政所に呼び出された際、義村がヌケヌケと院宣の現物を渡した際の彼の顔は見ものである。

演者の清水はニトリのNウォームやNクールのCMでお馴染みの俳優であり、第41話や上記の第47話で同一人物と気付いた視聴者も多かった様子。


通称は七郎、小山七郎。朝政と宗政の異母弟。頼朝の乳母・寒河尼の子供で八田知家は叔父。頼朝の落胤説もある。泰時(頼時)と同じく頼朝を烏帽子親とする。子孫に南朝方の有力武将の一人であった結城宗広(「三木一草」の一人である結城親光の父)、名槍御手杵を製作した結城晴朝に養子の結城秀康(徳川家康の次男)、元横浜DeNAベイスターズ監督の中畑清らがいる。

畠山重忠の紹介で実衣に琵琶を教える。琵琶の稽古の最中に実衣に対して「自分が仁田忠常と話していた『忠臣二君に仕えず』の話が伝わり、自分は謀反の疑いありとして謹慎中である」という話をする。その後、安達親子の一件で御家人の心が離れた際の見せしめとして景時の策で粛清対象とされかける。しかし、三浦義村・和田義盛らと仕組んだ景時弾劾の訴状により一命を取り留めたばかりか逆に景時を破滅に追い込む。

景時失脚後、義村から謝礼を渡されていた描写があり、実衣に話したことを含め、全ては景時を追い落としたい義村への協力だったことが判明した。なお、史実では義村とは「断金の交わり」だった模様。


  • 安西景益(演:猪野学)

安房の豪族。

頼朝とは幼馴染で、石橋山の戦いで敗れて安房へ逃れた頼朝を支援する。また、頼朝が亀を気に入ると、盛長に亀の素性を教える。


伊豆の在地武士。武功を立てようと逃亡中の義高を討ち取ったものの、政子に憎まれ、義時と工藤祐経の立ち会いのもと首を刎ねられてしまった。政子は「命を取れとまでは言っていない」と弁明するものの、藤内の処刑は政子に「鎌倉殿の妻」としての立場を理解させるものであった。


  • 小笠原長経(演:西村成忠)

頼家の側近の一人。史実では比企の乱後に連座して失脚して拘禁されるなど憂き目に遭うが、承久の乱では帰参・活躍して家督を継ぎ阿波の守護に任命されるなど返り咲きを果たしている。この阿波小笠原家から三好氏が分かれ戦国時代に三好四兄弟(長慶義賢冬康一存)を輩出した。父は武田信義の叔父(弟説もある)である加賀美遠光の次男・小笠原長行。小笠原次郎こと長行は承久の乱時、後鳥羽上皇から義時追討の院宣を送られた一人である。

本家筋である信濃小笠原家の子孫には『逃げ上手の若君』で知名度が上がった小笠原貞宗長時らがいる。


  • 中野能成(演:歩夢)

頼家の側近。通称は五郎。北条が頼家のもとに送り込んだスパイであるとの説がある。

頼家の近習六人衆のうちの一人に選ばれる。頼家に命じられ、蹴鞠の稽古や町の掃除、迷い犬の飼い主探しを行う。

史実では比企の乱後も信濃の本領を安堵されており、義時や泰時よりも長命を保ったと伝わる。『逃げ若』に登場する市河助房は能成の子孫とされる。


  • 愛甲季隆(演:なし)

通称は三郎。ナレーションのみで登場。弓の名人で畠山重忠を討ち取った。史実では横山党所属の御家人で源頼家の弓術師範。また和田義盛の縁者でもあり和田合戦で討死した。


  • 伊賀光季(演:日笠圭)

のえの兄。京都守護職に就いていたが、承久の乱序盤、朝廷軍に襲われ殺害される。

「鎌倉殿」では守護職就任の件やその後朝廷方に殺されたことのみ言及され、本人の登場も碌な武装もしていないまま藤原秀康に斬り殺される後ろ姿のみという扱いだった。のえには京から紫色の反物を送るが皮肉にも形見になってしまう。史実では北条氏と伊賀氏が婚姻関係になる以前から義時と親しく朝廷から味方になるよう説得を受けた際にも「自分の職務は都の治安維持」と断り、再度味方になるよう迫られても「用があるなら自分から足を運ぶのが筋」と突っぱね毅然とした態度を示し、秀康・三浦胤義・大内惟信(平賀朝雅の甥)らの軍勢と戦い嫡子・光綱共々戦死した「忠義の武将」であり『承久記』前半の主役である。


  • 足利義氏(演:なし)

源氏の血筋を引く足利氏当主で有力御家人の1人。父は義兼。母は北条時政の娘・時子。作中に於いては本人の登場は無かったものの、第47回にて『武蔵前司』の名で後鳥羽上皇から義時追討の院宣を送られていた。

史実では父・義兼は源範頼や平賀義信(朝雅の父)らと共に『源氏門葉』の1人として頼朝から厚遇され、時政と牧の方の娘を娶っているため北条家とも繋がりが深かった。跡を継いだ義氏も義時ら北条家と懇意にしており、畠山重忠の乱や和田合戦でも北条方として出陣。承久の乱では北条時房・三浦義村らと共に泰時を総大将とする東海道軍に従軍・活躍し、戦後に三河守護に任命された。

また、結城朝光とは幕府内での格の上下について対立した事がある。

子孫には後に鎌倉幕府・六波羅探題を滅ぼして室町幕府を開いた足利尊氏の次男・足利義詮の子孫である室町幕府足利将軍家や阿波公方家、四男・足利基氏を初代とし江戸時代に喜連川氏となった関東(鎌倉・古河・小弓)公方家など様々な支流がいる。

『鎌倉殿の13人』を手掛けた三谷氏は『功名が辻』で義氏の子孫で室町幕府15代将軍・足利義昭を演じている。また、後述する河津祐泰役の山口祥行氏も13代将軍・義輝を演じている。


  • 宇都宮頼綱(演:なし)

歌人としても知られた有力御家人の1人。

作中では本人の登場は無かったものの、第47回にて後鳥羽上皇から義時追討の院宣を送られた御家人の1人として「宇都宮入道」として名を連ねていた。

史実では八田知家の兄・宇都宮朝綱の孫で太田政光の養子。梶原景時の変にも義兄弟の小山朝政や結城朝光と共に景時弾劾に参加し、その後に伊予国の守護職を与えられた。しかし、牧氏事件において頼綱自身にも義時から謀反の疑いを掛けられて追討の対象にされているが、朝政が頼綱の追討を断った事により命拾いする。その後は出家し蓮生と称したが、承久の乱では鎌倉留守居役を務めた。藤原定家と親交があり『小倉百人一首』誕生に一役買っている。


坂東武士(平家方)編集

宗時・義時・実衣・義村の母方の祖父で、祐泰・祐清・八重らの父。平家の後ろ盾で伊豆随一の豪族にのしあがった。孫の千鶴丸のことなどから頼朝とは互いに憎み合うことになり、頼朝挙兵後は平家方に加担し石橋山では実の孫である宗時を暗殺したりしている(実行犯は善児)。一方で、自らの命で暗殺した千鶴丸を弔うため、立派な墓を建てるなど冷血一辺倒の人物ではない。政子の口からは、幼少期の義時や政子の遊び相手をするなど、いわば「優しいおじいちゃん」であったことが語られていた。のち頼朝に捕縛されるも、政子の懐妊によって恩赦が下りる。この頃から、険しい顔付きから好々爺のような柔らかい顔つきになっており、八重とも和解している。そうして親子3人で暮らすことを夢見ている矢先、祐清ともどもかつての従者である善児の手にかかる。史実では自分の行いを恥じるという名目で自害した。江戸時代に備中岡田藩主になった尾張伊東家の遠祖とされる。本来は第1話の時点で出家・入道している筈だが、劇中では終始俗体のままであった。

上記の通り、当初は辻萬長が演じることが発表されており、実際に一部のシーンについては撮影も行われていたが、その一部は2022年10月放送の「応援感謝!ウラ話トークSP」にて、追悼のメッセージとともに紹介された。


祐親の長男で義時の叔父。通称は三郎。曽我兄弟の実父。第1回のみ登場。祐親を狙った工藤祐経に誤殺されたため、頼朝が挙兵の決意を固めた第3回の時点ですでに故人となっていた。史実では相撲や柔道の技である河津掛けの由来となった人物。


河津祐泰の遺児で義時の従兄弟。幼名は一万。諱は祐成。父の仇として祐経を、祖父の仇として頼朝を憎んでいる。

祐泰・祐親・祐清の死後、叔母の八重の下に身を寄せた。八重のもとに祐経が現れると、決まって石を投げて追い返していた。成人後は時政の家人となり、仕えている。父の仇である祐経への仇討ちを時政に願い出る。弟と違い策士タイプの人物。時政には伏せていたが「祖父・祐親の恩を仇で返した」「文官ばかり登用する」「平家の時代と全く変わらない」として、頼朝を手にかけることを画策する。

頼朝襲撃の際には、異変に気づいた忠常を相手取り、五郎以下他の同志たちを頼朝の寝所に向かわせる時間を稼いだ。討たれた描写こそないものの、頼朝の前に引っ立てられたのが五郎だけだったため、史実同様に忠常に討ち取られたと思われる。


十郎の弟。幼名は箱王。諱は時致。兄同様、祐経や頼朝を憎んでいる。兄以上に気性が激しい。なお、烏帽子親(成人後の後見人)は時政。

頼朝襲撃の際には館に飛び込み、寝所にいた男の首を取った。五郎自身はこれを頼朝だと思っていたが、実際は頼朝は比奈に会いに夜這いをかけていたため不在で、討ったのは奇しくも父の仇である工藤祐経であった。その後、梶原景時から頼朝が無事であることを聞き驚愕する。

だが、もしも頼朝が曽我兄弟の襲撃を自分への謀反であったことを認めてしまえば、騙されたとはいえ仇討ちの許可を出して手勢まで貸し出した時政をも罰しなくてはならなくなる上、征夷大将軍としての体面(=幕府の内部統制)にまで悪影響を及ぼす事態になりかねない。そこで義時は一計を案じ、襲撃を「最初から工藤祐経だけが主目標だった」とすり替えることで、曽我兄弟を「自分達の命と引き換えに父の仇を討った果報者」に仕立て上げることを頼朝に進言する。

五郎は本当の敵を討ち果たせなかったばかりか、自分達の怒りや尊厳が踏みにじられ、嘘塗れの茶番じみた「美談」にされてしまったことに絶望し「違う!俺が狙ったのは、頼朝だ!祖父・伊東祐親を死なせたのも、坂東をおかしくしたのも、頼朝なんだ!聞いてくれ!」と悲痛な声で叫びながら下人に連れて行かれた。その後、斬首され、首は鎌倉で晒し者にされたことが語られた。

『曽我兄弟の仇討ち』はその後、武士社会における「仇討ちの模範」とされ、後世においても「日本三大仇討ち」の一つに数えられ、様々な芸能や英雄譚の中で「美談」として語り継がれているのは、多くの人々の知るところである。


通称は九郎。祐親の次男で比企尼の娘婿の1人。妹思いで頼朝や甥の宗時とも親しかったが頼朝挙兵後は敵対する。頼朝の鎌倉入り後、劣勢を悟りつつも単独で抗戦に及ぼうとする祐親と別行動を取り、平家方へ助勢を求めようとするも囚われの身となってしまい、義時たちに祐親と八重を助けてやって欲しいと懇願。その後は祐親と共に三浦家に身柄を預けられたのを経て恩赦を受けるが、父とともに善児の手にかかって命を落とした。

名前はアレだが別に白マスクを被ったり湖に逆立ちしたりはしない。史実では父の自害を受け、自らも頼朝に乞うて死を賜ったとされるが、一方で頼朝軍に捕らえられた後、頼朝からかつて自らを助けたことに対する恩賞を与えられながらも、これを固辞して鎌倉を去り、後に平家軍に加わるも北陸道における義仲軍との合戦で討死したとも伝わる。


