曖昧さ回避
- 筑前・左文字派の刀工により作られた短刀。本頁で記述する。
- オンラインゲーム『刀剣乱舞-ONLINE-』に登場するキャラクター。1の刀剣が元ネタになっている。→ 小夜左文字(刀剣乱舞)
- 1の刀剣を元ネタに擬人化した、DMM.comから配信されているオンラインゲーム『しんけん!!』に登場する真剣少女。→ 左文字さよ
- メディアミックス作品群『天華百剣』に登場する巫剣。1の刀剣が元ネタになっている。→ 小夜左文字(天華百剣)
概要
細川幽斎により名前を付けられる。
由来は西行法師の歌『年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけり小夜の中山』から。
細川家に伝来されていたが細川忠興三斎の子、忠利の時代に大飢餓に見舞われたため、小夜左文字を売ることで領民を助け、その後は持ち主を転々とし現在は重要文化財の指定を受けている。
逸話
小夜左文字には以下のような逸話がある。
安土桃山時代、日坂(現在の静岡県に位置する)に暮らす浪人夫婦がいたが、夫は病に倒れ、若くして妻子を残して死んでしまう。
生活に困窮した妻は、夫が秘蔵していた刀を売り生活の足しにしようとするが、その道中の小夜中山峠の頂上付近まできた所で何者かに襲われ殺害されたうえに刀まで奪われてしまった。
以来、小夜の中山では、母の殺害された辺りにある石から、夜中に泣き声が聞こえると噂が立った(小夜の夜泣き石伝説)。
残された子供は復讐を誓い、「手がかりである刀に近づくには研師の近くに居ればいい」と考え掛川の研師に弟子入りする。
長い年月が経ち、かつての子どもである研師の弟子の元に浪人がおとずれその刀を研ぐことになるが、弟子はその刀が母を殺して奪ったものであることを確認する。
その浪人にいかにして手に入れたかを聞いて仇であることを確信した弟子は、この刀で浪人を殺し復讐を果たす。
この時弟子が語ったと言われる言葉が、「復讐時のセリフの代名詞」とも言える
「ここで逢うたは百年目! 盲亀の浮木、憂曇華の花……待ち得たる今日の対面、いざ立ちあがって、親の仇敵だ尋常に、勝負、勝負!」
(わかりやすく意訳すると「長く待っていた……この時を! さあ立て、親の仇! この俺と勝負しろ!」)
である。
この話を耳にした当時の掛川領主山内一豊は感心し、この弟子を家臣として迎え、その刀を上納させた。その後、刀は細川藤孝幽斎の懇望により細川家の所蔵となる。