曖昧さ回避
概要
鎌倉時代中期の刀鍛冶で短刀作りの名手と呼ばれた粟田口吉光により作られた短刀である。
元々は豊臣秀吉が所持していたもので、後に江戸幕府で老中を務め信濃守の官位を持っていた永井尚政※1に渡ったことが名の由来。
その後徳川将軍家へ献上されたが、最終的には庄内藩主酒井家の手に渡った。
酒井家に渡った経緯は二通りあるとされる。
- 徳川家光養女・清泰院大姫が前田光高※2に輿入れした際、御礼言上の儀において光高が家光から賜った(ちなみにこの返しの品として家光に献上されたのが五月雨江である) が、当時の金沢藩は財政難に陥っていたために秘かに酒井忠勝※3へ売却されたとされる。
- 徳川秀忠から鍋島忠直※4に贈られ、のち忠直から本阿弥三郎兵衛を介して忠勝が購入したと酒井家の記録にある。
戦後も酒井家に受け継がれたが、一時盗難に遭うも無事に回収。現在は山形県鶴岡市の致道博物館に収蔵され、重要文化財に指定されている。
博物館では年に1度の特別展で展示され、各地での特別展でも展示される。また平成での人気上昇に役立った刀剣乱舞とのコラボ企画も多くなされる。
※1:小牧・長久手の戦いで池田恒興を討ち取った永井直勝の長男。