大庭景親

通称は三郎。大庭・梶原一族ら鎌倉党の頭領。相模随一の大豪族であり、伊豆のドンである伊東氏に対抗できる武士として三浦親子からの情報リークを受け伊東氏の包囲する北条館に急行、北条氏と伊東氏の両方の言い分を聞き入れた上で「身内同士の争いなんざ見れたもんじゃねえぞ」と両者を取りなす。その後頼朝が挙兵した際には石橋山において時政を挑発して先手を打たせ自分にとって有利な平野部に誘い出し圧勝。しかし、その後再起したうえに更なる大軍勢に成長した頼朝勢には数では圧倒的に劣り、景時にも見切りをつけられたのもあって一戦もせず鎌倉を頼朝に明け渡す。景時に「粗暴な男」と評されるが、演者の重厚な演技によりそうは見えない。平家の権力を笠に着ているという点では後述の堤信遠と共通するが、一方では堤のように、自分より立場が下である人々にいばり散らして恫喝するといったことはなかったため、時政から「そんなに悪い奴じゃなかった」と評されている。

頼朝が勢力を盛り返していくなか、平家への忠誠を守り誇り高く広常に首を討たれ、梟首される。だが死の間際、広常に「あの時頼朝を殺しておけばと思う時が来るかもしれんな」と言い遺した(そして、上記の通り彼のこの発言は最悪の形で的中することになった)。

史実では娘が秀義の五男・義清(子孫に乃木希典がいる)に嫁いでいる。また本作には登場しなかったものの、景親の兄・景義が頼朝に仕えていたことで、大庭氏は御家人として命脈を保った。國村は『平清盛』では九条兼実の祖父・藤原忠実を演じていた。


  • 山木兼隆(演:川原勝利)

平家の家人。伊豆の知行国主となった清盛の義弟・平時忠から目代に任じられる。頼朝が挙兵した際、真っ先に血祭りに挙げられた。史実では平信兼の長男だが父と揉めて伊豆に流されていた。時政が手土産に持参した野菜に「儂はコオロギか?」とボヤいてはいたが、後述する後見役の存在もあってか、それほどの悪人には見えない。

今までの大河ドラマでは北条政子の縁談相手として扱われることが多かったが、今作では政子との絡みは全く無い。

新・平家物語』では前出の辻萬長が演じていた。


  • 堤信遠(演:吉見一豊)

兼隆の後見役。「平家の世も平和でいい」と挙兵に積極的ではなかった義時に「平家討つべし」と思い立たせた原因。いわゆる「平家の権威を借りて威張り散らす『嫌なやつ』」の代表格であり、道ですれ違った義時がきちんと下馬して挨拶していたにもかかわらず泥の中に這いつくばらせたり、兼隆への挨拶のため、時政たちが自宅の畑で収穫して持参した野菜(オープニングのあらすじを読み上げる場面で飢饉があったことが話されていることから、当時時政が持参した野菜は貴重であったといえよう)を踏み躙り、それを時政の顔になすりつけながら恫喝したりしたことで、温厚な義時を完全に怒らせ、「平家の横暴許すまじ」と挙兵を推進する覚悟を決めさせる一因となった。その後、兼隆襲撃の際に義時の提案で同時に襲撃を受け、見下していたはずの義時と時政の手で討ち取られて首ちょんぱされた。敵を殺す覚悟が定まっていなかった義時が致命傷を与えなかったため即死は叶わない因果応報で自業自得な最期だった。

なお史実では佐々木四兄弟に討たれている。

吉見は『軍師官兵衛』で大江広元の末裔・吉川元春(毛利元就の次男)を演じている。


  • 中原知親(演:森本武晴)

伊豆の目代。下田を治める。山木兼隆の縁者。

顔が長く、義時や宗時から「馬面」と揶揄される。史実でも、顔の長さを揶揄されている。

兼隆と信遠を討ち取った坂東武者への論功行賞のため、頼朝により領地を召し上げられる。

苗字は後述する幕府官僚の中原親能と同じだが、血縁関係はない。


通称は瀧口三郎。頼朝の乳母・山内尼の息子だが、石橋山の戦いの頃は平家方に寝返っていた。頼朝に味方するよう説得に来た盛長に「平相国(清盛)と頼朝、虎と鼠程の差があるわ」と頼朝を罵倒し協力を拒否した。その一方で景親共々捕えられた時は景親と対照的に無様で見苦しい命乞いを行い、母が頼朝に泣きついたのもあり一応は許されたが、広常からは唾棄された。物語ではここで退場したが、後に鎌倉御家人になっており梶原景時弾劾の連判状の場面では名前だけ再登場した。

史実では志田義広(源為義の三男)討伐や第一次三日平氏の乱鎮圧で活躍し、義経追討戦では伊勢三郎を捕縛している。頼朝からは不興を買ったことはあったが、やはり経俊の母が自分の乳母ということもあってか、一応信頼されていたらしい。しかし、実朝時代に第二次三日平氏の乱の鎮圧をしくじり伊勢・伊賀守護を罷免。その後、粛清されることもなく非常な長命を保ち政子と同年の1225年に89歳にて逝去。山内一豊容堂の先祖とされる。

演者の山口は『北条時宗』では義時の六男で史実の伊賀の方との次子に当たる実泰の孫・顕時(実時の子。15代執権・金沢貞顕の父)を演じている。


  • 長狭常伴(演:黒澤光司)

安房の豪族。通称は六郎。

平家方に与しており、景親から情報を得て頼朝の宿舎を襲撃するが、漁師・権三らと乱闘になり、三浦義村にその隙を突かれ討たれた。史実では上総広常の長兄・印西常景の妻の兄弟。また和田義盛の父・杉本義宗は長狭氏との戦いで負った傷が元で亡くなっており、三浦党とは因縁があった。


  • 江間次郎(演:芹澤興人)

江間 次郎

祐親に仕える家人。八重を娶ることを祐親に命じられた。しかし頼朝を想い続け、平家方の情報を北条など源氏の軍勢に横流しするよう頼むなど無理難題をふっかけていじめる八重に苦労させられ、「なぜ(そんな意地悪をするのか)。私はあなたの夫だ!侮るな!」と怒鳴るも八重には暖簾に腕押しで、「恨みたければ恨みなさい」と返され、悔しさに涙で顔を歪めることは多くあった。それでも、本人は八重を心から愛しており、祐親から八重を暗殺するよう命じられたが「俺にはあなたを殺せない。急いでお逃げください」と最後は八重を守って、祐親が保険として用意していた善児の手に掛かった。


善児

祐親腹心の家人。一見すると冴えない男だが、その正体は祐親の密命を受けて暗殺や諜報といった汚れ仕事を担う間者である。

普段は伊東家の雑務をこなしているが、祐親の命令とあれば相手が子どもであろうと、まるでちょっと物をどかすかのように何の感情も無く淡々と人を殺す。千鶴丸・宗時・茂光・江間・八重(未遂)の殺害に北条の監視などを行っている。

鎌倉方に捕らわれて後、かつての主人である祐親・祐清父子の殺害を梶原景時に命じられて行い、以後、彼の配下になる。

また、広常粛清の際には小者に扮し広常にわざとぶつかり彼の帯刀を密かに没収。景時に襲撃された際に広常が抵抗できないようにした。

義時が頼朝の命を受けて奥州へと赴いた際には、従者として景時の命令のもと、義時に同行した。この時は珍しく自分から口を開き、「やっちまいましょうか?」と義経の暗殺を提案したが、義時は違う形で覚悟を決めていたため却下された。また、ここでの義時との会話で、「(義経の)手の爪に土がついていました。あれは百姓の手です」と発言したことから、彼が以前は農民であったことが判明する。

曽我事件の際には、能員に仲間になるよう接触した曽我兄弟の話を盗み聞き、その企てを景時に通達するという活躍を見せた。

大姫が亡くなった際には、伊豆の修善寺に幽閉されていた範頼が呪詛を行ったと考えた頼朝が梶原景時に範頼の暗殺を命じ、梶原が善児に実行させている。このとき善児は範頼と語らっていた農民の夫婦を口封じとして殺害し、ターゲットの範頼も刺し殺す。それを見ていた村娘(下記参照)に血まみれの小刀を向け脅したが、村娘が自分に鎌を突き出して抵抗する意思を示したため、殺すことを思いとどまって自分の娘として育て、殺しの仕事を教えることにする(これは老いた自分に代わって仕事を熟せる後継者を育成したいという彼なりの思惑もあった模様)。

梶原景時の変に際しては結城朝光の「忠臣二君に仕えず」の一件を景時に伝える。その後、景時が鎌倉を出ていく際に義時に託されたことで、正式に義時配下となる(この際、「あの方(景時)もお人が悪い。試されたのですよ。わしの天運を」とぼやいており、かつて殺害した人物の弟に仕えることになるという状況には彼自身も思うところがあったようだ)。

トウの成長後は、髪に白髪が混じるようになり、月日の経過と共に年老いたことが描写されている。とはいえ、比企の乱ではトウと共に泰時の手勢として参戦し、一幡を確保した。

32話では一幡を殺さずに匿っていたことがわかり、一幡を実の孫のように可愛がっていて、トウが一幡と仲良く遊んでいるのを微笑ましげに見ながら一生懸命にブランコまで作っていた。義時に一幡を殺さなかったことをなじられると「できねえ。(一幡様が)わしを好いてくれている」と涙ながらに拒否、トウが代わりを務めたことを悟り、小刀でブランコを壊している。その次の話では、庭に若木の生えた土饅頭が写り、それを見た善児が、一幡が自分の名前を練習している様子を回想したことから、おそらくはトウが一幡の遺体を持ち帰り、善児が埋葬したものと思われる。

33話では義時の命により源頼家を暗殺すべく、伊豆の修善寺に猿楽の笛の奏者に変装して潜入。頼家と斬り合いとなるが、戦闘中に目に入った「一幡」と書かれた頼家の手習いを目にして動揺してしまい、その一瞬の隙を突かれて腹部を刺されて敗北。トウが頼家を始末した後、雨が降りしきる中外へ出て傷を洗おうとするも、トウに背後から刺され、「この時を待っていた。……父の敵!…母の…敵!」との言葉とともに滅多刺しにされて死んだ。今際の際、自分を刺したトウの顔を見て慌てふためくことも無くただ静かに頷くなど、どこか自分の死を納得しているようでもあった。

そのアサシンっぷりから、オープニングのキャストに善児の名前があると誰かが悲劇の最期を遂げる合図であるとファンからは恐れられている。

因みに善児の演者の名前は「かじわら」ではなく「かじはら」。梶原は『平清盛』では平頼盛の家人の平宗清を演じておりこちらでは頼朝を捕らえている。


【鎌倉殿の13人】第29回『ままならぬ玉』【大河ドラマ】

あの善児に育てられた孤児。偶然善児による範頼暗殺の現場に居合わせてしまい恐怖で足がすくんでしまうが、迫ってくる善児に手に持った鎌を突き出しなんとか抵抗しようとする。それゆえか何かを思った善児により殺されることを免れ、彼のもとに引き取られることとなる(※)。

成長後、善児と共に暗殺者として義時の配下につく。善児に「わしも年を食いましたんで、二代目です」と義時に向けて紹介され、義時にアクロバティックな武術を披露した。比企の乱では善児と共に参戦し、短刀で抵抗してきたせつを刺殺した。

32話では一幡を実の弟のように可愛がり、一緒に遊んでいたが、一幡の殺害を躊躇う善児に代わり、一幡を殺害したことが示唆されている。

33話では義時により頼家暗殺の命を受けた善児に同行して伊豆修善寺に赴く。頼家をかばった泰時・鶴丸を退けた後、一度は頼家に攻撃するも腹部を刺されて動けなくなった善児の代わりに、頼家に致命傷を与える。

その後、善児が傷を洗っている最中背後に現れ「この時を待っていた。父の敵!母の敵!」との言葉とともに、善児を滅多刺しにして殺害した。

※ドラマ本編では当初はテロップなどでこの村娘がトウであることは明示されていなかったが、公式ガイド本のシナリオ集ではそのように明記されていて、ついに本編33話で範頼の暗殺現場に居合わせた農民の夫婦がトウの両親であることが判明した。

