- 日本の旧国名の一つ。ほぼ現在の長野県に相当する。
- 上記にちなみ命名された大日本帝国海軍の航空母艦(空母)。
- 上記2を元ネタとした『戦艦少女』に登場する艦船擬人化キャラクター → 信濃(戦艦少女)
- 上記2を元ネタとした『アビス・ホライズン』に登場する艦船擬人化キャラクター → 信濃(アビス・ホライズン)
- 上記2を元ネタとした『アズールレーン』に登場する艦船擬人化キャラクター → 信濃(アズールレーン)
- 上記2を元ネタとした『艦隊これくしょん』に実装予定の艦娘。2013年に「就役スタンバイ中」とアナウンスされているが、それ以降現在まで未実装の状態。 → 信濃(艦隊これくしょん)
- JR東海が名古屋-長野間で運行している特急列車 → しなのを参照
- 織田信長と濃姫のカップリングタグとして使われる場合がある。この場合は「のぶのう」。
- 『刀剣乱舞』のキャラクター信濃藤四郎の略称 →信濃藤四郎(刀剣乱舞)
旧国名としての信濃
略称は信州。
もともとは「科野(シナナ シナヌ「科@紙の材料の木が生えてるところ」という説が有力。風を指す「シナ」なのでは説もある)」といい、『古事記』ではこういう字で出てくる。
鎌倉時代に「信濃」へ改変。
先述の通り、信濃国の範囲はほぼ現在の長野県に相当する。しかし例外が存在する。
それは、現在岐阜県中津川市に属する、旧山口村、旧神坂村である。
旧神坂村→旧山口村には、島崎藤村の出身地として知られる馬籠がある。
旧神坂村は1957年に中津川市との越県合併を決めたが、長野県議会が反対し村が分裂するほどの騒動に発展した。結局、1958年に馬籠などの3集落は山口村と合併して長野県に残り、旧神坂村の残りは岐阜県中津川市と合併した。
その旧山口村も、2005年に中津川市と越県合併して岐阜県となった。
航空母艦「信濃」
大日本帝国海軍に所属していた空母で1961年にアメリカ海軍の原子力空母エンタープライズが就役するまでは世界最大の排水量を誇る空母であった。
性能諸元
就役 | 昭和19年 | ||
全長 | 266.1m | 飛行甲板長 | 256m |
全幅 | 40m | 水線長 | 36.3m |
平均吃水 | 10.31m | ||
基準排水量 | 62,000t | 公試時 | 68,060t |
満載排水量 | 71,890t | ||
速度 | 27kn(計画) | ||
航続距離 | 18ノットで10,000 海里 | ||
兵装 | 12.7cm連装高角砲 | 8基 | |
25mm3連装機銃 | 37基 | ||
25mm単装機銃 | 40基 | ||
12cm28連装噴進砲 | 12基 | ||
エレベータ | 2基 | ||
艦載機 | 常用42機 | 補用5機 | |
乗員数 | 2,400名 |
大和型戦艦の3番艦(第110号艦)として横須賀海軍工廠で建造されていたが、建造中に大東亜戦争(太平洋戦争)開戦に伴い、一旦工事が中止された。が、ミッドウェー海戦での空母大量喪失のショックで、航空母艦に設計変更して工事が進められることになった。それも、対魚雷防御は大和譲り、飛行甲板にも十分に装甲を張って、決してミッドウェーの悲劇を繰り返させない装甲空母としてであった。こうした重防御を活かして、固有の攻撃機・爆撃機は搭載せず(自艦防衛用の戦闘機は搭載する)、他の空母の搭載機の補給基地として運用しようという目論見であった。
紆余曲折(その不幸ぶりの記述を参照)の末、1944年10月8日に進水、11月19日に就役。日本海軍で最後に就役した空母となった。呉で最終的な艤装を行なうために11月28日に横須賀を出港、翌11月29日未明、浜名湖沖約167kmの地点で米潜水艦「アーチャーフィッシュ」が発射した魚雷を4発受け、就役からわずか10日、一度も実戦につかぬまま、かつ未完成のまま、潮岬沖に沈没した。
実在した艦ではあるが、ある意味架空艦に近い存在である。
その不幸ぶり
建造中から既に色々と曰く付きなエピソードが多い。
まず開戦の所為で工事が中止になった上、その巨体が造船設備を占拠してしまっているという理由で上層部から邪魔者扱い(一時は解体案もあったが、船体がほぼ完成していたためいまさら解体はさらに面倒だった)された。
だがミッドウェー海戦で空母が不足すると厄介払い+空母確保という理由で戦艦ではなく空母として無理矢理設計変更。
さらに工事が何かしらの事情で中断されるたびに予定工期がどんどん縮んでいくという怪現象に見舞われる。そんな無茶な工事を断行したものだから、予定していた艤装も粗雑で、特に突貫工事の所為で水密区画の扉が配管で閉まらないという前代未聞の工事ミスが発生。居住性に至っては巡洋艦並に劣悪に……。
また乗組員の訓練や指導も中途半端で、練度が低かったという。
これらは太平洋戦争の戦況の悪化に加え、切迫してきた資材事情と深刻な人材不足が原因。
沈没に至った経緯についても不運の連鎖と云える。アーチャーフィッシュが19ノット・信濃が20ノットで航行しており、直線ならそのまま振り切って逃げることが出来た。だが信濃は対潜マニュアルにそって「之字運動」をおこなった結果、図らずもアーチャーフィッシュに接近して魚雷の射程内に入ってしまい、さらにアーチャーフィッシュの艦長が一計を案じて魚雷の深度を浅く発射したことで防御の薄いところに命中。その上折からの強風が魚雷の命中した破孔に大量の海水を送り込むことに。閉まらない水密扉と、不慣れな乗組員たちや残工事を行っていた工員たちの混乱で、傾斜は瞬く間に増大、護衛の駆逐艦による曳航を試みるも失敗、ついに潮岬沖の海底深く沈んでいった……。
これにより信濃は、当時世界最大の空母という名誉を得ながら、同時に就役10日で沈没したという“世界一短命な空母”という不名誉も背負う羽目になった。
そして大戦末期の事情が絡んで、空母なのにほとんど艦載機を積んでいない。
沈没位置は潮岬沖の北緯32度0分 東経137度0分と特定されているが、戦艦大和(長崎県男女群島女島南方176km、水深345m)や戦艦武蔵(シブヤン海の水深1km)より深い6,000~7,000mの深海のため「信濃」の船体は未だ発見されていない。