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概略編集

 平安時代末期に活躍したとされる女武者。出生地や生没年を含めて謎の多い人物であり、伝承の中でのみ語られる存在のため実在しないというのが通説。


 『平家物語』の『覚一本』で「木曾最期」の章段にて登場。平家打倒を掲げて信濃長野)の木曾から挙兵した源氏木曾義仲の従者、または妾(※当時は「便女」と呼ばれる武士の(夜の相手も含めた)身の回りの世話をする女性がおり、巴御前は義仲の便女であったという記述がある)とされる。

源平盛衰記』によれば、中原兼遠の娘で、兄弟に同じく義仲に仕えた今井兼平樋口兼光がおり、そろって忠勇の持ち主だった。


 『平家物語』によれば長い黒髪の色白の美貌で、薙刀を得意とした一騎当千の女傑だったという。

 源平合戦で義仲は平家軍を駆逐して上洛できたが、後白河法皇と、さらに鎌倉源頼朝と対立し、源義経の討伐軍に追いつめられた。巴御前も手勢わずかな義仲に従っていたが、義仲から「女であるお前は生き延びろ」と諭され、を捨て信濃へ落ち延びたという。その後はとなり、「わたしも今では名もなき女」と語って毎日義仲の供養をしたとも、また頼朝の命で鎌倉に召されたとも伝えられている。


 『平家物語』や『源平盛衰記』などの物語(≒フィクション)にしか登場しないため、実在したかは疑われている。とはいえ、ほぼ同年代である鎌倉時代、越後(新潟)に強弓の使い手・坂額御前という女武者が実在しており、当時の甲信越では武器を持って戦った(訓練を受けて男性に混ざって戦えるほどの実力を持っていた)女性がいた可能性は高い。さらに、坂額御前の存在が後年になって巴御前の伝説に影響を与えたとも言われる。

 脚色の多さから伝説化され、日本の女武者の代名詞として名高いが、一方で正式な武士ではないとする説もある。


 なお、正式には巴御前は義仲の妻ではないが、義仲には他に妻と言える女性がいない。『平家物語』では義仲の正室として、関白松殿基房の娘(藤原伊子とされる)がいるものの政略結婚であり、あくまで形式的なものに過ぎなかった。そもそも伊子と結婚したのは義仲が討死する4か月前の話である。

 義仲の息子・源義高は義仲が挙兵する前の1173年に生まれており、その母親は中原氏の娘(つまり巴御前)と目されている(※ただし、『吾妻鏡』の記述によれば年齢が合わない)。当時と現代では結婚の概念が異なるが、「召使」とされつつも巴御前は義仲の実質的な伴侶と言える女性であった可能性が高い。


日本史で珍しい女武者であることやその生涯ゆえ、歌舞伎の題材にもなった他、現代でも幾度も小説や漫画などで取り上げられてきた。義仲に忠義と愛情を尽くす女性という人物像が固まっている。





全盛期の巴御前編集

  • 左右から襲いかかってきた刺客に対し、首を掴んで一瞬でへし折って殺害。二人とも首が千切れた
  • 義仲を乗っていた馬ごとブン投げた。
  • 大男と馬上で組み合い、またも首をへし折って殺した
  • 初陣で7人もの首を上げた

以上、『源平盛衰記』より。当時の霊長類最強女子女子力(物理)である。



創作物における巴御前編集

英傑大戦編集

巴御前


碧勢力所属、時代平安の武将として実装。レアリティは最高位のER。

スペックは2コスト7/3と寂しいが、先陣・気合・昂揚の特技3つが有用であり優秀過ぎる性能をしている。


特技先陣により前半は8/4の弓としてスペック以上の白兵能力で戦い、後半も気合持ちを生かして前線で暴れるのに適している。

しかし知力が3と低めでありダメージ計略や伏兵を踏むと大ダメージを受けやすい点には注意。


計略は消費士気6の「姫武者の敬慕」。

自身と、自身を除く最も武力の高い碧の味方の武力+6と移動速度+50%上昇、敵を撃破すると対象の味方全ての兵力25%回復する。さらに自身が矢を当てている敵の武力₋4というもの。

この計略の強みが巴に射られている敵に対して武力差10の攻撃を与え、そこに最高武力の味方を押し付けて敵を確固撃破出来、兵力が消耗しても敵撃破で回復が可能な点にある。

その計略の性質上、フルパワーが発揮出来る状態の袁紹の「王者の驀進」や平清盛の「栄耀栄華」でもない限り、並大抵の号令なら打ち負かしてしまうほど強力。

特に本多忠勝北条綱成張飛と言った高コストの武闘派槍兵と組ませて攻城をもぎ取り行く戦法が流行している。


「我こそは、木曽義仲

一の家人、巴なり!!!」


なお容姿はエルフ耳の美少女と巴のイメージとはかけ離れている。

ではおしとやかな性格に付けされているように思えるが、


全く持ってそんなことはない


攻城時に婉曲的ものも含めて「死ね」や「殺す」、「滅ぼす」と物騒で過激な台詞を言う武将は少なくないが、

『首をねじ斬ってやるぅぅぅ!』と言うは巴くらいである。


稽古を求めた後返事を待たずに斬りかかり、ヒラタケを一口大ではないただのブツ切りで調理したりとかなりの脳筋キャラ。


ちなみに演者は『狂犬』と呼ばれるあの方である。


鎌倉殿の13人編集

鎌倉殿の巴

武勇に優れるが、見た目に気を使わず、眉も整えなかったために一本眉が目立つ女性だった。

義仲とは幼馴染であり、非常に気心がしれた仲である。


合戦で和田義盛と出会い、気に入られる。義仲の死後は、義盛の妻となる。和田義盛の乱の折は、ともに死のうとする巴に、義盛は生きるように諭される。

義盛が義時の騙し討に遭って死亡した後は、「我こそは忠臣和田義盛の妻、巴なるぞ!」と叫び、颯爽と駆けながら逃げ延びる。


余談編集

富山県の公式ウェブサイトにて公開されている『「義仲・巴」相関図』にて「スーパーヒロイン」と紹介されている。


関連タグ編集

 日本史 平安時代 歴史創作 源平 木曾義仲 女武者 戦乙女 女傑 薙刀 怪力

巴形薙刀

とら(うしおととら):巴御前と出会ったことがあるという設定。

秋元才加:『鎌倉殿の13人』で演じた人物。本作では木曾義仲の愛妾で、今井兼平の妹という設定。敗戦後鎌倉に召され、和田義盛の側女となっている。なお、本作で北条政子を演じた小池栄子は『義経』で巴御前を演じている。


巴御前をモチーフとしたキャラ編集

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