38話にて久々に登場し、義時の命で食事を給仕する侍女に化けてりくを殺害しようとするが、それを三浦義村に見破られて乱闘となり、義村の「俺の女になれ」という言葉に乗ったと見せかけて攻撃を繰り出し、そのまま逃亡に成功する。

その後、源仲章の暗殺を義時から命じられるも襲撃に常日頃から備えていた仲章の術中にハマり捕縛されてしまう。だが、仲章が八幡宮で殺された直後に捕縛を解き脱出に成功、その後実朝の死に絶望し自ら命を絶とうとしていた政子を「自ら死んではならない」と引き留め、彼女から「ならば殺してくれ」と懇願されても「主人の命がなければ人は殺せない」と拒否した(この一連の行動が義時の命令だったかは劇中では語られていない)。のち、政子邸の使用人になり最終回では子どもたちに武芸を教えているシーンがある。


幕府官僚編集

頼朝に京で起きたことを知らせる下級貴族。頼朝の乳母(比企尼か山内尼かは不明)の妹の子。

頼朝にとって重要な情報源になっているが、あわて者でもあるため誤報であることも多い。19話でようやく鎌倉に下向し、義時たちと合流。以後は御家人同士の諍いの仲裁を担当している。

頼朝襲撃の際には、肝心の頼朝の安否が不明の時点であるにもかかわらず朝廷に頼朝の訃報を送ってしまうという早とちりを犯してしまい、騒動をさらに大きなものにしてしまうことに…。

力不足を露呈する頼家のもとで裁判を担当する五人の中の一人に内定、比企能員と北条時政のパワーゲームの結果十三人に増員されたのちも評定衆に加わる。

評定衆が際限なく増えつづけるなか、多数派工作を進める比企能員に宴に招かれるが、能員の真意に気づくことはなかった。

また、正直すぎうえに慌て者であるがゆえに割を食っている感が否めなく、全体的に演者が同じの前作の三谷大河におけるこの方っぽい感じが出ている。

二代鎌倉殿に就任した頼家やその配下の若武者たちに、政の根幹は御家人たちの訴訟を公平に扱うこと、幕府の根幹は御家人たちの所領の安堵とそれに対する奉公であると説く。27話からは出家したのか僧形になっている。

33話では政子の意向で実朝に和歌を教え始めるが、教えていたところを実衣によって阻まれてしまう。その教え方が「テテテテテ、テテテテテテテ…あれ?」と、音を楽しく教えるものであったため、まだ幼い実朝も興味深そうに聞いている描写があった。実際、のちに「私に和歌の楽しさを教えてくれたのはお前だ」と実朝から感謝を述べられている。

彼の影響なのか、後に実朝が詠む和歌は当時としては変わった柔らかいものとなっている。

このように人当たりのいい温厚かつ誠実(そして時々気弱)な人物ではあるが、時政が謀反を起こし実朝を監禁した際には、強硬に時政の死罪を主張する義時や他の文官勢に対し「今の鎌倉があるのはあの方あってこそ!」と今まで聞いたことがないほどの大声で主張し、出家のうえ伊豆への流罪に減ずるきっかけを作った。

39話では実朝が読んだ和歌の語順を変えるように助言したものを藤原定家に提出したところ、定家から「語順を入れ替えたほうが良い」と、実朝が最初に詠んでいた形にするよう手紙でアドバイスがあったため、源仲章からさんざんマウントをとられ意気消沈し、「お教えすることはもはや何一つございません」と寂しそうに肩を落とす康信であったが、それでも実朝は「歌を読む面白さを教えてくれたのはそなただ。これからも色々私を助けてくれ」と労い、感極まって泣き出す。

その後も実朝に忠実に仕え、和田合戦の際には実朝が降伏の下知状を出すことで「北条vs和田」だった合戦が「幕府vs和田」の形に変わらないか懸念したり、唐船進水の際には一向に動かない船に思わず駆け寄り老骨に鞭打って自分も綱を引っ張った結果、腰を痛めてしまったりしている。

このように慌て者かつ気弱だが温厚な人物だが、実朝の暗殺では彼の死を嘆いた。

最終回では承久の乱に際し、「鎌倉の一大事。老骨に鞭打って参りました」と、会議に足を運んだが、乱の終結後すぐに病没した。

史実では鎌倉に下向する前の1181年頃に出家している。出家後は法名の善信を名乗っているが(『義経』ではこちらの名前で登場した)、劇中の呼名やクレジットは俗名のままだった。ただ、34話で一度自分を「善信」と名乗っているシーンがある。また、実朝に兄・頼家の死の原因を問いただされたときにも「善信」と呼ばれている。


【鎌倉殿の13人】第35回『苦い盃』【大河ドラマ】

康信の紹介で鎌倉に下向してきた下級貴族。のちの鎌倉幕府の政所(行政・財政部署)別当(長官)。

鎌倉幕府草創期髄一の能吏と言われ、上総広常誅殺や義経排除などの計略を捻り出すなど、あらゆる謀略にも関与するため、視聴者に「鎌倉のオーベルシュタイン」と言われる。一方で、上洛の際の御家人の酒宴で「鎌倉に来たのは頭の硬い京の公家に愛想尽かしたから」「坂東武者の皆さんのおかげで下向の時『都落ち』と揶揄した公家連中を見返せた」と熱い胸中を語り、あの和田義盛にも気に入られるなど他の御家人との関係も良好。

冷静沈着かつ理性的な性格であり、頼朝襲撃の第一報が舞い込んだ際に、比企能員が幕政の実権を握ろうと範頼に鎌倉殿就任を持ちかけたときにも「安否が不明なうちは早まった行動をしてはならない」と範頼や他の文官たちを諌めていたが、聞き入れてもらえなかった。

頼朝落馬に際しては文官の中で唯一彼の異変を感じ取ったような描写があり、その際はいつもの冷徹な表情ではなく、どこか寂しく動揺しているような表情になっていた。

頼朝の死後は幕府内部の政争に苛立ちつつも、運営体制の安定を目指して奔走。頼家の若さと資質に一抹の不安を覚えており、彼が成長するまでの繋ぎとして阿野全成を鎌倉殿に据える案を提示するが、尼御台・政子によって頼家が二代目鎌倉殿に指名される。

その後、力不足を露呈する頼家のもとで裁判を担当する五人の中の一人に内定、比企能員と北条時政のパワーゲームの結果十三人に増員されたのちも評定衆に加わる。

評定衆が際限なく増えつづけるなか、多数派工作を進める比企能員に宴に招かれるが、広元だけは能員の下心を見抜いた険しい表情を見せる。

梶原景時糾弾の際、彼を惜しむあまり66人の御家人が署名された連判状を出し渋っており、和田義盛に詰め寄られた際には「恐れているのではない!(梶原殿が)不憫故…」と景時を庇うように返答したが、最終的に義盛の恫喝に屈する形で不本意ながらも連判状を頼家に提出した。

源頼家危篤の際には北条と比企の間で鎌倉が二分することを憂えた義時からの頼みで頼家を自邸に移した。またその際、比企の乱の前年に妻を亡くしていたことが言及されている。実朝就任後の頼家の処遇については暗殺を躊躇なく提言し、康信から「曲がりなりにも先の鎌倉殿ですぞ...!」と苦言されるも「それが何か」と相変わらずの剃刀ぶりを見せた。さらには畠山重忠の乱の後には、義時と結託し時政追放への画策を始める。

36話では畠山一族の滅亡に関与したとして稲毛重成を見せしめに処刑することを提案するなど、相変わらずの剃刀おじさんであった。

政子に真正面から誉められたこともあってか、彼女の手足となって積極的に働いており、政子が下知状を書くのに疲れた際には文官総出でひらがなの文書を代筆することを申し出た(当時漢字は男性、ひらがなは女性が使うものであり、男性がかな文字を使うことは極めて稀であった。使い分けの具体例としてこの有名古典その作者がある)。

意外にも武芸の腕は立ち、和田合戦では既に還暦を過ぎている年齢ながらも御所において雑兵相手に刀を交え、彼等を一蹴している。

一方で、和田合戦後あたりから目を患い、視力が一時的に急低下していた。

35話で政子に「あなたに言われると心が落ち着きます」と褒められて若干嬉しさとこそばゆさを滲ませた表情をしていた。それからは政子といい雰囲気になっており、43話では遂に政子に対し「私は鎌倉殿が代替わりしても仕えていたのは貴方一人(超要約)」と告白まがいのことを言っていたが、「大江殿…重すぎます」と返され、あえなく撃沈していた。

第46回では剃髪した姿で登場し、実衣の処分に関して「耳を斬り、鼻を削ぎ…」という残酷な処分内容をさらっと提案するという変わらずの剃刀っぷりを見せた。なお、史実において広元が出家したのは実朝が暗殺される2年前の1217年である。法名は覚阿。

承久の乱勃発の際には、政子からの頼みで演説の文章をしたためており、結果的にこれがそのまま使われることはなかったものの、政子の堂々たる演説ぶりに感銘を受けたのか、見えないながらも目を見開いて彼女を見つめようとする姿が描かれている。

演者の栗原は『真田丸』で海野幸氏の末裔で真田昌幸の弟真田信尹を演じている。

曾祖父の匡房は頼朝の高祖父・義家に兵法を授けたとされており、この頃から源氏とは縁があった。

長男・親広は伊賀光季とともに京都守護職に就いていたが、光季とはちがって後鳥羽院側についたため、朝廷軍の敗北後に行方をくらました。史実ではのち助命され羽前国寒河江に籠居し(戦国時代末期、最上義光に滅ぼされた)寒河江氏の祖となる。

四男・季光は毛利元就輝元敬親維新の三傑の1人木戸孝允(桂小五郎)、明治時代の首相桂太郎、歌手で俳優の吉川晃司らを輩出した安芸毛利氏や上杉謙信北条氏康などに仕えた北条高広らを輩出した越後毛利氏の祖。第43回の紀行で紹介された。『北条時宗』では高橋英樹が演じ宝治合戦で三浦泰村・光村兄弟らと運命を共にしている。

五男・忠成は末裔に酒井忠次(徳川家康家臣次の大河にも登場)がいる。


  • 中原親能※(演:川島潤哉)

大江広元の実兄。平家討伐の際には義経や範頼と共に従軍している。

力不足を露呈する頼家のもとで裁判を担当する五人の中の一人に内定、比企能員と北条時政のパワーゲームの結果十三人に増員されたのちも評定衆に加わる。

評定衆が際限なく増えつづけるなか、多数派工作を進める比企能員に宴に招かれるが、能員の真意に気づくことはなかった。

頼朝・政子の次女である三幡の乳母父を務めていたが、梶原景時の変の少し前に彼女が急死したことで出家、鎌倉を離れた。その後は京に戻ったようで、第32回で後鳥羽上皇に鎌倉からの文を渡していたりなど、鎌倉と京との間の連絡役となっていたが、牧氏事件に連座して平賀朝雅が討たれたことですっかり鎌倉に嫌気が差したようで、朝雅の妻であるきくに直ちに逃げるよう促している。第38回終了後の「ウラ話トークSP」内での退場者を偲ぶコーナーに親能も含まれていたことや、公式サイトにおける第39回の相関図には姿が見えないことから、これが作中における最後の出番であると見られる。

史実では牧氏事件の後も数年ほど存命であったとされる。また大友義鑑宗麟らの先祖である大友能直(この人も頼朝の落胤説あり)の養父とされる。

年齢は実弟の広元より5歳上とされているが、演者の川島は広元役の栗原より14歳も年下である。


  • 二階堂行政※(演:野仲イサオ)

