小夜の中山
さよのなかやま
静岡県掛川市東部にある山地で、旧東海道の難所の一つ。佐夜とも書く。古くは「さやの中山」とよばれた。
民話の『夜泣き石伝説』で知られる。また、『古今和歌集』など多くの歌や紀行に登場し、とくに西行法師の歌によって有名になった。
現在の東海道は北側の谷を通り、子育観音がある久延寺や、子育飴を売る茶屋などがある。
地名の由来
坂路が山に挟まれ、両側が狭い谷であるため、元々は「狭谷(さや)の中山」と呼ばれており、それが後に佐夜、小夜に転じたといわれている。これは地形に由来して地名が付けられたとする説である。
また、もう一説として、サヤはサヘに由来する語と考えられている。
サヘとはサヘギル(サエギル)のサヘである。古来より、村境・峠・辻などには、侵入する災いや悪霊を遮る目的として、サヘの神が祀られた。一方で、サヘの神(賽の神)は旅の安全を守る道祖神でもあった。この事から、サヘ、サイ、サヤ、サヨの名のつく地名は日本全国に非常に多く存在する。
そして「中山」は、もともと「峠」や「交通上の境界」を指す言葉で、国境や郷などの境のことである。
つまり、「小夜の中山」という地名は、「災いを遮り、旅人の安全を守る神を祀る峠」を意味するという。
東路(あづまぢ)のさやの中山なかなかに何しか人を思ひそめけむ(紀友則)
東路の小夜の中山ではないが、どうせ遂げられはしないのに、どうして恋をし始めてしまったのだろう。
(難所として知られる小夜の中山と、恋の成就の難しさとを重ね合わせて詠んでいる)
年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけり小夜の中山(西行法師)
年老いてから、この山をまた超えることができる(旅ができる)と思っただろうか、いや思いはしなかった。こうやって難所(小夜の中山)を再び越えることができるのは、命があるからこそだ。
- 小夜の中山(Wikipedia)
- 小夜の中山(遠州古城めぐり)※個人が運営するホームページ
- 地名のお話・第1回『小夜の中山-サヤとサヨ-』(お茶街道)