広元・親能兄弟と共に鎌倉に下向してきた下級貴族。頼朝の生母・由良御前の従兄弟で、伊賀光季とのえの母方の祖父でもある。普段は寡黙だが酒が入ると変わる。

八重を亡くしたばかりで無理して政務に励む義時に「あんたがいると(仕事が)やりづらいんだよ」と文句を言っていた。

力不足を露呈する頼家のもとで裁判を担当する五人の中の一人に内定、比企能員と北条時政のパワーゲームの結果十三人に増員されたのちも評定衆に加わる。

評定衆が際限なく増えつづけるなか、多数派工作を進める比企能員に宴に招かれるが、能員の真意に気づくことはなかった。梶原景時の失脚に始まり、三浦義澄や安達盛長が相次いで亡くなったことで13人の合議制が崩れ、その上、政治運営に消極的な和田義盛や恣意的に政治を運営しようとする北条時政に次第にイライラをつのらせ、「自分がいなくても何も変わらないんじゃないかと思うことがあるんです」とこぼした足立遠元に「いないほうがおかしいんだ!」と苛立ちをぶつける。第38回でも時政の処分について、温情ある措置を求める康信を手ぬるいと一喝しつつも、直後に流罪に処すべしとも述べており、死罪もやむなしと考えていた義時に情けをかける格好となった。

このように、文官勢の中でも特に無口・強面・硬骨漢な印象だったが、第34回では孫娘ののえを義時の後妻に紹介する際には「気立てのいい娘でなあ」「いっぺん会ったら気にいると思うんだが」「まさか嫌だとは言わないよな」とジジバカ全開だった

なお、のえが輿入れした後は彼女の野望に対してタジタジになっていた。第42回ではすでに隠居の身ながら、のえと共に義時に対し「(執権に)なってしまおうよ!」「何のためにあんたのところに(うちの孫娘を)嫁がせたと思ってるんだい?頼むよ!」と執権就任の後押しをした。その後も第46回でのえが義時の愚痴を言いに来た際に、「俺の見込みじゃこれから後数百年は北条の天下だ。なんでもっとぐいぐい行かないんだ(要約)」と言っている。なお、曾孫に当たる政村の烏帽子親は義村であり、その義村の力を借りるべきだとも指摘している。その結果…

第47回で外孫・伊賀光季が殺害されたことに悲痛な表情を浮かべたが、そのことに対して義時がのえや行政に何も言わなかったことで「こうなることをはじめから知ってたのではないか?」という疑念を抱いた。しかし、最後の出番となった第48回で、のえが承久の乱で泰時と朝時の戦死を望む発言をした際には、さすがに呆れ返った素振りを見せてきた。生没年共に不詳であるが、義時が倒れた頃はすでに鬼籍に入っていたものと見られる。隠居しても康信や広元らと違って最後まで出家せず俗体のままだった。史実では、承久の乱の頃には嫡子・行光すら逝去し、その行光の子で孫の行盛が二階堂家の家督を継いでいる。

なお、十三人の合議制の御家人たちの内、三浦・大江・三善・八田の各家は宗家または宗家に相当すると考えられる家が宮騒動・宝治合戦を経て失脚し、代わってこれらを経て台頭した安達家も霜月騒動で失脚したため、唯一鎌倉幕府終焉期まで政所執事という事実上の家職の世襲に成功したのが二階堂家である。それどころか室町幕府でも政所執事の世襲を続けているため、北条得宗家よりもその地位の安定に成功している(ただし、二階堂家内での執事職を巡る家督騒動は起きている)。なお、二階堂忠行の代を以て政所執事職の二階堂家による世襲は終了したが、以後も幕府評定衆として二階堂本家(信濃流)はその名を幕府滅亡時まで残した。

ドラマにおいては子の行光や婿でのえの父・伊賀朝光や兄・朝宗の役割も兼ねていると思われる。行政の子孫は過去の大河ドラマにも姿を見せており『北条時宗』では二階堂行綱(行盛の次男、同作では青野武が演じている)が、『太平記』では二階堂道蘊(貞藤、行光の兄・行村の子孫)がそれぞれ登場している。また、斎藤道三織田信長の居城として有名な稲葉山城(岐阜城)の元となる砦を築いている。

子孫に須賀川二階堂氏の二階堂盛義蘆名盛隆らがいる。行村の子孫傍流として霜月騒動に巻き込まれた二階堂行景の子・泰行は薩摩国に土着して薩摩二階堂氏となったが、この子孫となるのが二階堂進である。進は田中角栄の右腕として政界の重職を担ったが、彼の就いた官職の一つである官房長官という仕事、内閣を内政面から支え官邸職では首相に次ぐとも言える職であり、その性質は偶然にも二階堂氏がかつて世襲した幕府の政所執事にも類似している。また、同家の縁戚であり、前述した忠行から政所執事職を継承し、以後事実上同職を世襲していく伊勢氏からは後北条氏の祖・北条早雲(伊勢新九郎盛時)が出ている。

演者の野仲は『平清盛』で源頼政の同族である多田源氏当主の多田行綱(頼政は祖父の従兄弟)を演じた。


平家編集

詳細は朝廷(鎌倉殿の13人)を参照

松平清盛





  • 平清宗(演:島田裕仁)



皇室編集

詳細は朝廷(鎌倉殿の13人)参照







朝臣編集

詳細は朝廷(鎌倉殿の13人)参照






  • 藤原(西園寺)公経(演:なし)

  • 一条能保(演:なし)



  • 藤原兼子(演:シルビア・グラブ)


宮廷魔術師



  • 藤原秀康(演:星哲也)

  • 藤原国通


その他編集

頼朝に挙兵を促した僧侶。頼朝の父・源義朝しゃれこうべと称する髑髏を抱えて、平家打倒を説いて回っていた見るからに胡散臭い怪僧。北条宗時に拾われて頼朝に迫るも、しゃれこうべが偽物であることをあっさり看破され、「いい。まだ沢山あるから」と捨て台詞を残して追い返された。

その後、清盛が急死したのは文覚の呪詛であるとの噂が広まり、後白河法皇に近いこともあって、頼朝にも(半ば嫌々)重用されることになる。煩悩が多くあるように描かれており、御家人たちが起こそうとして失敗した「頼朝排除の謀反」にも深くかかわる。

のちに土御門通親暗殺計画(三左衛門事件)に関わった罪で捕縛される。本人は「ワシを処罰すると都と鎌倉の火種となるぞ!」と脅していたが、朝廷とことを構えたくない頼家の判断で見捨てられた。その後は詳細は不明だが、佐渡そして対馬へ流される途中九州で客死したと史料には記されている・・・のだが、作中では第48回(最終回)での後鳥羽院の流罪に際し、思わぬ形で再登場を果たした。

猿之助は『風林火山』で信義の末裔・武田晴信(信玄)を演じている。ちなみに2022年に再放送された『人形歴史スペクタクル 平家物語』では俗名の遠藤盛遠時代から登場し袈裟御前誤殺や那智の滝での荒行などが描かれている。


宋(南宋)の技術者。

東大寺の再建供養式典の際、「頼朝は神仏から見放されている」として面会を辞退する。

実朝に「宋朝育王山長老の生まれ変わり」であることを信じ込ませ、唐船建造をそそのかす。史実では生没年などの詳細が一切不明で、本作でも唐船建造失敗後は出番がなくなり、フェードアウトしている。


快慶とともに歴史に名を遺す鎌倉時代屈指の仏師。史実では義時と同じ年に亡くなっている。

北条家との縁は時政が建立した伊豆の願成就院に納める仏像を製作したことから始まった。願成就院の本尊である阿弥陀如来像を披露する際に時政と意気投合、そのまま仏前で酒盛りを始めるなど破天荒な行動が目立ったが、時政が泥酔した際にも「仏様の御前だから酒に口は付けてねえ」と仏道に関わるものとして毅然とした態度を見せつけた。「薄明かりでこそ俺の仏様は輝く」と語っており、彼の手による阿弥陀如来像はどうしても「誰か」に似てしまうという。義時はそこに愛する妻であり子供たちを慈愛に満ちた視線で見守る八重を見出した。それを聞いた運慶は「誰か」というのが自身の母親であることを義時と時房に伝えた。

33話では義盛に招かれ、巴御前の拾ってきた仏像を製作していた(史実においても運慶は義盛建立の浄楽寺の仏像を手がけている)際に、頼家暗殺の苦悩を紛らわすため義盛邸を訪れていた義時と再会。15年ぶりに見た義時を「悪い顔になったな」と評するも「迷いがある。その迷いが救いだ。悪い顔だがいい顔だよ」とも評した。そんな義時に対して「いつかお前のために仏像を作ってやりたい。きっといいのになる」とも言った。

44話では義時の顔について何も言わなかったことを問われて「さらに悪い顔になった。そんな人間には何も言わないようにしている」と答えている。実朝暗殺後、義時から「自分に似せた仏像を作ってほしい」と依頼されるも「今のお前に興味はない」「迷いがなくなってつまらなくなった」と評し一度は断る。しかし、義時から弟子たちとの分業制を敷いていることを指摘され「お前は俗物だ。だからこそ人の心を動かせる像を彫れる」と断じられたことで、弟子を介さず自分一人で義時ににせた仏像を彫ることになる。その後最終回で無事像が完成するも、義時の怒りを買って捕縛されてしまう。捕縛されて義時の前に突き出された時も「お前さんに俺を殺すことはできないさ」と嘯き、義時に「殺すまでもない」と釈放されている。

相島は『平清盛』で九条兼実を演じている。


頼朝挙兵のおり、4人の息子とともに駆けつけた老将・佐々木秀義の孫にあたる。

意識不明の重体になった頼家を診察、汗をかいてることに望みがあることを報告するが、評定衆は意識を取り戻すことがないと判断、(彼のせいではないが)北条家と比企家の内乱を招いてしまう。

比企家滅亡後、時政・義時親子が主導する評定衆が頼家の後継に千幡(後の源実朝)を決しようとしたころに、「頼家が目を覚ました」と無邪気に報告する。

頼家が助かったことを聞いた時政に陰ながら「余計なことしやがって」と言われ、比企一族が北条一族に誅殺されたことは知らされておらず、実際には一族とともに殺害された一幡の母・せつが流行り病にかかっていると聞かされたときには「そんな話は聞いてない」と驚いていた。

39話では実朝の天然痘を診察し、完治したことを無邪気に喜び、あばたを気にする実朝に何度もあばたを触らないように注意していた。

最終話では昏倒した義時を診察し、義時の体調不良の原因が「麻の毒」であることを突き止めた。

実在の人物であり、名前は善住とされる(クレジットでは「医者」とのみ表記)。


運慶に御本尊となる仏像の制作を依頼する。


  • 小六(演:中村大輝)

一ノ谷の戦いの際に義経たちの道案内をした狩人。『平家物語』の鷲尾三郎に相当する人物。しかし、三郎と違い義経の家来にはなっていない。


元興福寺の僧兵。里の手引きで義経と静を襲撃するが返り討ちにされた。史実では頼朝の命で義経を襲撃(堀川夜討)し江田源三を討ち取るが義経と行家に敗れ処刑されている。


 和田義盛が通う老いた巫女。

占いの達人であり、義盛から食料などを施される代わりに何やら色々と占っているらしい。当初こそ胡散臭さ満点なその外見から実力を疑われていたが、泰時が「双六をしていると気が遠くなる」と言うと「何らかの因縁がある」と伝え(詳細は巫女の個別記事参照)、実朝に「雪の日に出歩くと災難が降りかかる」と伝える。

また、他人(朝廷と幕府)が自分の意思を無視して結婚を決めたことにとまどっていると伝えると、だれにでも起きることと教え、実朝の気を楽にしている。

和田合戦終結後、死傷者で溢れかえる鎌倉の路地に佇み、自分がかつて義盛や実朝に話した「鎌倉が火の海になる(※)」「死ぬ。みんな死ぬ」という予言が当たってしまったことに居た堪れないような表情をしていた。

その後、八幡宮に参詣する実朝の前に再び姿を表すが...?

※正確には炎上したのは鎌倉全体ではなく、御所周辺だった。


鎌倉の御所に務める女性。どこかで聞いたような声だが・・・?


  • 泉親衡

信濃国小県郡の武士。

閑院内裏修復の件などで不満を募らせつつあった御家人らを焚き付け、義時の暗殺を目論んだとされる「泉親衡の乱」の首魁とされる人物だが、その名を知る者は鎌倉でもほぼ皆無であり、広元が手を尽くして調べてもその素性はまるで知れぬまま霞のように姿を消したという、謎の存在でもある。親衡の誘いで計画に加わった和田義直ら曰く「とにかく熱い男」で、他人を煽動する術に長けた人物である事が窺われる。

作中描写のみならず、史実でも清和源氏満快流信濃源氏の流れを汲み源満快(実朝らの先祖である源満仲の弟)十世孫で小県郡小泉荘を拠点にしていたこととこの一件以外に事績がハッキリとは分からない人物である。本作ではその謎に満ちた部分を逆手に取って、朝廷からの命を受けた源仲章が御家人らを煽動するために親衡の名を用いた、という独自の解釈がなされている。史実では八田知家の三男・茂木知基も乱に関与している。


伊豆に流された北条時政の身の回りの世話をする女性。時政のことを通称の四郎から「しぃさん」と呼んでいる。


  • ウメ(演:石川萌香)

施餓鬼に訪れていた村娘。

自分達の元に訪れた政子に、「伊豆の小さな豪族の行き遅れがこんなに立派になって…憧れです」と自らの憧れの感情を伝えたが、あまりに「行き遅れ」を連呼したため、「ちょっとそれあんまり言わないで」と政子に言われていた。その様子から亀の前の縁者ではとの声もあったが不明。


第48回(最終回)のアバンタイトルに登場し、『吾妻鏡』を愛読していた三河国岡崎城を拠点とする戦国武将。2023年大河『どうする家康』の主人公。家康が登場した1564年当時は本多正信らが造反した「三河一向一揆」鎮圧後であり当時の名乗りは「松平家康」である。

なお、家康は頼朝を尊敬し安土桃山期には散逸状態にあった『吾妻鏡』の収集・刊行に当たるなど、同書の研究家としての草分け的存在としても知られる。また家康が当時としては異例の長命を保ったこと、大坂の陣豊臣秀頼淀殿母子を結果的に滅亡に追いやったことについては、同書を反面教師にしたのではという風説もある。しかし、後者については家康よりも三男で後継者の徳川秀忠が主導していたという説も強い。ちなみに次男の結城秀康は前述の通り結城朝光から続く結城氏の名跡を、五男の武田信吉は武田信義から勝頼・信勝まで続いた甲斐武田氏の名跡を継いだが二人とも早世したことで絶えている。


反響編集

視聴率編集

初回視聴率は17.3%で前作の「青天を衝け」、前々回の「麒麟がくる」を下回ったが、昨年スタートしたNHKプラス」での視聴ユニークブラウザ数は『青天を衝け』の2~3倍を記録した。

全話平均視聴率は12.7%で、「西郷どん」と並んだ。

全話総合視聴率は20.2%でこちらは前作を上回り、NHK公式の配信サイトである「NHKオンデマンド」ではなんとこれまで配信された全てのドラマ作品で史上最多の平均視聴数を叩き出した


SNS上では編集

  • 第1回のBSプレミアムでの放送(通称:早鎌)を受け、Twitter上では「#鎌倉殿の13人」のタグがついたツイートが世界トレンド1位となり、その後も21話連続でトレンド世界1位の座を確保。最終的には全48話中42話で世界トレンド1位を獲得した
  • 主演の小栗旬が撮影当時流行していた新型コロナウイルス予防のためのマスクに毎回メッセージを書いて来ており、中でも「全部大泉のせい」というメッセージはSNS上で大きく話題を呼んだ(メッセージの由来は個別記事を参照)。最終的には「SNS流行語大賞2022」にノミネートされた
  • 2022年12月5日に発表された「Yahoo!検索大賞2022」作品カテゴリー・ドラマ部門において、「鎌倉殿の13人」が1位となった。
  • 2023年2月7日の18時を以て、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」公式HPやInstagramやTwitterアカウントが閉鎖されることが発表され、ファンからの惜別の声が相次いだ。
    • その際、公式Twitterでは「#みんな武衛だ」というハッシュタグがつけられた。

その他編集

  • SNS上だけでなく、民放の番組でも鎌倉時代の特集番組が頻繁に組まれたり、これまで舞台中心で活躍していたキャストなどがバラエティに出てくるようになったりと、多大な影響を及ぼした。
  • そして遂に大晦日に放送された逃走中では、本作のタイトルと当時の逃走者の人数をかけたような「お台場殿の31人」というサブタイトル(?)がついていた(また、伊東祐清役の竹財が本編の逃走中で逃走者として出演している他、同日の生放送の逃走中でも平清盛役の松平も逃走者として、比奈役の堀田もスタジオゲストで出演している)。
  • 本作の脚本を手掛けた三谷幸喜は、「第七十回菊池寛賞」を受賞。贈呈式に出席した。

備考編集

キャスト・スタッフ編集

主人公・北条義時を演じる小栗旬は、子役だった頃より度々大河ドラマへの出演経験があり、本作と同様に平安末期~鎌倉初期を舞台とした『義経』(2005年)でも梶原景季を好演。8度目の出演となる本作にて初主演を務める事となった。

ほかにも三谷幸喜作品での常連ともいうべき出演者や、『義経』と同じく平安末期~鎌倉初期を舞台にした『平清盛』(2012年)からも複数の俳優が役を変えて出演している。


また例年行われていた、報道陣を前に十数名前後のキャストを一同に会しての発表が、新型コロナウイルス流行の影響で行い辛くなったのを逆手に取り、本作では2020年11月16日~20日の5日間にかけて、Twitterの番組公式アカウントにて脚本の三谷幸喜自らが一人ずつ小出しに発表するという異例のスタイルが取られた。

発表に先立って11月13日には、主演以外の24名を空欄とした人物相関図も公開されており、これによりファンによるキャスト予想も盛り上がった他、番組公式アカウントのフォロワー数も放送開始まで1年余り前の段階にして5.3万人(20日16時時点、当時放送中の『麒麟がくる』公式アカウントの1/3に相当する)に登るなど、「キャスト発表をSNSを通じたイベントにしよう」という制作陣の意図は一定の成果を上げた。

その後も第〇次出演者発表という形で出演前の新たな登場人物をクローズアップする企画は続けられている。

出番を終えた演者へのインタビュー企画「かまコメ」も公式ツイッターで公開されている。


異例の配役としては、安徳天皇を演じる相澤智咲、幼年期の後鳥羽天皇を演じる尾上凛は、両者とも女性である。

OP・ナレーション編集

  • 真田丸と同じく、オープニングの終わりにナレーションであらすじが読まれる形式を採用している。
  • ナレーションを務める長澤まさみは「登場人物たちの隣の部屋で囁いているような風に」という要望を受け、静かめに読む方式を取っている。
  • 真田丸同様、3D地図をコーエーテクモゲームス(OPテロップではシブサワ・コウ名義)が提供・監修を行っている。

各話・関連ネタ編集

  • 第一話はコミカルなやり取りが途中で一変、シリアスなえげつない描写が差し込まれる、終了直前に流れた音楽が鎌倉時代とはかけ離れたドヴォルザークの『新世界より』が流れるなど、大河ドラマとは思えない挑戦的な演出が注目された。
    • ちなみに作中では他にも様々な有名な楽曲が使われており、義経出立のシーンでは同じくドヴォルザークの『家路』が、政子を中心とした女性同士の戦いではヴィヴァルディの『四季』のうち第4曲『』流れた。そして終盤には、モーツァルトレクイエム(「怒りの日」の通称で知られるあの曲)が使用された。
    • なお、本作の作曲を担当するエバン・コール氏は「戦姫絶唱シンフォギア」(アニメ2期「G」および3期「GX」)や「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」(アニメ版・劇場版ともに)などアニメ作品の音楽も多く手がけたことがあることもあって話題となった
    • この他にも初登場する人物には一瞬映像を止めて名前を紹介したり、各回の終了付近で裏方スタッフ表記が行われるという民放ドラマのような演出も使われている。
    • 話が進むとともに映像の明るさや色彩を減らしたり、主人公義時の服装の変化(若草色から少しずつ黒くなっていく)や目のハイライトを見えにくくするという形で物語が陰湿なものとなっていく様子が表現されている。
  • ちなみに松平健と西田敏行は『暴れん坊将軍』(テレビ朝日)と『八代将軍吉宗』(1995年大河)で徳川吉宗を演じたことから「吉宗対決」とネタにされてるが、実は二人とも先述の通り過去の大河ドラマで義時を演じている。また山本耕史もBS朝日の『紀州藩主徳川吉宗』(2019年)で吉宗を演じ、佐藤B作は『暴れん坊将軍Ⅲ』で吉宗と関わり深いめ組の小頭・半次郎を演じている。さらに尾上松也は『八代将軍吉宗』少年時代の吉宗こと松平新之助(暴れん坊将軍における徳田新之助の元ネタ)を演じ、坂東彌十郎は『暴れん坊将軍Ⅱ・Ⅲ』で悪役として登場し「成敗」された過去があったことを発掘された。
  • ここ最近恒例となっている声優の顔出し出演枠は木村昴、平田広明、緒方賢一、関智一、山寺宏一と例年に比べても多めである。木村はテレビ朝日版『ドラえもん』の二代目ジャイアンとしても有名なせいか、SNSでは「ジャイアン王」、「周囲を無理矢理挙兵に参加させたのでは?」、「歌えば勝てたんじゃないか?」→「マツケンサンバ相手では分が悪い」などジャイアンネタで盛り上がった。他にも「(和歌も韻を踏むので)ラップバトルなら勝てたんじゃないか」という声もあった。また、アニメ『平家物語』にも平知盛役で出演しており、「自分(以仁王)が、自分(平知盛)の一族を討て」と命令し、返り討ちにあっていることが話題になった。
    • 第10回に登場した平田も『ONEPIECE』のサンジなどで有名なため当然のようにサンジネタなどが出た。出番はほぼ一瞬であったが、公式インタビューによれば「時代劇で切られ役をやるのが夢だった」と語っており、充実した時間を送れたそうである。
    • 第七次出演者発表にて土御門通親役として関智一の出演が発表されると「ジャイアンに続いてスネ夫も参戦か」と話題になった。また土御門(つちみかど)は「土門(どもん」と読めることから、そちらのネタでも盛り上がりを見せた。ちなみに登場時に対面していた九条兼実を演じていたのは本職はお笑い芸人であるココリコの田中直樹で、ドラマらしからぬ異色の競演に驚いた視聴者も多かった。
    • さらに、第七次出演者発表では後鳥羽上皇の側近である慈円役として山寺宏一の出演が発表。発表時には、twitterのトレンドになるほど話題となった。なお、発表の際のコメントによると山寺の小学生の頃のあだ名は「和尚さん」だったらしい
    • 今作は大河ドラマ史上初の「最後の一人になるまで終わらないデスゲーム(バトル・ロワイアル)」であり、OPの映像や主人公のアウトレイジ化も含めて「Fate/Zero」との類似を語られることも多い。関智一が両者に共通して出演していることも拍車をかけている。
    • ちなみに声優業ネタに限って言うなら本作に俳優出演した声優の中には声優業が非本職のキャストとの共通点を持っている者も居り、例えば関智一と緒方賢一と尾上松也と平田広明の4人は互いに『プリキュア』シリーズへの出演経験有り(平田だけ映画作品のみの出演である)、他だと中川大志と木村昴と山寺宏一の3人は共に『ソニック・ザ・ムービー』シリーズのメインキャストを張っている(この辺はゲーム本編に出ている関智一も入れれば『ソニック』シリーズ出演声優が4人も居ることになる)。
  • お笑い芸人の出演者も比較的出番が多く、目立つ活躍を見せている。
    • 仁田忠常を演じるティモンディの高岸は序盤から出演し、ドラマ初出演でありながら伝令役や殺陣のシーンといった見せ場があり、視聴者たちを驚かせた。
    • ココリコの田中も朝廷側の重鎮である九条兼実を演じる。ただし、後白河法皇に振り回され気味な場面もあったせいか、「タイキックを申し付けられそう」とネタにされた。
    • 北条朝時を演じるスーパーサイズ・ミーの西本たけるは高岸同様、ドラマ初出演ながらしばしば見せ場がありグランドフィナーレでは司会を務めた。
  • 第3回に登場した源頼政は審神者の間で話題となった。彼は鵺退治の伝説でも知られ、その褒賞で朝廷から下賜されたのが太刀の「獅子王」である。ちなみに、『刀剣乱舞』に登場するこの剣がモデルになったキャラクター獅子王のいう「じっちゃん」とはこの頼政を指す。
  • 一方、三谷作品のファンには西田敏行が演じる後白河法皇が頼朝の夢の中で現れるシーンは『ステキな金縛り』の落ち武者幽霊を彷彿させると話題にされた。
  • 1月22日、金曜ロードショーで『新解釈・三国志』を地上波初放送、劉備=源頼朝⇒大泉洋、曹操=北条義時⇒小栗旬、董卓=比企能員⇒佐藤二朗、蘇我宗光(語り部)=後白河法皇⇒西田敏行、というキャストとコミカルな演出が話題になった。
    • さらに岡本信人は「人形劇三国志」で、浅野和之も歌舞伎の「新・三国志」でいずれも曹操を演じたため小栗と含めて曹操が三人と言われた。
    • 中村獅童も赤壁の戦い(戦場は川だが壇ノ浦と同じく水上戦)を扱った映画『レッドクリフ』にの武将・甘興(甘寧がモデルの架空の人物)役で出演したことがある。
  • 第5回ではついに頼朝が「目指すは鎌倉!」と力強く宣言。多数のどうでしょう藩士が歓喜した。
  • 石橋山の戦いで勝敗を分けることになってしまった酒匂川の氾濫だが、この河川由来の軽巡洋艦を知る提督たちからは「三浦勢をぴゃーっと足止め」「酒匂に足止めされたら義澄も小四郎(義時)、すまんと言うしかない」と話題になった。なお、この時代はまだ酒匂川ではなく、「まりこ(鞠子または丸子)川」と呼ばれていたようである。その後義経の平宗盛護送時にも酒匂に関係する地名が登場している。
    • 他にも「成長著しい金剛」というテロップ登場時には「金剛改二」とネタにされた。

坂東のチベスナ

  • 第6回で頼朝を裏切り降参することを考えるも、頼朝と再会時に掌を返して無事を喜んだ時政に義時は冷ややかな視線を向けていた。
  • 下記の項目に詳しいが、頼朝を演じる大泉洋は『水曜どうでしょう』の企画で鶴岡八幡宮を訪れており、第八回「いざ、鎌倉」ではその鶴岡八幡宮を建てる側になるという不思議な縁になった。また、この回が放送された2月27日は近年大泉の代表的ネタ(?)となっている「またしても何も知らない大泉洋さん」が誕生した日でもある
  • 頼朝の弟である義経を演じる菅田将暉は実写版『銀魂』2作で小栗旬演じる万事屋のリーダーの相棒兼ツッコミのメガネを快演したこともあって、本格的に登場するまでは「周囲に振り回されがちな義時を支える貴重なツッコミ役になるのでは?」と囁かれていたが、登場した義経は別ベクトルでツッコまれる側の人間だったことが判明した。義時の苦難は続く。
  • またTBS日曜劇場半沢直樹』シリーズに登場する演者も多いが、特に伊佐山泰二役の市川猿之助や黒崎駿一役の片岡愛之助はその方面でもネタにされている。

時政パパ

  • 第9回「決戦前夜」における富士川の戦いはまさかの展開で難を逃れる形になったが、当時の記録である『吾妻鏡』で奇襲をしようとした平家軍が水鳥が一斉に飛び立った羽音で慌てて撤退した史実を基にしており、ちゃんと時代考証がなされた結果である。ただ、その水鳥が飛び立った原因が義澄と時政の喧嘩だったため、「じじいのピタゴラスイッチ」と視聴者にネタにされた。
  • 大泉は自身が出演するローカル番組『おにぎりあたためますか』にて、山わさびチャーシュー丼を食べてリアクションを求められた時「俺、源頼朝やってるんだぜ…」と扱いが悪いことをぼやき、更にその後「俺が大河ドラマやってると真面目に見られないって人が続出してる」と前作真田丸同様の現象を認知していることを告白した。
  • 第10回では佐竹攻めの映像にカメラマンが映ってしまうハプニングが発生。映っていたのはごく僅かであったが、「タイムスクープハンターの取材班?」とTwitter上で話題に。なお再放送時には修正されている。
  • 大泉洋と浅野和之は同年4月の月9『元彼の遺言状』でも共演しており、ネプリーグに番宣で出演した時に2人揃ってネタにされた。第8話では大泉演じる篠田敬太郎が殺人事件の容疑者として逮捕され、浅野演じる津々井弁護士が篠田の身元引受人にされるという、大河ドラマにおける頼朝と祐親の関係を彷彿させる場面があった。
    • 次のクールで月9枠に放送された『競争の番人』は小池栄子(政子)、山本耕史(義村)、坂口健太郎(泰時)とまたもや鎌倉殿のメインキャストが出演しており、 さらに10時には『魔法のリノベ』で金子大地(頼家)と北香耶(つつじ)も近しい関係で出演しているため、鎌倉殿ファンの間で注目された。

鎌倉殿のらくがき1

  • 第15回は頼朝の鎌倉奪還に一役買い、その後も何かと義時や頼朝の力になった上総広常が頼朝に謀殺されるという衝撃かつ非常に重い話であるが、少し前にインタビューにて義時演じる小栗旬の「全部大泉のせい」と書かれたマスクはこの伏線だったのかと再び蒸し返された。また、この謀殺直前に広常は双六をしていた。

上総介さん絵まとめ

  • あまりにも存在感があった為か、この放送の後はSNSやpixivでも彼の死を悔やむ声が多く、「#上総介を偲ぶ会」といったハッシュタグも使われている。
  • 「鎌倉殿」製作陣もこの反響の大きさは把握しており、10月9日に放映された裏話トークSPでは広常役の佐藤がVTR出演したほか(収録時点で)「#上総介を偲ぶ会」のツイートが3万件投稿されていることが明かされた。
  • 三谷は事前に掲載された新聞のコラム記事「三谷幸喜のありふれた生活」にて、「平家との戦いに関わっていないために、頼朝再起時の重要人物ながらこれまで飛ばされがちな存在であった広常をできる限りフィーチャーしたかった」と語っており、そのために木曽義仲討伐に対する坂東武者の反乱と始末される広常の話を創作したとのことである。
    • ちなみに佐藤浩市は同じく三谷大河作品である『新選組!』にて良くも悪くも主人公を大きく成長させる人物芹沢鴨を演じており、同じような狙いがあったと思われる。
  • 第16回では土肥実平・和田義盛・北条義時・梶原景時・源義経の5人が木曾義仲との合戦の様子を自ら手書きの報告書にしたためて京都から鎌倉の頼朝へ送ったが、その紹介が大江広元による報告書の悪い見本・良い見本のレクチャーになっていた。
  • 同じNHK系列で、比企能員演じる佐藤二朗が司会を務める歴史番組「歴史探偵」でも大河ドラマとタイアップして義経の素顔や壇ノ浦の戦いの真相に迫る放送回を設置。また、ゲストとして範頼役の迫田孝也が出演した。
    • なお、義経の素顔に迫る回で記録に残る義経像から新たに義経の姿を描き起こすという企画の一環として佐藤演じる能員と迫田演じる範頼の姿がイラスト化されたのだが、能員のイラストがそのまんま佐藤二朗だったので、スタジオで総ツッコミを食らっていた。
    • 後に北条政子を扱った回も6月15日に放送され、小池栄子がVTR出演した。政子の周囲の人物には大河ドラマにおける演者の顔写真を使う演出が成された。
    • 7月20日に鎌倉バトルロイヤルの題名で頼朝没後の御家人の権力争いが放送され、山本耕史がゲスト出演した。内容は曽我兄弟の仇討ち、比企の乱、北条時政の追放が扱われた。
    • 10月12日は源実朝がテーマとなり、実朝役の柿澤勇人がゲスト出演した。なお、柿澤は大河ドラマで佐藤二朗と直接共演はしていない唯一のゲストである。
    • 11月2日は後鳥羽上皇と承久の乱が扱われたが、残念ながら大河ドラマからのゲスト出演は無し。
  • 「歴史探偵」同様、NHK系列で放映されている歴史上の人物たちの知恵に迫る番組「知恵泉」(ちえいず)でもドラマも終盤となった11月22日放送回で「鎌倉殿」とのタイアップを行い「『鎌倉殿の13人』のその後のお話」と銘打って三代執権となった泰時の治世や御成敗式目制定を取り扱った。また、この回と次の元寇の回のゲストは時政を演じた坂東彌十郎で、泰時の功績を嬉しげに眺めるなど「鎌倉殿」視聴者にはじんわりくるシーンが多かった。
  • 一ノ谷の戦い壇ノ浦の戦いは合戦シーンがあったが、屋島の戦いは第18回のナレーションで済まされてしまい、那須与一扇の的も無かった。
    • ドラマの展開は概ね『吾妻鏡』を第一資料としている節があり、そこに記載のなかった与一はあえてクローズアップしなかったとも考えられる。

なんとなく描いてみました

  • 三浦義村役の山本耕史氏は、同時期に劇場公開された『シン・ウルトラマン』にてメフィラス役を務めており(撮影時期的には本作の方が後である)、ファンの間では何かと両者が比較されることが多い(→メフィラス義村)。
  • 義経の最後のシーンは外で弁慶が戦っている様子を壁の穴から覗き見しながら歓声をあげるというもので、直接の死亡シーンは描かれなかった。同様に、弁慶も有名な立ち往生のシーンは今作では描写されずに終わっている。ただ、義経はともかく、弁慶と言えば立ち往生の逸話があまりにも有名であることもあり、この演出には残念がる声も相次いだ。
  • 時房役の瀬戸と全成役の新納は、かつて仮面ライダーキバで瀬戸が主人公の紅渡を、新納が組織の首領であるキングを演じていた。また同時期に放送された上記の歴史探偵には渡の父・音也を演じた武田航平平知盛役で出演している。なお、江間次郎役の芹澤興人や朝比奈義秀役の栄信はかつての配下であった。
    • 上記の顔ぶれ以外では伊東一族の大半が仮面ライダーシリーズで主要人物を演じており、他にも菅田将暉や山本耕史といったライダー俳優が多数出演している。→仮面ライダー大河
  • 第23回ではついに金剛(のちの泰時)の演者が子役から坂口に変わったのだが、第22回との作中での時間経過は1年にも満たない。まあこの辺は大河ドラマではよくあることではあるのだが、本作では急激な外見の変化を成長著しい金剛」のテロップ一つで済ましたため、視聴者は腹筋を試されることとなった。
  • この回で頼朝が比奈の寝室をこっそり訪ねるシーン、実は大泉の体調不良とスケジュールの調整が合わなかったため、小栗が代役で演じていることがウラ話トークSPで明かされた。なお、大泉と小栗が同番組で明かすまで気づいた視聴者はおらず、大泉の背格好や歩き方まで完コピした小栗の演技力の高さは視聴者から絶賛された。
  • 第25回は、頼朝の体調が急変し、落馬したところで放送が終了する(その次の回で死去)。この落馬直前の描写は先述の通り、脳卒中と思わしき描写が多いのだが、それに関連してか同エピソードでは見返すと同じく脳卒中の症状なのでは?という描写が見られる。
    • 眠れない頼朝:脳血管障害の症状の一つとして睡眠障害がある
    • 比企一族との謁見を済ませた際にふらつく:脳卒中の初期症状に足のもつれがある
    • 餅を喉に詰まらせる:脳卒中の初期症状の一つとして嚥下能力の低下がある
    • ちなみに公式ガイドブックのコラムでは、征夷大将軍就任後の頼朝が贅沢な生活のせいで糖尿病を患っていた可能性について解説されていた。糖尿病は当時の貴族階級ではよく見られる病気であり、あの藤原道長も糖尿病を患っていたとされる。もっといえば、道長は「第15回国際糖尿病会議」の記念切手に印刷されている。糖尿病になると血液がドロドロになり、それにより生じた血栓が脳卒中を引き起こすともされているため、頼朝が糖尿病だったとしたら脳卒中を発症してしまうことも筋が通っている。
    • また、第27回冒頭では後鳥羽上皇が「頼朝は上洛の際大量に水を飲んでいた」と指摘し、直後に「飲水の病(=糖尿病)といえば御堂関白(=藤原道長)」と言っていることからも、本作における頼朝の死因は「糖尿病による脳梗塞、およびそれに伴う落馬」であるという方向で間違いないだろう。
    • ちなみに頼朝が死亡する直前、主人公義時にはやや不自然ともとれる行動がいくつかあり、視聴者の間では義時が暗殺しようとしていた説も唱えられていた。ただし、義時が暗殺を考えている直接的な描写は皆無で、後のインタビュー記事でも「頼朝は静かに死なせてあげたかった」という公式のコメントから、この説はやんわりと否定されている。
    • こういった現代人にもなじみのある病で権力者が苦しむ様子は『真田丸』の豊臣秀吉認知症と思しき症状)でも描かれたことがある。
  • 頼朝の危篤状態に前後して大泉洋の実兄である大泉潤氏が北海道函館市の市長選に出馬を表明しており、鎌倉殿ファンからは「いざ鎌倉ならぬ、いざ函館」「鎌倉殿の兄が函館殿」「弟は落馬、兄は出馬」と本作をネタにしながらも応援する声が上がっている。
    • 大泉潤氏の出馬は話題性もさることながら、本人も函館市役所にて秘書課長、観光部長、保健福祉部長などを勤め上げ、長らく函館市の為に働いてきた歴戦の将(公務員)でもある。
    • なお、結果については2位に圧倒的な大差をつけて当選している
  • 後鳥羽上皇を演じる松也と北条政範を演じる中川は2017年の大河『おんな城主直虎』にて今川氏真の青年期と少年期を演じていた。その繋がりか上皇が土御門通親からの報告を聞いている間、器用に蹴鞠を続けているシーンがある

鎌倉殿絵7

  • 第29回では幼馴染の初から「真面目すぎて面白みがない」と言われ凹む泰時に対し、義時が「いいことを教えてやろう。女子というものはキノコが大好きなのだ。」と自信満々にアドバイスするシーンがあるが、これをみた多くの視聴者から「義時お前八重さんの何見てきた?!」「八重さんとはキノコで結婚できたわけじゃないんだぞ?!」と総ツッコミを喰らうことに。殺伐としていたエピソードに久々の笑いを提供した。
    • なお、泰時が持ってきたお土産のキノコは(やっぱり)初に全部突っ返された。それを聞いて「えっ?!」とかびっくりしてんじゃねーよ義時...。
      • さらに第34回の予告では義時と対面したのえが「きのこ!私大好きなんです!!」と言ってたことから「義時、やっときのこ好きの女子に会えたね...」と祝福するコメントが相次いだが、「一人が好きだからって女子全体がきのこ好きってことになるんじゃないからな」と手厳しいコメントも。中には「もしかして、のえ殿...?」と邪推する視聴者もいたが...
      • 結果として、同話数の作中では一度のえが喜んでキノコを受け取ったあと、「実はキノコ嫌いだから」と侍女たちにキノコを分け与えており、一部の視聴者の邪推通りやっぱりのえ殿であることが判明した。そして同時に、義時が信じていたキノコ伝説は、ここでも打ち砕かれる形となった。
      • 詳細な内容と、最終回で明かされた真相についてはこちらから→おなごというものはな、キノコが大好きなんだ
    • 同じく第29回では、古井戸に落ちた知康を救出するために「何か縄のようなものを!」と頼家と義時が周囲を探し回り、縄を見つけた頼家が「縄のようなものはなかったが縄があったぞ!」と言ったり、「偶然」その場にいた全成が「手伝います!」と言ったはいいがお経を唱え出したのを義時が「お経はいいから鎌倉殿を!」と決死の形相で諌めたりとクスリと笑える場面が多かった。また、時政の盟友である三浦義澄が死の床で「待っていたぞ四郎(時政)...一緒に逝こう!」ガシッ→ぽっくり〜した場面は視聴者の笑いを誘うとともに、長く北条の盟友を務めた彼の退場を惜しむ声が集まった。
  • 第31回でせつがトウに殺害され退場したシーンについて、せつ役の山谷花純とトウ役の山本千尋は手裏剣戦隊ニンニンジャーでそれぞれ百地霞/モモニンジャー役と高坂キキョウ役で共演しており、「ニンニンジャー」を知るファンから「霞姉(モモニンジャー)がキキョウに倒された」、また非公式ながらキキョウは従兄の妻という演者公認の設定があるため「霞姉がタカ兄の嫁に...」との声が上がった。ちなみにこの回には関係ないが、平知康役の矢柴俊博も伊賀崎旋風役(百地霞の叔父、伊賀崎天晴の実父にあたる)で出演していたりする。そして放送終了後、山谷花純と山本千尋は新空港占拠でも鶏/重原瀬奈役と羊/浜松詩役で再び共演している。

大泉頼朝、謝る

  • 8月16日には三嶋大祭りの「頼朝公旗挙げ行列」にて大泉洋、野添義弘、迫田孝也、高岸宏之といった鎌倉殿メンバーが登場(ちなみに、このときには4人とも『鎌倉殿の13人』ドラマ収録は終えている)。大泉扮する頼朝は「源頼朝役でこの度やってまいりました大泉洋でございます」と聞き覚えのあるトーンで自己紹介をした後、この場を借りて「範頼(迫田)、ごめんね」と劇中での理不尽な仕打ちを謝罪し、会場を大爆笑させたその当時の映像)。
    • なお、頼朝挙兵の収録は2021年の三嶋大祭りの日に行われたらしい。
    • また、こちらの前には4月3日静岡県の湯河原町で行われた土肥祭では土肥実平を演じた阿南健治氏がドラマの甲冑姿で出演していた。
    • 10月23日には上田市丸子地区で木曾義仲挙兵武者行列が行われ、義仲役の青木崇嵩、以仁王役の木村昴、兼平役の町田悠宇が登場(役柄上行列では青木と町田は馬、木村は輿で移動していた)。また、トークショーでは範頼役の迫田も参加した。
    • 10月29日には三嶋大社で行われたトークショーに実朝役の柿澤勇人と広元役の栗原英雄が登場した。
  • 33回のタイトルは「修善寺」だったのだが、
    • 自分を好いてくれる一幡に手をくだせなかった
    • トウを義時にも紹介した時に自らが言ったように老いを自覚していた
    • 33回の予告編で、宗時の持っていたお守りを奪っていたのが義時・時房にバレる
    • トウの正体に関する推測
  • と、これでもかとフラグが立っていたので、33回は善児退場回、「修善寺」ならぬ「終善児」になるのではないかと囁かれていた。誰がうまいこと言えと。
    • 視聴者の大方の予想通り、33回で善児は退場。その退場を悼み、慈円役の山寺が善児を演じた梶原がプロデュースしたスタッフ用「善児Tシャツ」を着た姿をtwitterにアップ。なお、このTシャツには「I Ki ll」という文言と筆を手にした善児の姿が描かれているが、この文言はそのまま「I kill=やっちまうぞ」の他に「I(イ)Ki(キ)ll(ル)=生きる」とも読めるという凝ったデザインとなっている。多くのファンがこのTシャツのデザインを称賛し購入を希望したが、残念ながらスタッフ用の非売品である。それでもなおこのTシャツのことでファンは盛り上がりついにトレンドに「善児Tシャツ」が載った
  • 33回で、義時と再会した運慶が「いつかお前のために仏様を作りたい」と言っていたが、【吾妻鏡】によると大倉薬師堂(現在の覚園寺の大本となった義時建立の御堂)に安置されていた薬師如来像と薬師十二神将像は運慶作とされている。ただし、運慶作の仏像たちは火災などで失われ、現在の覚園寺に安置されている薬師三尊像や十二神将像はのちの時代に再建されたものとされている。
  • 源実朝役の柿澤勇人が初登場した34回の鎌倉殿紀行で紹介されたのは奇しくも柿澤が「平清盛」で演じた以仁王の邸宅跡だった。
  • 第38話で時政が事実上物語から退場した二日後、時政を演じた坂東彌十郎は歌舞伎仲間の市川右團次と共に芸能人格付けチェックに参戦。あろうことか松茸を当てる問題でいきなり不正解になるなどキノコ好きな小四郎に顔向けできないミスをしてしまう。しかし、外したら大河出禁とプレッシャーのかけられた本物の兜とお菓子の偽物を見分ける問題では「悩むなぁ~」と時政口調を披露しながらも見事正解した
    • 最終的な結果はそっくりさんだった。
  • 2022年11月9日夜、twitterで突如「八重さん」がトレンド入り。これは当時観覧者募集中だった緊急開催!「#鎌倉殿の13人」ファンミーティング八重役の新垣結衣の参加が突然告知されたからである。なお、このファンミーティング、登壇予定なのは司会の迫田孝也(源範頼役)、エバン・コール(作曲家)に加え、義時役の小栗旬と泰時役の坂口健太郎である。坂口に至っては劇中では果たせなかった成長した姿での親子共演がやっと果たされるということもありファンは熱狂した。
  • 10月21日から放送された『クロサギ』のキャストの多くが『鎌倉殿』と被っており、レギュラーでは坂東彌十郎と山本耕史、ゲストでは新納慎也、八木莉可子、栗原英雄、たかお鷹、さとうほなみが出演している。
  • 12月17日に放送された『ザ・細かすぎて伝わらないモノマネ』にて亀の前事件・比企の乱をネタにした「鎌倉殿」オールスターズ(政子・実衣・義経・全成・時政・りく・能員・忠常・頼朝)が登場し、オチで登場した頼朝役の都留拓也が優勝した。これにドラマでの全成役だった新納が感謝のコメントを発しており、モノマネで全成を演じたむらせがこちらも新納に感謝の返答をしている。翌年冬の選手権では朝時役の西本たけるが出演した。
  • なお、最終回の放送はM-1グランプリと被った。
  • 大晦日に行われた『第73回NHK紅白歌合戦』では頼朝役の大泉洋が引き続き司会を務め、時政役の坂東彌十郎が審査員として出席。仁田忠常役の高岸宏行もなかやまきんに君と共に紅組トップバッター天童よしみの舞台セット「宝船」を引っ張る役として登場している。そして、ゲストとして小栗旬が出演し、後継の大河ドラマ『どうする家康』へのバトンタッチ会が行われた。その際に、小栗と大泉は「佐殿」「小四郎」と呼び合っており、大泉はおまえ、おれの一族みんな殺しちゃったなと悪態をついていた。
    • また、このセレモニー前には脚本の三谷幸喜も何故か日本から遠く離れた南国?から出演した。さらに『草燃える』の頼家役で『信長』の家康役だった郷ひろみも白組メンバーとして登場し(鎌倉殿の)頼朝と(草燃えるの)頼家が邂逅したとか言われたり、松本とセットでダブル家康扱いされたりした。
  • 翌年1月2日に放送された正月番組『とんねるずのスポーツ王は俺だ』ではゴルフ対決のゲストとして北条義時役の小栗旬が参戦。名物の浮島キャッチ対決ではキャッチング部隊に仁田忠常役のティモンディ高岸が常連として加わっており、番組内でも上記のラパルフェ都留が頼朝役の大泉の真似をするなど鎌倉殿を彷彿させる演出がいくつも見られた。
    • なお、この時石橋貴明の提案で小栗が打つときは「出陣じゃー!」とコールすることになったが、実は本編ではほとんど言っていない台詞だったりする。

史実の合戦や事件の展開・演出について編集

三谷作品ではよくあることだが、大事な場面での秘策が誰かの大ミスで台無しになったり、逆に作戦的に見ればどうでもいいはずの行動が逆転や危機回避のきっかけになったりするなど、何とも締まらないが野村克也の名言「勝ちに不思議の勝ちあり」を地で行く変なところでリアルかつ予測不可能な展開が多い。また、結果は史実通りでも「曾我兄弟の仇討ち」のようにそこに至るまで過程や動機が通説とはかなり変則的な例もあり、史実を知る視聴者でもその斬新さを感じる作りとなっている。そんなこともあって、常時周囲に振り回されっぱなしという立ち位置にいる本作の主人公義時、その子は泰時、ある意味視聴者の気持ちを代弁しているともいえる。

そして最終的に、【吾妻鏡】の作者である何某達は、【吾妻鏡】に書いてある内容での編集作業に追われる日々を送ると言う事が確定している。


鎌倉殿どうでしょう編集

原付日本列島制覇

鎌倉殿④

  • なお、第23回の富士野の巻狩りでは、獲物がシカだったり、インチキを仕込んだりと、いつも以上に鎌倉殿どうでしょうに繋がるようなネタが満載だった。無論TLは祭り状態となった

鎌倉殿大喜利編集

センシティブな作品

「鎌倉殿どうでしょう」に代わってファンの間で行われるようになった大喜利…というか集団幻覚というか…。

詳細はリンク先を参照。

ちなみに、姉妹タグ(?)に最終回放送の1週間後にトレンド入りした「鎌倉殿の13人第49回」がある。


鎌倉殿流行語大賞編集

世間が「流行語大賞」を決める時期になり、それに乗っかって武衛たちの間で行われた一種の大喜利的な何か。


王様のレストラン編集

登場人物の名前がこの時代の人物から取られており、染五郎の祖父である松本白鸚(当時は幸四郎)が主演を務め、鈴木京香・梶原善・野仲イサオ(当時の芸名は野仲功)が出演していた。


鎌倉殿の19人編集

本作のタイトルである『鎌倉殿の13人』は、その発表当時からメンバーである13人が揃うことは殆どない、として度々視聴者間ではイジられていた。

  • 頼朝の死後、いよいよ本作の本章と言うべき「十三人の合議制」が始まるが、その初回である「鎌倉殿と十三人」のラストは新たな鎌倉殿である頼家が十三人の集合した場面で更に自分と年の近い若手六人を連れてきて鎌倉殿の19人となってしまう衝撃的なオチとなった。
    • 続く第28回ではいきなり中原親能が鎌倉を離れ、梶原景時も失脚(この回ではまだ死亡していないが、政務から完全に外された)したため、早くも「鎌倉殿の11人」になった。
    • さらに続く第29回では景時の死亡が確認され、加えて間を置かずに三浦義澄と安達盛長が相次いで病死したことにより、「鎌倉殿の9人」になってしまった。このことは第30回でも足立遠元が言及している。第31回で比企能員が死亡したため8人になった。ちなみに比企の乱とその事後処理に伴い、前述の頼家が連れてきた「6人」も事実上空中分解している。
    • さらに第36回で足立遠元が自身の所領に戻ったため、7人になった。
    • また更に第38回で北条時政が伊豆に追放されたため、6人になった。
    • 更に更に第41回で和田義盛が戦死したため、5人になった。
    • そして第42回では、二階堂行政が既に隠居の身であると明言され、さらに八田知家も造船計画への参加を最後に隠居を宣言し、3人になった。
    • 結果、承久の乱が勃発した第47回の時点で、未だ現役として残っている「鎌倉殿の13人」は執権の北条義時、それに文官の大江広元と三善康信のみ。そして、最終回では承久の乱を経て三善康信(作中では描写されず)、さらに義時も他界し、最後に残ったのは大江広元のみとなった。

・・・その最終回「報いの時」では、『鎌倉殿の13人』というタイトルに隠されていたもう一つの意味合いが、衝撃的な結末とともに浮き彫りにされる格好となったのである。


他の大河ドラマ・別作品などとのつながり編集

  • 草燃える
    • 第1回で女装して逃亡する頼朝の衣装は、『草燃える』で政子を演じた岩下志麻が着ていた衣装と同じ柄である。
    • 比企能員を演じた俳優の苗字が同じ「佐藤」。
    • 二階堂行政を演じた俳優の名前の読みが同じ「いさお」。

  • 平清盛
    • 骨太な内容から今なお多くのファンを抱える『清盛』だが、終盤の40話台で描かれたの時代がちょうど、本作の20話辺りまでで描かれた範囲(頼朝挙兵〜平家滅亡)と重なる。そのため、『清盛』ファン(通称「海の底の民」)が両作に出演しているキャストについて盛り上がることもあれば、ちょっとした作中の言動から『清盛』を思い出して盛り上がるということが頻繁に起きる。
    • 『鎌倉殿』で後白河法皇が双六に興じた際には、もちろん海の底の民は大興奮。その上でさらに、「あやつ(行家)と双六をしても面白うないわ」とぼやく法皇に対して、「そりゃゴッシーの相手はあの人しかいないもんね」と深く頷く海の底の民も続出した。
    • 第25回が放送された2022年6月26日、つつじの件に絡んで源為朝の名が登場し海の底の民は歓喜した。さらに翌週の7月3日は偶然にも『Fate/GrandOrder』で源為朝がプレイアブル実装され、Twitterのトレンドにも「為朝」「鎮西八郎」「源氏ロボ」「ガンダム」といったワードが上ってきたため、鎌倉殿視聴者とFGOプレイヤーが混乱するという事態になってしまった。

  • 太平記』・『逃げ上手の若君
    • 義経が義時に披露した鎌倉攻略作戦に、『太平記』第22回「鎌倉炎上」や漫画「逃げ上手の若君」の冒頭を想起させられたという視聴者も続出した。しかもその作戦が披露された第20回の放映日である5月22日は、新田義貞による鎌倉攻めで義時の子孫である北条高時らが切腹し鎌倉幕府が滅んだ日(旧暦)でもある。
    • 『鎌倉殿』最終回における義時と政子のやりとりを『太平記』最終回における足利尊氏足利直義兄弟に重ね合わせる視聴者もいた。

  • 北条時宗
    • 安達景盛は、『北条時宗』第1回でも描かれた宝治合戦(北条時頼の項目参照)のトリガーになった人物だが、彼が弥九郎名義で初めて登場した6月5日は奇しくも宝治合戦が発生した日(旧暦)でもある。
    • 仁田忠常が自害したシーンについて『時宗』で赤橋義宗(重時の孫)の自害シーンと重ね合わせる視聴者もいた。尚、史実においては忠常は謀殺、義宗は病死である。
    • 前述の通り、終盤に至って平盛綱であることが明らかとなった鶴丸であるが、その命名のくだりについては、『北条時宗』において八郎が平頼綱と名付けられるくだりを意識したものではないか、と指摘する向きもある(盛綱が「太郎(=泰時)の命綱となってほしい」という意を込めて名付けられたのに対し、「未熟な自分の心の頼りとなって欲しい」という思いから北条時宗によって名付けられたのが、『時宗』における頼綱である)。

  • 独眼竜政宗
    • 河津祐泰役の山口祥行が亀丸(猪苗代盛国の次男、のちの宗国)役で登場している。時代が違うため全く無縁に見えるが慈円が義時と政子に述べた三寅の家系紹介シーンのやりとりに、いかりや長介鬼庭左月大滝秀治虎哉宗乙に自身と片倉喜多片倉小十郎鬼庭綱元との(かなり複雑な)関係を説明するシーンを思い出す視聴者がいた。なお左月と慈円は「もう一回」説明を求められた点でも共通している。また主人公が毒を盛られたことがあるという点も同じ。

  • どうする家康
    • 第48回(最終回)のアバンタイトルでは、翌2023年度の大河ドラマ『どうする家康』の主人公・徳川家康が登場。『吾妻鏡』の愛読者でもある永禄7年(1564年)時点の若い家康が、正にこれから作中で描かれようとしている承久の乱のくだりを読もうとしている様が描かれた。本作への登場に当たっては『どうする家康』での家康役である松本潤がそのまま出演、また同作の脚本を手掛ける古沢良太も脚本協力としてクレジットされている。翌年度への「橋渡し」として次番組を連想させる台詞や演出が盛り込まれるケースは、『真田丸』第44回など過去にもいくつかあれど、次番組の主人公がそのまま前番組にも顔見世的に登場するという、日曜朝の特撮テレビドラマシリーズなどでも多用される手法は、大河ドラマとしては極めて異例なものである。これはテレビドラマ版『花より男子』で松本と共演して以来の盟友でもある小栗旬のアイディアによるものであることが、最終回当日に行われたパブリックビューイングにて言及されている。なお『どうする家康』では第10回に相当。
    • 以仁王役の木村はその第7回から渡辺守綱(半蔵)役で登場し前年とは真逆なキャラを演じ、つつじ役の北も第10回からお葉(西郡の局)役で登場したがこちらも前年と真逆でありトウとか『清盛』でが演じた政子に近いとネタにされた。他にも佐藤浩市・米本学仁・川島潤哉といった面々が引き続き主要人物として登場しており、最終回では
    • またその第7回で家康が竹千代(のちの松平信康)と亀姫に対し「水遊びは危ない」と言ったシーンで善児を思い出す視聴者も多く「鎌倉殿の13人」がTL入りした。
    • 第26回では薪割りをする井伊直政(演:板垣李光人)が集まっていた町娘達に「私は見た目は華奢だが力はあるのさ、九郎義経と同じだな」と嘯くシーンがあったが、『鎌倉殿』で義経を演じた菅田は『おんな城主直虎』で直政を演じている。

  • 光る君へ
    • 大姫の幼少期を演じた落井実結子が主人公の幼少期を、成人後を演じた南沙良が娘の賢子を演じる。劇中でも成長後の源氏物語に肖りに改名しようとしていたが、演者2人は奇しくもその著者の幼少期と娘を演じることになった。
    • 藤原道長の次兄で、本作にて大きく知名度を上げた藤原道兼は、『鎌倉殿』に登場した八田知家や「小山三兄弟」こと小山朝政・長沼宗政結城朝光らの先祖とされる。また、道長の妻の源倫子の女房・赤染衛門やその夫の大江匡衡は広元の先祖に当たる。

しぬどんどん編集

本作はとにかく名のある登場人物の死者の数が多く、ほぼ毎話誰かしら死亡者がでているようなありさまである。そのせいで同時期の連続ドラマ小説ちむどんどん』を捩って「しぬどんどん」などと言われたり、「首桶は準レギュラー」と言われたりする。

退場者リストについては当該リンク参照。


関連タグ編集

大河ドラマ 平安時代 鎌倉時代 吾妻鏡 平家物語


  • 武衛、羽林どうでしょう藩士…本作のファンの通称。

本作と描かれる時代がほぼ同じもしくは何らか関係のあるメディア編集


NHK関係

上記のタイトルのうち『人形歴史スペクタクル 平家物語』はNHKにて、『武蔵坊弁慶』もCSにて本作の放送期間中に再放送が行われた。


民放関係


漫画

  • 逃げ上手の若君…北条義時の六世孫である高時の次男・時行を主人公に据え、南北朝動乱の一つである「中先代の乱」を描く少年漫画。

アニメ

  • 平家物語(アニメ)…平重盛の小松家を軸に描かれた『平家物語』を原作としたテレビアニメ作品。本作と同時期に放送され、前述の通り木村昴も同作と本作に作中での立場を変えて出演している。

ネタタグについて編集

本作は、コミカルな作風が多い脚本家の三谷幸喜によって視聴者の心に残る多くのコミカル系のネタが誕生したほか、鎌倉時代特有のシリアスさ全開の展開も多く出現した。

それにより、多くのネタタグが作られ、個別記事も作られるようになった。

詳細はこちらから。


ファンアート編集

鎌倉絵 殿絵 13人絵


二次創作編集

鎌倉殿どうでしょう 鎌倉殿大喜利 善児Tシャツ(二次創作?)

鎌倉殿流行語大賞


シリーズ編集

青天を衝け鎌倉殿の13人どうする家康

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